(笑) 鍼灸師は国から馬鹿にされてる (笑)
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理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、看護職員、柔道整復師又はあん摩マッサージ指圧師の資格を有する機能訓練指導員を配置した事業所で6月以上勤務し、機能訓練指導に従事した経験を有すること
今回の、機能訓練指導員への対象資格追加が正式に決定し、上記の条件をクリアすれば、はり師・きゅう師の有資格者が介護業界でさらに活躍できるようになります。
ナメられてるとしか言いようのない鍼灸師。今や柔道整復師と言えどもほとんど柔道を知らないヘナチョコ。理学療法士や按摩師も同じく。
なんで鍼灸師だけスポーツ未熟者?なんで鍼灸師だけが機能訓練指導員になろうと思えば、介護施設でウンコ取りの仕事を半年もしなきゃいけないの? >なぜなら、鍼灸は医療でも何でも無く、何の効果も出せないのだからね。
鍼灸は病院医療ではありませんが、東洋医学ですよ。 >21世紀の今、迷信のみで治療されたら、それは旧時代的でしょう。
WHOでも経穴を定めている現代において、旧時代的なのはあなたの方ですよ。
世界の医療も変化してきているのです。病院医学一辺倒な日本は、世界的には遅れてきているのです。
さらに、WHOでは、大麻の規制の見直しに取りかかっています。大麻については、日本はフィリピンにも遅れを取り始めているのですよ(笑) >>70
東洋医学なんてただのオカルトですからね。
医学でも何でもないですよ。 >>71
政治力で無理やりWHOに認めさせた黒歴史もそろそろ終わるでしょうね 日本鍼灸に政治力なんてあるわけないw
いまやアメリカとも肩を並べる隣国の政治力だよ >>75
その隣国の政治力の実態って知ってる?
裏で操ってるの 〉鍼灸は病院医療ではありませんが、東洋医学ですよ。
〉WHOでも経穴を定めている現代において、旧時代的なのはあなたの方ですよ。
市井や巷の病院で針施術が実際にどこかの場でおこなわれている事実があるなら、当たり前ですが、それは病院医療の一環ということでしょう。
WHOが定める経穴ガイドラインは、数多あるツボを、実用に適すようコンパクトに整理しオフィシャルに定めてるだけのことです。
そこに明確になった医学的定義が付加され、定めたリストなわけではありません。
それらが現代風かどうか否かは、個々人で、ご勝手に判断なさればいいのじゃありませんか。
私には、それが時代的であろうが、非時代的であろうが、興味がありません。どっちだっていいです。
わたしがどういう施術をするか何も述べてない以上、今時代的か、旧時代的か、あなたに判断さえできないだろうと思います。 69
〉プラセボ以上の効果をだせない
これ何だ?どういう意味で書いてるの?
ちょっと不正確で文脈をつかめないから、もうちょい詳しく言ってくれんか。
君は、プラセボ(効果)をどういう意味合いで使ってるの?
〉飛行機うんぬん
ネットやベストセラー本の謳いなんてどうでもいいから、クッタ条件から自分で紐解いたら?
そしたらたぶんその文面変えることになると思うから、それまで待ってるね。 〉
麻薬の取り締まり(?)その遅れ(?)
が、東洋医学にまつわる代替医療の実態にどういった関連性があるのか、私にはつかめませんでした。 経穴には場所を指し示すものや治療点などさまざま
ω・`)治療点とするツボは筋肉に負荷がかかったり、鬱血が続いて組織が変性する場所が多い
この状態を改善することで疾病を引き起こす病因を除去できる
あとは身体の回復力頼みだが、習熟した鍼灸按摩師は治癒へ導く精度が高まる
身体の場所を表す経穴と治療点の経穴、すべて混ぜて語る、オカルトと言う、これは筋肉の緊張や組織の変性を触診できない鍼灸按摩師として致命的な段階だと思う >麻薬の取り締まり(?)その遅れ(?)
が、東洋医学にまつわる代替医療の実態にどういった関連性があるのか、私にはつかめませんでした。
大麻を覚醒剤などの薬物といっしょくたにしている人には分からないかもしれませんが、
実は大麻は神農本草経などの古典に記載されている生薬なんです。
気を益す上品の薬として。
既に中国も大麻の特許を色々取っている様です。
日本はいつの間にか、医療後進国になっているようです(笑) >日本はいつの間にか、医療後進国になっているようです(笑)
すべては、あはき法19条が足枷
盲人福祉だけで最先端医療が切り開けるはずも無く・・・orz
それにいち早く気付いて行動していた連中も
時すでに遅しで、終いに己が後期高齢者でメクラと来たwww 80
〉筋肉に負荷がかかったり、鬱血が続いて組織が変性する場所が多い
残念ながらあるていど精密な医学の壇上で、きちんと東洋医学を考えようと始めた時点で、上記のことは(どのような先端技術を駆使しても)医学的に可視できることではないです。
それらは観測可能な直接的事実に寄っておらず、間接的事実の集積から「そのように考えることができるだろう」という仮説的事実への説明付けでしかないのです。
上記のことは、医学的事実でなく、医学的可能性をもった仮想的事実です。
〉身体の場所をあらわすツボ、治療のためのツボ
これはあくまで個々人の見解の差でしかないです。内経をはじめとする聖典に記載があるわけではなく、聖典の解釈をめぐった意釈の見解差の次元です。
ですから、上記が正しくとも、誤謬であろうとも、「あくまであなた個人の意見」ということです。広く一般性を持たせられる意見かどうかは意見が分かれるでしょう。 〉大麻を覚醒剤などの薬物といっしょくたにしている人には分からないかもしれませんが、
実は大麻は神農本草経などの古典に記載されている生薬なんです。
気を益す上品の薬として。
既に中国も大麻の特許を色々取っている様です。
この先の話は、医療用大麻の実用化への件ということでしょうか?
