オーラという言葉はやめたとして…
佇まいの雰囲気が心の琴線に触れるものがあり、ただその心の琴線とは多分に個人の生育環境や教育、触れてきた文化的事物に依り差異が激しいものであるので、平手から感じるものには個人差がある
しかしながら何も感じない者を一概に否定する資格は誰にも無いのと同じ様に何かを感じる者を否定する資格は誰にも無く、また佇まいの能動的発信者を否定する言論を是とするのは文化に対する価値観への統制でありファシズムへの偏愛の発露に通じるのではないだろうか
但し、これは、この表象に対しこう感じるべきだという押し付けも同じ意味を持つと言うべきであろう