先ず役に立つかどうかが重要ってのは同意

で、気はあるかどうかだけどあってもなくてもそれで治療の役に立つのであればいいんじゃないのか?
否定した処で、それで誰も救われないのなら
否定するだけの奴の自己満足でしかないから

たとえそれが暗示であっても
楽になれるのならそれはそれでよいと思う
否定だけして終わりだと
見放された患者の悲しみと苦しみだけが取り残される

個人的には気があるかないかと言えば
気をどう定義するかにもよるけど
例えば天気はある訳で、空の気象状態で雨だったりくもりになったり
それが地上の生物の生命や行動に影響し、人間社会にさえ影響する訳で
それが天気という気だと言われれば、ありますねとしか言いようがない

ただし、人間の手から気というエネルギーが出てそれが人に
影響するかどうかは別問題で、そういった事は物理学的にはあり得ない。
ただし、雰囲気という気が人間の気分という気に影響を与えるのは事実。

万物が存在し影響し合う基盤としての気というのであれば
それはあるし治療にも影響を与えるでしょう
誰もが普通に生きてれば普通に経験してる事で
特別でもなければ神秘的でもない普通の当たり前の事です

気があるだのないだのと
簡単に考えて白黒つけてあるないと言ってるだけの人は
単純すぎてそこから先には進めないのでは?

そろそろ延々とおんなじループパターンを繰り返すのを辞めて
そこから卒業して
よく考えてみて欲しいですね
でなければ延々と死ぬまで同じことの繰り返しでは? 馬鹿馬鹿しくないですか?