オレはサイモンの指摘は正しいと思う。

針療法は
「触るだけの」「浅い針するだけの」
そういう療法ではない。

あるていどの痛みは発生するし、
痛みにたいして痛みを適格に与える療法だろうと思う。

灸も同様だ。
「熱いのは嫌なので、熱くないお灸を用意しました」

これはもはや灸療法じゃない。

一定の痛みも与えるし、熱さも与えるのだ。
そういう療法だ。

他の療法とはちがう部分は、唯一それではないか。

科学は究極にいえば、
その科学知見によって、
得られたものによって
どう既存の体系の発展に役立てるか、だ。

針灸の特徴やキャラクターをも放棄解体するような
科学知見ならば
そもそもいらないのだ。

「結局、いろいろ調べたが、あまり効かないことがさらにより一層わかった」
「なんでもありにしても、大して効果に差がないことがわかった」

こんなことになるために科学するなら、
科学しないほうのがマシだ。

科学者の功罪である。
彼を崇めるのなんぞ愚の骨頂だと業界人はとくと知るべし。
能がある奴しかわからないだろうが、、。