ブレーンワールド(その28)
俺を部屋に通した直後に、「じゃあ、あたし、出かけてくるから、後はよろしくね、ねる」と出て言った。
ねるがいるというだけで、四方が、壁も天井も床も朝日を浴びたように光輝いた。
でも、肝心のねる自身は暗くうなだれて言葉を発しようとはしなかった。
沈黙が続き、よどんだ空気が重くのしかかった。
あのストーカーが公安警察だったということを話すことができたなら会話の切っ掛けにはなっただろう。
でも、余計な心配をねるにはさせたくなかったので、それは伏せることに決めておいた。
今、ねるはどういう気持ちなのかを聞いてから、しゃべろうと思ったが、根負けした俺のほうから言葉を発した。
「ねるちゃん、これまで俺は人並みかそれ以上に女性とは付き合ってきた。ただ、それは全て取り換え可能なものだった。
高校卒業して東京に出てきたときには当然のように別れたし、大学入ってからも、相手の気持ちが変わったりして分かれても何の未練もなかった。
俺の人生において、女というのは取り換え可能で、副次的なものにすぎなかった。でも、ねるちゃんだけは違う!」
ねるは顔を上げずに黙って聞いていたので、続けた。
「いつか激しく荒れ狂った海でおぼれそうになったという漁師のお爺さんの若い頃の話を聞かせてくれたよね。
実は、女性から振られても未練たらたらで生活することにまで支障がでる男をそんなイメージでとらえていた。
荒れ狂う恋の波風が吹き付けている海に子船で出航し、波に翻弄されている弱者を俺はあわれんできた。
嵐の海の中のそういう様子を安全な岸辺から眺めて、いつもせせら笑っていた。
それがねるちゃんと出会ってからは同じように煩悩の虜になって、この俺が俺のものとも思われないでいる。
このままねるちゃんにシカトされ続けたら、もう生きているのさえ馬鹿々々しくなる・・・」(続く)