そうであるなら、医師あるいは薬剤師の範疇でしょうから、そういった担当の方に意見を述べてみてください。
現時点で、法によって使用禁止されている物の効用を、針にまつわることと関連するとして、特別述べる理由が私には見当たりません。 >現時点で、法によって使用禁止されている物の効用を、針にまつわることと関連するとして、特別述べる理由が私には見当たりません。
勿論、日本では未だに大麻の使用が禁止されたままですから、今、大麻を使用するという話ではありません。
ただ、あなたの鍼灸に対する認識が、世界中の流れからすると時代に逆行しているということを浮かび上がらせる為に、
大麻についての世界中の流れに逆行する日本を引き合いに出しただけの事です。
しかしながら日本でも大麻が全面的に禁止されている訳ではないんですよ。
種子は七味唐がらしの薬味の一つですし、漢方薬の麻子仁(ましにん)としても使われています。
食欲を益したり、便秘にも効くようです。
大麻の繊維は、神社の注連縄、横綱の締める綱、衣類にも利用されています。
来年、新天皇が即位しますが、即位式に使用する「あらたえ」という特別な服も大麻で織られるそうです。
その他、お祭りの松明に大麻を使用する地方もあり、その為だけに栽培しているそうです。
日本で禁止しているのは、大麻の花、葉っぱの所持、無免許での大麻の栽培です。
因みに大麻の花、葉っぱを医療に使用している海外の報告によれば、
エイズ、癌、てんかん、認知症、緑内障、パーキンソン病、リウマチなど、ありとあらゆる難病に効果があるそうです。
将来、日本でも大麻が解禁されれば、鍼灸と大麻があれば救急医療以外の医療は要らなくなるんじゃないでしょうか?(笑) ↑ 正論
出来ればモミモミ柔整も仲間に入れてあげたら? 実際に、完全な気の治療で(テイ鍼療法)結果を出してる者から一言。
自分が出来ないからと言って漢方理論を否定するのは止めて頂きたい。
エビデンスについては、鍼灸大学研究者の研究視点や努力が足りないだけ。
西洋医学治療で治らない・命を落とす方も多いけど東洋医学に助けられ
感謝している患者さんも少なくないという現実。又、高齢者の機能低下の改善に
も大きく貢献できますよ。
鍼灸師でありながら努力不足を気付かない方、もう少し視点を変えて
頑張ったらどうですか? 85
針は日本で禁止されてません。
あなたがなにをおっしゃりたいか、私にはわかりませんでした。
意見を汲み取ることができず、申し訳ありません。 87
漢方の薬剤(内丹術)の薬効は、物質的成分からの検証があるていど可能。
漢方における物理的療法(外丹術)は、物質的検証は相当にむずかしい。
この差があるので、
両者を「東洋医学」としてまとめた上で、医学検証することは(同路線扱いでは)実施できない。
前者のエビデンスは、相当分あるだろう。
後者のエビデンスは、ほぼ無い。
これが妥当な見解だろう。
前者(古くからの薬剤・薬効)と、後者(古くからの物理的刺激療法)を、
並べて論じる者達の主張には、
わたしは妥当性のなかで応じることができない。 87
結局、じゃあ「気」を、なんだと捉えて、あなたは施術しているのかね?
(わたしは、ちなみに「気」なんてわからない人間だ)
要は、情に訴えかけるドラマ的な部分しかない、と言ってるようにしか思えないのだが。
87全体のその文脈からは。 わたしは、
薬効+鍼灸・推拿としての「漢方」のことなんか聞いてない。
西洋医学と比べたうえでの弱点を補う「東洋医学」のことなんか聞いてない。
「針と灸」のこと。
それ自体、それ自身のことだけを聞いているんだ。
もう、種明かししようじゃないか。
針と灸、ツボや経絡は、それ自体を自身で定義できないものなのだ。
君がいう「気」とやらもしかり。
「目に見えず、無い物を、有る物なのだと想定し」定義し運用することでしか、世界に存在できないものなのだ、これらは。
漢方薬の薬効は、成分として物質的に存在している。
だから、
「針と灸」「ツボや経絡」の実態と効果を述べる時に、
わたしの実感として一人称の効果を引き合いにだす、
漢方を引き合いにだす、
西洋医学の欠点を引き合いにだす、
患者の感謝を引き合いにだす、
いわば
オリジナリティをもてない「何かを引き合いにだすことでしか存在意義が発生しないもの」それがツボであり経絡であり、はりきゅうにまつわる「気」だろうに。 追記
わたしは「東洋医学」と言う時、それは通常「漢方薬処方と診断術」をさすと思う。
一般には、そこに推拿や針灸を含めるのだろう。
しかし、
巷のマッサージが効用としては、刺激量も多く、よりたしかな実感を得やすいこと。
気功や内丹術は元来、健康度の高い人間が「みずから」実践する養生であってこと。
これらをふまえれば、
誰か他者に施すような、針と灸は、それらのあいだを取り持つような「媒介物」的な役割であった可能性が高い。
よってそれ自体の効用だとか、意義だとか、
そういうことを定義することはおそらくどんな医学検証、どんな学問をもってしても不可能だろう。
何かと比較しながら
何かと対立しながら
何かを探しながら
そうしてでないと、自身を定義しきれないものが、ツボ経絡にまつわる針と灸という施術方法なのだろう。
どこまでいっても独立することが出来きらない療法であるのかもしれない。 追記の追記
ツボや経絡に
たったひとつだけ誤謬があるとすれば、
「それが確かに(身体に)存在している」と真理を設定している点だ。 気は見には見えないんだけど変動していれば感覚はできるんだな。
空気は見えないけど移動すれば感覚できる,透明な水も波紋がたてば視覚
できるのと似ているかもしれない。
この気の変動している感覚を感知できると古典の理解が進む、逆に感覚
できないものが古典を読んでもオカルト本で終わりだな。 94
最大の問題は、それが懐疑者をはじめとする他人にわかるように伝えられるものではないということだ。
もう少しいえば、なにもツボや経絡に限局せずとも
日常に「気」はあるのではないか?
