酔後の勢いで俺も妄想


空は晴れていた。
麗らかな春の日差しは木々を、街を、そしてそこに住まう人々を優しい空気で包み込んでいた。
そんななか俺は学校の裏にある丘で、漫ろに流れる雲を呆然と眺めながら独り泣いていた。
「悲しいことなんてない!俺はなにかを失ったわけではないはずだ。むしろ今日は、この陽気に相応しい輝かしい未来を勝ち得たんだ!」
そう自分に言い聞かせれば聞かせるほどに、悲しみはますます深い影を落とした。
今になってはこの春の日和も、冬の高潔な澄み切った空気が、湿った暖気に澱んでいるようにしか感じられなかった。

この日、大学合格の報を担任に告げに行った俺は、同じく報告に来ていた同級生の守屋の姿を、職員室前の廊下で見出した。
無事志望校に合格した今、俺の高校生活唯一の心残りと言えば、守屋に熱い気持ちを伝えられていないことだけだった。
彼女が無事に合格したことは、今朝にお互い散々と電話で祝いあっていたので知っていた。思いを告白するには今しかないと思った。
「守屋!おめでとう!」−−−

結果は残酷であった。彼女が文弱な俺に好意を抱かないであろうことはおおよそ見当がついていたことだ。
今日までの団結感も、結局は受験という環境が作り出した虚構に過ぎないことを頭だけでなく、肌身に、そして心に感じた。
そんなことはわかっていたから、今まで打ち明けることができずにいたのに、合格にのぼせ上がった気持ちが正常な判断力を鈍らせていたようだった。
だからこうして、お気に入りの場所、街を見下ろせる丘の上の木陰で、俺は傷ついた心を風に曝して恢復を待っている。

そのとき聞きなれた声が、小鳥の囀りのほかは聞こえないこの静寂を決して壊すことはせず、すっとそこに現れた。俺は涙に濡れた顔を袖で急いで拭って振り向いた。
「先輩、やっぱりここにいたんですね」ESS部の後輩・菅井は俺の赤い鼻目を認めると一瞬だけ少し戸惑ったが、それに気づかないでいるように言った。「合格おめでとうございます!タカヒロ先生から聞きましたよ!」
彼女のこの優しさが有難さも感じた。しかし、この温かさが却って俺の心の裂け目を拡げているようでもあった。
「欅大学なんてすごいじゃないですか!でも、先輩ならきっとできると思ってましたよ!」
「ありがとう!後期日程でなんとか一発逆転だよ。本当によかった!でもあと2週間もしないうちに大学生だなんて自分でも信じられないなあ」
傷心を隠すために奇妙なほどの明るさで応える自分に情けなくなった俺は、思わず事の顛末を話し始めた。
「でもさ、今日、告白したら振られちゃったよ。思いあがった勢いで相手の気持ちも考えずにさ。人って冷静でいられないもんだね」
「それは…」彼女は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに平生の柔和な笑顔で俺を慰め始めた。「でも!でも、先輩ならまだまだ次がありますよ!」
何でもない言葉だが、俺の空っぽな心の中で不思議と共鳴し、そして増幅された。「打ち明けてよかった」と俺は思った。
このあと彼女も俺の横で幹に座り込み、勉強のこと、受験のこと、学校のこと、将来のこと、いろいろなことについて語り合った。
言葉を交わすうちに、さっきまであんなに俺を苦しめた悲しみも取るに足らない些細なことのように思えてきた。
「ところで、」彼女の目に微かな、しかし、確かに力がこもったのを俺は認めた。「ところで、このあとお時間ありますか?もしよろしければ勉強を教えてください。私も欅大学に行きたいです」

空は晴れていた。