つづき

浜辺は夏の予感に満ちていた。蒸しているのに涼しい。だが、その紗の向こう側では、ほどなくやって来るであろう喧騒の影が嬉しそうに小躍りしている。
かつては大好きだったこの感覚が、なんだか今は急に余所々々しく感じられた。
波が砂を撫でる音が静かに響いていた。その伴奏の上を走っているらしい足音が背後から近づいてきた。
振り向くと齋藤が、そこにいた。駆けてきたからか少し汗ばんだ額をハンドタオルで拭っていた。
「散歩?出て行くのが見えたから、、、。一緒に歩いていい?」
「もちろん。いいよ」
突然の僥倖に心ときめいたが、しかし、何故だかそれ以上言葉を発することができなかった。
いや、あるいは彼女が俺に自覚させる惨めさがそうさせたのかもしれない。

しばらく歩いた。日出はとうに過ぎた。朝焼けが凪の海にそのまま映っていた。横から射し込む光に彩られた齋藤は、いつにも増して魅力的だった。
そのとき、左手に何か温かいものが触れた。彼女の手らしかった。俺は黙ってその手を握った。

相当歩いた。凪の時間は終わって、波が再び砂を削り始めた。
俺たちは手をつないだまま無言でホテルとは反対側の浜まで歩いてきた。
「・・・そろそろ戻ろうか」
俺が切り出すと、それを言い終えるか終えないうちに齋藤はつないだ手を解いて二十歩程駆けた。
そして、少しむっとした顔でこちらを振り向いた。いや、ひょっとすると照れていたのかもしれない。
そんな顔で振り返らないでくれ!何かに急き立てられるように、俺は意を決して、昨日言えなかった言葉を叫んだ。
しかし、俺の小さな心臓は十分な声量を与えてくれなかった。
浜のすぐ背後まで迫った林からどよめす蝉の声がすべてをかき消した。
彼女は一緒きょとんとしたが、少しして笑い始めた。
これでよかったのかもしれない。
沖ではケープサイズのバルカーが黒い煙を吐きながら商港を目指して波を切っていた。

おわり