日常的に、気まずい空気だって読むだろう。
気を揉むだろう、気を病むだろう、気休めるだろう。
なんで針と灸にだけ、それが備わる?
どういった必要性がそこにあるんだ?
人間の身体や皮膚面に何かその仕掛けでもあるんか?
誰かの援用論はいいから、君の意見を述べてくれたまえ。 体制からフィードバックされる自律神経の不調が主ではないか?
ウチはそれに筋筋膜の連鎖が病因だと思う
ω・`)胃経なんて筋膜連鎖よくわかるし 96
〉体制からフィードバックされる自律神経の不調が主ではないか?
ウチはそれに筋筋膜の連鎖が病因だと思う
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もうその件さんざん議論済みとおもう。
ラットレベルで針療法に近い刺激を与えるような試行実験から、
そのフィードバック機構が発見されたんじゃなくて
(事実関係は正確には逆で)
もともと発見されてた物理刺激に応じるフィードバック神経機構を、
むしろ、あん摩や針灸の神経機序の説明付けに「利用した」の。
なぜなら、(自律神経にまつわる)医学・生理学的に、針灸の東洋的健康観を説明づける必要性が当時(大正期)国家を挙げてあったから。
自律神経にまつわる間接的データの集積を使って、東洋医学を、神経生理学的に「操作的に書き換えた」だけなのよ。
証拠として、それらは「直接的事実」じゃない。
いわば神経機構を間借りして「間接的事実」から迂回的に説明づけてみただけなの。
残念ながらね。。
たぶんそれらは其の理論がいうほどには、各臓器に影響を及ぼしてないし、
自律神経の変動というのは、針刺激に関係なく、刻一刻かなり動いてるものだろうと思う。
(ワッと誰かに驚かされれば、きっと心拍数や皮膚の発汗度合いだって一瞬跳ね上がる)
針やあん摩の言ってる(言って来た)自律神経全般は、じつに氷山の一角論だろうと思う。
下手したら、療法による刺激に全く関係してない無意識的な人体機構を、意識的に言語化して取り上げてきただけなのかもしれない。
※余談
ちなみに巷でなんでもかんでも「自律神経の乱れ」「自律神経の不調を予防して」みたいな
ナンデモカンデモ「自律神経心身医学」化したのは、おおもとはここからでもあるよ。 98
だいぶ誤解も多いけど、体性自律神経反射というのは、各療法の研究から生まれたものではないの。
むしろ、あらゆる物理刺激(押したり、刺したり、つねったり)から、どうもこういう神経ルートを辿るようだね?というレールが、体内神経マップ上に何本か示されただけなの。
両者(東洋的な古典的効用と、生理医学的な意義づけ)を操作的につなぐには、基礎研究の卓上でまずは理論仮説化する必要性があったわけだよ。
だから、このルートに沿いさえすれば、逆にいえば、どうにでも針やあん摩を心身医学的なあらゆる健康観と結びつけて間接的データから、各療法の効果が実証可能だったわけ当時は。 つづき
だいぶ時代を経て、
GHQが「やはり迷信の類いではないか?」と押したのもこの部分であったし。
(つまり物質的根拠に乏しいし、
間接的物質根拠から操作的に説明づけるしか方法がないんだから
針は医学でなく疑似科学だよ、という主張)
東洋医学全般は当時今よりもっと、国民の健康観や道徳を担う上で、思想的にも重要だった背景があった。
「欧米に寄らない、東洋の自国の医学を創ろう」というロマンさえあった時代。
そこに、単一自律神経による電気生理的なイヌネコラット等のデータ集積は、重要な役を果たしていたわけ。
針灸ってのは、確実にいまでもこの脈絡に沿っている部分はあるのだよ、良くも悪くも。
それらが今の世界が求めるスタンダード基準なんて言ってたら、それこそ笑われてしまうよ。
これらは、旧時代の流れをくんだまま積み上げたエビデンス主義だよ。 つづきの続き
古典的な東洋医学の心身観ってのは、あくまで哲学形而上的医学観なのだよ。
神経医学にまつわる心身観ってのは、ばりばりの物質的医学観なのだよ。
両者をつなぐ物質的証拠は、存在してないのだよ。
いつの時代であれ。
何かを利用して間接的かつ操作的に、意味づけたり説明することは、可能であってもね。
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筋膜のはなしになるなら、
ポリモ受容器も一緒でしょ。
「目にみえないが、あると想定され、運用される」と仮想真理で設定された物でしょ。
古典的ツボもそうだし、神経的な未知受容器もそうだし、
古典でも科学駆使でも、結局同じことなのよ。 経絡に沿った筋膜連鎖
コリはじめた筋肉の繊維とか触知できるだろ
ω・`)いかにも変性してそうな
鍼ならヌメヌメした鍼先
まあ医学的じゃないんだろうけどWW
それを頼りに打ってはだめなのか?
