いわゆる針古典マニアというのが誰もが
1800年代以降の意釈でしかない。
というのはオレにはわからない。

説文解字や四書五経を丹念に読み解いた上で、
周辺の学説や論文に触れて
針古典を解釈づける者もいる(らしい)。

もちろん純粋な学問(中国史学など)からすれば
針師のそれは邪道だろうけれども。