極力、師弟関係にはじまる勝手な閉鎖的ドグマや教義をなくすために、学術やエビデンス、客観性って存在してるわけ。

分け隔てなく誰もが、希望者なら、理解できて身につけることが可能なように。

この人の言っる気の概念とやらは、またその師弟的な旧時代に戻るしかなくなるし、極めて理不尽な閉鎖的社会を生きるに等しいわけで。

不幸というより、どんな頭があれば、そんなこと言いだせるのか思考回路がなんかおかしいんじゃないの