学問の裏付けが必要なのか? >>101
↑この様な会話まで、按摩鍼灸師「仙人」は平気で自演するから始末におえない
「仙人」は複数回線使って1日100レスからの盲人を名誉毀損する会話を捏造している按摩鍼灸師、この10年で盲人批判のために捏造した会話実に数万件
按摩鍼灸師仙人は盲人になりすまし「もうこの業界はダメだ、こんど廃業する」「まだまだ大丈夫、ギャンブルし放題」などと様々な形で盲人のイメージダウンになる発言を捏造してきた
最近はそれが不自然になってきたため、『転職準備とかした方がいい?』『やめるしかない』『卒摩』などの会話捏造を際限なく繰り返している
多い時はなりすましとそれに返事を返す形で1日100件以上の投稿を捏造して、過去10年で数万件以上(数十万?)の会話を捏造してきている
ここは、仙人と呼ばれた按摩鍼灸師による会話捏造だけで出来ているスレ
国民の皆さん、ここはほぼ1人の按摩鍼灸師が複数回線で会話捏造しているインチキスレです 会話捏造かどうか知らないけど、この先、盲人は鍼灸から淘汰されて行くだろうね。
盲人の頂点の筑波技術大学の国試合格率は目も当てられないしね(笑)
盲学校も全国的に鍼灸は落ちてるし(笑)
晴眼者の鍼灸大学も、これから淘汰されていくね。鍼灸大の国試合格率は酷すぎるもの。 まあ、盲人はあましがあるし、障害者年金もあるんだから困らないだろ。
http://smt.ishin.jp/support/kokka/ いや、鍼灸師は残っていくだろうね。
保険が鍼灸師の判断で使えない事がマイナスであるように言われているけど、実際は保険と関係無くやって来たからこそ残っていくんだよ。
盲人が日本の鍼灸の発展の足枷になってきたのも事実。また、盲人のレベルに合わせるが故に、
教育、試験のレベルも上げられず、それに胡座をかいてきた晴眼者の鍼灸師が居るのも事実。
これからは、そういう人達が淘汰されていくんだよ。
http://smt.ishin.jp/support/kokka/ 103
大学系(=要は研究・教育・資格管理・先導してる奴ら)が、ひどいな。
教員(ほとんどOB構成だろう)の怠慢と、長年のぬるま湯のせい。
それだけ良い処遇の中、油断して、なめてやってきたってことでしょ。
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数字ってすげえな
こんなに顕著に出て来るものなのか。
でも、パーセンテージこんくらいで良い気もする。
金あって大卒いくのが、ダメで。
金なくて専門いって3資格とるのが、有能で。
それって良い傾向じゃん。
そうやって水面下の行動で、まっとうさを示していけば良いんだよ。
大学なんて何にも役に立たねえよ?
って、言葉でなく実績・行動で言ってるんだから。
専門系の指導、かっこいいよ、今これから。 軒先を借りて母屋を乗っ取る、なんとも恥知らずが多いな。 >盲人は鍼灸から切り離すということか?
盲人を切り離すもなにも、国試合格しない人は晴眼者でも鍼灸の施術は出来ないよ。 >軒先を借りて母屋を乗っ取る、なんとも恥知らずが多いな。
何言ってんの?そもそも、鍼灸を盲人の仕事なんてバカな事をやったのは、薩摩長州閥の明治政府のバカな役人だよ。
漢方撲滅政策も、廃仏棄釈もね。
いずれにしろ、国試合格しなきゃ鍼灸はやれないんだから、勉強すれば良いだろ。
それでも合格しないなら、諦めて按摩だけやれば良いだろ。
盲人の若い人で他分野に才能がある人は、ピアノ弾くなり三味線やるなり、いくらでも道はあるさ。 >>106
違うね。
鍼の効果がどうやらないよね。ってみんな気が付き始めたからかなりやばい そういうあなたは鍼灸から足を洗えば良いじゃないの?
他の真面目な鍼灸師達の足を引っ張りなさるな。 >>114
真面目にやってりゃ何でも許されるわけじゃないんだよ 鍼灸師は、鍼灸の施術をすることを免許されているのです。 118
〉何言ってんの?そもそも、鍼灸を盲人の仕事なんてバカな事をやったのは、薩摩長州閥の明治政府のバカな役人だよ。
どうでもいいんだけど、
針職が医療職としてまともな市民権を得た時点から、議論したり把握すべきなんじゃない?
それは明らかに戦後復興の時点からでしょ。
そこから議論しないで一体、何が見えるっていうの。
江戸期で和一どうのこうの、
明治の各藩どうのこうの、
はっきりいってどれだけ古い物好きなの?
(響くようにあえて言わしてもらうけども)認識おかしいんじゃないの。 戦後の復興と、福祉。
それから障がいのある者達の職業優遇や社会復帰と支援。
そういうことが戦後まずあった、大きい課題だったんでしょうに。
ちなみに、その負の部分として
盲人への地域差別や
精神疾患の人の隔離や
公害の被害とか
ハンセン病者の件とか
そういう昭和史と医学の負の側面とが絡んでくるでしょうに。
不勉強すぎるよ、申し訳ないけど。
それらしい、それっぽいことばかり並べて、
中身のない甘いことばっか言ってるなと言いたいよ。 余り関わりたくないが世界中で鍼灸を盲人の仕事としたのは日本のみw 昔には天子様に打つだ打たないだやった時代もあるだろWW
手指の感覚が研ぎ澄まされている盲人按摩が鍼をするのは分かる
灸は無理だな
まあ盲学校の大半は弱視、全盲は少ないよ
全盲に按摩、弱視に按摩鍼灸は適している
自立支援としても最善の策だろう
視覚障害者を一括りにする時点で患者や病態を診ていないだろうなと思う 121
お前、盲人や視力が正常でない針師と共に
業務を協働した経験があってそんなこと言ってんだろうな?
それがある奴なら、そんな文面は書けないことだけは指摘しといてやるよ。
どうしても気になるなら詳細に書いてやるけど、
その代わり全面的にその文面撤回せざるをないから慎重に返事くれよな。
スルー推奨するけどもな。
たぶん、あんたが恥かくか、驚愕するから。 >>120
明治政府は西洋医学に切り替えるとき鍼灸は廃止したかった、でも江戸幕府が盲人の経済的自立
のため三弦などとともに鍼灸も奨励していたので相当数の鍼灸を業とする盲人たちがいた。
廃止した場合この人たちの生活を保障する財源がなかったので鍼灸業を残さざるを得なかった。
そのおかげで医者でもないのに独立して病気治療ができる鍼灸師という特殊な職業ができたわけだよ。
感謝しなきゃな。 灸は不向き
視能が低いから全てに劣ると偏狭な考えなのだろう
差別主義なんだろうWW
能力が足りないやつは資格も取れないし、開業してもやっていけない
鍼灸按摩の能力は患者が評価する
保険に浸かってるようなアマチャンより自費盲人の方が優れているのは言うまでもないがWW
目が見えるから打てないと言うレベルから、治療できるできないの物差しを持たなければな
開業しても半年持たないぞ 能力が足りなくても資格が取れるのが問題なんだよな。
業界内でしか通用しない知識を暗記できたかどうかを問われるのが鍼灸国試。
もちろん教養や考える力は求められていないし、技術は問われもしない。
国家資格としてはお粗末。そしてSNSで露見される有資格者の言動がそれを裏付ける
という形になっている。
この資格は一度淘汰されてなおかつ資格制度の根本が変わる必要があるんだろうな。 だからすべて患者が決める
危ないと思えば行かないし、治せないなら続かない
事故を起こさないための最低限の資格に何を求めているのか? 要するに資格の価値は本人の努力によって高くも低くもなるということな。 〉127
事故を起こさないための最低限にもなってないんだよな。
最低限の技術を持ってるかどうかも問われないんだから。 〉128
業界自体が低く見積もられている中で、個人が努力でカバーできるかどうかということも
考えないとな。 123
ほんとにチンケな浅い知識だな。何の受け売りだ?
だったら大正期の大東亜の頃の東洋医学で国民を健康管理したかったのはどういう背景なんだよ?
戦前・戦中には実際に東洋医学者と医者はほぼ同義だったわけだぞ。その頃でさえも西洋医よりもまだ数は多かったんだ。
明治からの西洋医学なんて言ってるけどもな、
まともな今日につづく西洋医学は、ほとんどアメ式の戦後の物だ。
特殊な「文化的背景」よりも
「実際に」社会や規制が整えて国家としてやり直した時点から考えていくほうが(明治のルーツなんかどうでもよくて、それより昭和)無難だろうに。
--------------------------------------------------------------------
127
すべて患者が決める?
なら、それは医療が成立しねえわ。ただの需要供給の売買サービスだわ。
言い方は間違っていて、誤謬があってな。
結局「最後は本人の努力に頼るしかないぐらい客観性が無い」んだろ? 124
大事なのは想像力だよ。
仮にあなたが両目みえないとして、目の前に患者がいるとして、そっから問診して切診して、安全に針して抜針して、無事に帰ってもらって。この一連考えてごらんよ。
そうすりゃ、そこにどんな大小のミスが生じ得るかい?
第六感が発達するとか、
別の感覚が研ぎ澄まされるなんて簡単におまえらいうけどな。
じゃあ、そうじゃない奴はどうなるんだ…?
そんなに彼らと共に同職者として協働することは決して生やさしいことではないぞ。
ある種、受ける側や周囲の理解も相当分いるんだ。 でも、私も知識、知見、その他いろいろ並べてるけれど。
はっきりいって針施術そのものは、ほぼ全く効果が出せない。
効果が出せないというか、より正確にいうと「出せたと思ったことはない」。
やればやるほど思う。
こだわればこだわるほど思う。
これは、おそらく自分と、受ける相手との自己満足の領域におさまる療法なんだろう。
逆にいえば、「客にどう効果を感じてもらうか」ということになってくる。
さらには、
懸命にやっているのに関わらずどこまでも自己懐疑な資格者はいるし、
理論や実際の効果の側で、彼を救ってあげられるわけでもない。
「自分しだい」「客しだい」というのは、ある意味ほんとうで。
(本来は、そうあっちゃならないが)そういう方向へ今後ますます加速していくことはやむを得ない。
◯◯病に効く、◯◯症状に良い、という客観性は、施術がいわばその二者関係にのみ向かわないようにするためのクサビ打ちでもあった。
その役割は、今後たぶん縮小していく。
科学的信ぴょう性というものが、「コマーシャル宣伝化」「研究室をでて民間化」したからだ。
それほど科学的であるかどうか、ついこないだと逆で、今はそんなに科学がどうのこうの、こだわらなくなった。
要は効用があればいい、治ればいい、軽くなればいいんだというふうに。
私はおそらくこれは、崩壊のはじまりだろうと思っている…。 >それは明らかに戦後復興の時点からでしょ。
そこから議論しないで一体、何が見えるっていうの。
戦後の復興期にしても、戦時中から戦後にかけて、鍼灸古典復興を唱えて、経絡治療を形成したのも晴眼者の鍼灸師達ですよ。
そして、盲学校で習った針きゅうでは食えなくて、晴眼者の経絡治療のグループに入門して習った人が、
盲人の経絡治療の東洋はり医学会を創始した福島弘道氏ですよ。 >>132
>別の感覚が研ぎ澄まされるなんて簡単におまえらいうけどな。
じゃあ、そうじゃない奴はどうなるんだ…?
そうじゃないやつは目明でも廃業
それだけ >それらしい、それっぽいことばかり並べて、
中身のない甘いことばっか言ってるなと言いたいよ。
甘ったれてんのはどっちだよ(笑)
国試に実技が無かろうが、暗記だけを問う問題だろうが、国試に合格しなきゃ鍼も灸も出来ないんだよ。
あの程度の国試に一発合格出来ないのは、単に努力不足なだけだろ。
努力しても合格しないのはバカだからなんだが、それなら諦めてモミモミすれば良いんだよ。 >133
おそらく皆同じような認識を持っていることだと思う。
正直な感想を率直に記せば、
鍼や経穴自体に効果はない。なんとなく効きそうだというイメージには効果がある可能性がある。
というところだろう。
SNSの発達でなんとなく効きそうだというイメージがどんどん削がれる今後の日本鍼灸は
苦しいだろうな。 こんなもんに免許制度があること自体が異常なことだと思わないことが、そもそも異常の始まりなんだよね。
盲人の仕事なんだろ?ということは、それ即ち身体的弱者(障害者)の仕事なわけで。
やっていることは盲人弱者保護とは程遠く、既得権を悪用している連中が湧いているということ。
それだけに留まることなく盲学校理療科の天下り組織を暗に存続させているだけのこと。
これほど無駄なものはないだろうが、当事者は殆ど言いなりなんだからな。 鍼灸については、盲人、鍼灸大学は淘汰されていくよ。
鍼灸大学が学力の低い学生が多いのは、学費が高過ぎて敬遠されるため。
もし晴眼者の為の国公立の鍼灸大学があれば優秀な学生が集まるだろうけどね。
http://smt.ishin.jp/support/kokka/ >>139
淘汰されるもなにも鍼灸免許自体を不要だと言ってるんだが? 40年前に国公立含む全国の総合大学に鍼灸科作らせる動きが政府内にあり
全国紙にも大々的に取り挙げられた。だがいつの間にか立ち消えとなり、
数十年後偏差値30以下私立大学が出来たのがやっと。医師会出身国会議員の
反発だったかもね。 134
ちょっとオレと認識ちがうね。
政治的に圧がかかって、さて鍼灸をどう残すべー?というとき
鍼灸の要人よりも、障がい者の福祉をマネジメントしてきた政治家や、鍼灸を擁護する(当時のいわばちょっと国家主義的な)医師・生理学者達。
まず彼らの奮闘や交渉・功績があってから次へ派生して、鍼灸のなんちゃら学会誰々さんの武勇伝話なんだろうと思う。
だから、あなたのとりあげたい鍼灸名人復興ドラマの数々はちょっと事後的なのよね。 141
っていうかね、研究しないまでも
とりあえず自分が研究するなら何をどうやるかな?くらい想像してから言ってみなよ。
いかに困難かがよくわかるから。
ってことは、すなわちまっとうな大学の学問研究のラインに乗らないってことだよ。
簡単に大学を作ればいいなんて言うけどもね。
運営とか研究費用だって正直かなり重要なんだよ。
偏差値高まんないのには、いろいろ理由があるにせよ、
すでに最初からこのラインに落ち着くのは半ば仕方ないことだよ。
資金があればいいのは正論なんだけど
それに見合った運営が可能かどうかは、学術そのものの規模や範疇もあるからね。
そこ見誤ると簡単に潰れちゃうし。
もう潰れそうなのか?よくわかんないけども。 136
一発合格ってなんだ、誰のこと言ってんだよ。
教員養成科でもいってから、君が大学生でもみてやればいいじゃないか。 総合大学に鍼灸科作ってれば確実にLevelは上がっていた筈
研究とかエビとかいうからには人並偏差値は必要だよ
ほぼ偏差値が無いような新設私大で出来る訳がない。 鍼灸の可能性がほんとにものすごかったら医学部に講座が設けられたり、研究がもっとされただろうね。
医者がもっと本気で取り組んだと思う。
案外、すごい成果はまだ出てないんだろう。
例えば早慶クラスの大学に鍼灸学部を作るほどの可能性って見いだされてないと思う。
連休、偏差値70の患者数のすごい天才鍼灸師がいたが、あれは個人の能力だと思う。 国公立や一流私大で鍼灸学部を作るほどの価値があるかな。
鍼灸は素晴らしいけれど、限界も見えてきたように思うけど。
個人的にすごく優秀な鍼灸師はいると思うけど。 カリスマ鍼灸師とかいればとうにTVや週刊誌等を賑わしてるだろうけどねw 嫌味ではなく素朴な疑問だけど、一般より知識や教養が足りない平均値の集団に人様の健康が預かれるのかな?
あるいは社会は人様の健康を預けようとするだろうか? >>150
需要がないのに趣味道楽で、祖父さん祖母さんお母ちゃんおとっつぁんにやるだけなら免許なんて要らないわ。
天下り既得権、あはき柔をぶっ壊す! >>145
そもそも何千年wの歴史があるのにいまさら研究かよwって思うわな
気の流れで悪い所がわかるとかオカルトこじらしてないで
本当に自分の診断が正しいのか客観的に判断してもらうと良いよ
こういう事から逃げ回っているくせに医学として認めてもらおうとか都合が良すぎる >146
漢方は医師が本気で取り組んでいるものな。一般の人も抵抗がない。
悲しいけど137が正論に思えるけどどうだろう?
>鍼や経穴自体に効果はない。なんとなく効きそうだというイメージには効果がある可能性がある。
というところだろう。
SNSの発達でなんとなく効きそうだというイメージがどんどん削がれる今後の日本鍼灸は
苦しいだろうな。 〉
もっと門戸ひらけばいいのに、的な意見多いな。
何度も書くけど、
どんな学問でも範疇ってのはあって。
これくらいまでなら簡単に示せるとか、ここまでは限界だとか、
ここから先はほぼ未知なので研究投資できるなとか、etc.
針にここから新しい物がまだ出てくる可能性はほぼないし、
わざわざ大学のレベルを引き上げてまで議論するには及ばない。
早稲田で議論したって、どこのハイレベル大学で議論したって、そう今と変わらないはず。
四流針大学を批判するんでなくて、およそすでに専門分野の学術の性質上「その範疇は絞られてる」ってこと。
意味わかるかな?
研究のお題(針でも、DNAでも、新疾患でも、生物でもなんでもいい)しだいで、だいたい大学研究とその市場相場は決まるってこと。
研究者や科学者ってのは、芽が出そうな分野みつけて今までの専門を変えたっていいわけで。
儲かると思えば分野シフトする人もごまんといる。
でも、針分野じたいですでにその可能性が低いのよ。
「研究のネタらしいネタにもならない」ってこと。
針学の性質ってのは根本言ってしまえば、どれもが「目にみえない」ってこと。
それを研究するってのは至難の業。
せめて海外に超ユニークな研究室をみつけるくらいしか手段はないの。 152
針師に「診断」はできない。「東洋医学的見立て」は可能。やってもいい。
だから客観的評価は、まずこの「東洋的な問診断」で客観性をもたせないと評価すらできない。
現状は(というより今後も)、そこの統一ができないから、永遠に「ナンデモアリ」状態。
「それを変えよう!」的な運動家(?)は、もう50年以上あちこち居続けるんじゃないの。
彼らの推進は、不毛に終わるという毎回でしょう。
試しにご自身で「診断方法の統一とやら」を、やってごらんなさいな。
まー、無理です。
まとまるわけないです。 151
君がぶっ壊さなくとも、自然崩壊するからだいじょぶだよ。
それとそんなくだらないことで人生粗末にしないでくれ。
152
その客観的判断とやら言いだすと、国内では漢方系で有名な医学科おいてる大学同士で議論がうるさくなるという現実。
(正直、漢方だって◯◯派とか古来派閥などうるさい系だよ。好きなひとはいいけど、独特の古風なカルト感はある。
そういうの嫌な気がする医学生も一定数いると思うよ。)
だからまとまんねえんだよ、結局、永遠に。あきらめも大事。
149
だから預かるような医療的な健康じゃなくて、
上手にお金とってサービス与える意味での商業的な健康しか扱えないんだってば。
145
偏差値に基づく教養は大事だし、そっからアイデアの芽も開く可能性はあるにせよ。
これ以上の研究は、現状針ではそうはできないと思うけどな。
いま過渡期だとしても、いろんなものは出尽くされた感はあるぞ。
あとは、それらどう使いまわしたり、迂回論でごまかしたり、そんな感じの学術リサイクルでしかないぞ。 >>156
ありがとよw
でも、やっとのことで俺が今までしてきたことが実りそうで良かったわ。
ほんとあとは時が、自然崩壊するのを待つのみだな。 〉
「自分しだい」「客しだい」というのは、ある意味ほんとうで。
(本来は、そうあっちゃならないが)そういう方向へ今後ますます加速していくことはやむを得ない。
◯◯病に効く、◯◯症状に良い、という客観性は、施術がいわばその二者関係にのみ向かわないようにするためのクサビ打ちでもあった。
その役割は、今後たぶん縮小していく。
科学的信ぴょう性というものが、「コマーシャル宣伝化」「研究室をでて民間化」したからだ。
ここがミソ。
ここを大学とか研究所が、しっかりもちこたえていくべき部分だったわけ。
そうやって業界を引っ張っていく立場。本来は。
偏差値や能力ってより、度量とか気っ風に近いけど。
四流針大学は、能力不足のバカってよりも、度量不足だったんだよ。
ここに力を発揮できなかったわけ。
それは偏差値とか能力の問題じゃないよ。
いわば先を見通す力とか、誰かのために研究するとか、そういう使命感の不足に近い。
もちろん広くいえば教養だけどね。
なんのために君、教員になって研究するの?
そういうことは、なる前に考えるし、教養の一部だからね。 153
少しテクニカルなこというと、
逆にSNS系で「東洋医学は効くんだ」と発信する仮想空間さえつくれればいいんだよ。
(現状いまはネット系は広告規制になっていないし。そろそろ改正されて、口コミとかは載せちゃまずくなるんだったっけ?)
いずれにしても、接客そのものがSNS介す予約にもなってる昨今だし
よりカジュアルで、よりプライベートな、サロン顧客関係になっていくだろうね。
つまり医療的な客観性よりも、サロン的な癒やし目的に、重点がシフトするということだ。
患者ってよりも、顧客(クライアント)の時代だよ。
わざわざ1万円払って病院に針受け行くような時代ではない。
当然、健康度が高い人が顧客になるわけで。
歩けない人は、来院しづらいし、顧客になりづらいからね。
著しく健康度の低い人は、施設や自宅にいて、そこに資格者は出向く必要があると。
ますますそこは分裂二極化するでしょ。 >159
鍼灸はますます医療から遠くなるな。
学問や技術として高度に鍼灸を突き詰めていくと、砂の器だったということを皆が実感するのかもしれないな。
研究の対象にはならないし、必要も価値も認められていないというのが現実なんだよな。 >鍼灸はますます医療から遠くなるな。
元々鍼灸は、未病を治すと言っていたのだから、それで良いじゃない。保険にすがり付く必要は無いよ。
東洋鍼灸専門学校でやっている治療院は、保険関係無く鍼灸6000円、按摩6000円、経絡按摩6000円でやってるってさ。
http://www.sorei.co.jp/ 160
まー医療側は、◯◯大学医学部漢方科オスミツキとか、WHO認可ですとか、
医学ブランド的付加価値や形容詞をつけて商売していくのだろうけどな。
161
「未病を治す」って、本来の目的とズレてるな。
もともと「病気になる前の段階にも、きちんと施術者は目を見開いていろ」ということだったはずだよな。
それがいつの間にか、病気への効果と並列比較されることで「未病を治すのが針の役割だ」とかってなった。
ぜんぜんニュアンス錯誤なんだよ、あれ。解釈ちがい。
まー別に自費でやっていける自負と自信があったら良いんじゃない? 162
オレ言いたいのは、1万円とれる施術パフォーマンスとその効果なのか?ってこと。
美容師やエステ、風俗ねえちゃんのマッサと変わらねんじゃまずいんじゃね?ってことだよ。 161
大学病院系の東洋科などの針治療、針外来なども自費だからね。
大学の研究ってそもそも認可を進めて保険適用確立とか、より広く国民に安価で需要多く提供するためのもんでしょ?オモテムキ。
なのに、自費とかよくわかんない矛盾があるんだよね。
そこで何か特別な針でも受けれるの?
スペシャリスト達でもいるの?
とてもそうは思えないけどね。
要はブランドとか雰囲気だけじゃん。 >需要がないのに趣味道楽で、祖父さん祖母さんお母ちゃんおとっつぁんにやるだけなら免許なんて要らないわ。
天下り既得権、あはき柔をぶっ壊す!
身内にせんねん灸とかやるのは、前から免許無しにやっているでしょ。
でもね、一般の患者さん相手に施術するなら、最低限免許は取らなきゃね。 問題あるわな。
保険適応針と自費針で、中身は変わらない。
値段だけちがう。
・現代疾患にもとづく針
・トリガー
・古典派針
・経絡
・中医
・その他学会やサークルの針
・てきとー針
・個人のコダワリ針
・電気つかう針
どれ使ったって効果に差がでるわけじゃない。
お互い比べ合うことも不可能だし、同族どうしでそんなことするわけがない。 167
っていうか、何歳になっても
自分がベッドに寝て名先生に触られて
「あー君はこれ脾だよ、ほら、ここ」「わかる?ここが悪いの」「これがわかんないとダメなんだよ」
こういうくだりに心底腹が立つ。
内心「こいつほんとにバカなんじゃねえの?」と思ってる。 》鍼や経穴自体に効果はない。なんとなく効きそうだというイメージには効果がある可能性がある
これを病に苦しんでいる人に施すことは、道徳に照らし合わせて問題がないか? 169
そういうのには、
「現にこうして苦しんでる人が助かってる現実効果がでてるじゃないか」
「効果うんぬんなんてどうでもいいんだ、医療は実践だ」
「感謝されてるんだから、こんなに良い療法はない」
とかって反論したりするわけ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています