鍼灸師は国からナメられてる(笑)
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理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、看護職員、柔道整復師又はあん摩マッサージ指圧師の資格を有する機能訓練指導員を配置した事業所で6月以上勤務し、機能訓練指導に従事した経験を有すること
今回の、機能訓練指導員への対象資格追加が正式に決定し、上記の条件をクリアすれば、はり師・きゅう師の有資格者が介護業界でさらに活躍できるようになります。
ナメられてるとしか言いようのない鍼灸師。今や柔道整復師と言えどもほとんど柔道を知らないヘナチョコ。理学療法士や按摩師も同じく。
なんで鍼灸師だけスポーツ未熟者?なんで鍼灸師だけが機能訓練指導員になろうと思えば、介護施設でウンコ取りの仕事を半年もしなきゃいけないの? >>332
武田のアホボンが継いだ熊取のボンクラ衣料大学(関西医科大学も迷惑してる)よりまだマシちゃうん、トムらとかトムらの子分シモ位置とかキモメン 立場をしめさない相手とは 議論など到底不可能でしょう
立場をしめさない人に 相手をおもいやる気持ちを持てるはずもなく そんな相手と建設的な議論はできませんね
そういった人は 相手にしないほうがいいでしょう
もし 立場をしめさない者が 鍼灸師であるならば 治療術を理解できない落ちこぼれの。。。でしょう
弱い犬ほどよく吠える とはよくいったもので。 鍼灸大学の学生達は、エビデンスに固執するあまりに、蔵象、経絡経穴などの古典を碌に勉強しないのかな?
それとも教授陣がそうしているのかな?
それで国試の合格率悪いの?
いずれにしろ、鍼灸の施術には蔵象、経絡経穴は必須でしょう。
注射みたいに薬液が出るわけでもないんだし(笑)
このままいけば、晴眼者の鍼灸大学は潰れて行くんじゃないかな?
鍼灸専門学校でも、科学的針灸を売りにしていた早稲田医療(鍼灸)専門学校は募集停止して実質廃校になったみたいだな。
http://smt.ishin.jp/support/kokka/ >>335
エビデンス云々以前の問題だわw
国試程度受からないとかw
少しは真面目に勉強しろよとしか・・・ 335
逆!
今はリハビリ系の問題とかが増えてきてんの
東洋医学を問う問題はどんどん減ってる。
だから、そっちに比重を置いた人間が落ちてる。 339
エビ医学の普及で
コメディカルの垣根を超えて
各医療職等しく基礎的医学スキルを身につけよう、な動きは大きいよね。
もちろん針大学側でそこに賛同する狙いもあるでしょ。
(そこで保険適用が一個でも増えたら万歳とか)
高齢化社会に対応すべく医学知識も増える一方だし、
資格を活かせる現場は、ますます治療院形態から遠のくかもね。
車いすに掛けたまま針灸なんてできる実際?
できるけど、かなりイビツだし滑稽だよねw
治療じゃなく、ボランティア活動みたくなる一方。
そこを推進する御上は
オレ的には(えらそーでごめんけど)資格者を舐めきってる。
こき使いじゃないんだから。
そういう現場のギャップや違和感まで、
推進してる側の御上は絶対にわかってないことのひとつだろうねえ。
もう、それだけ座学のお偉いさんがたの作る資格制だけじゃ対応できないんだよ。
いずれしてもまず国試は最低条件なので。
学術の水準としては国試委員会の学術なんかは
そこらへんごちゃまぜのヤミ鍋知識の混ぜ物で
全然、学問として系統だってない可能性はあるにせよ、ね。 335
〉このままいけば、晴眼者の鍼灸大学は潰れて行くんじゃないかな?
その可能性は低くないだろうね。
研究者&教員の大敗。
ナニガシ責任はあるだろうね。
まーそのときは、大学作った人が自分らで閉めるんじゃない?そのうち。
個々の責任のもとで。
早稲田のそれは心理とか看護とかそっちに経営軸逃がしたよね。
心身医学を研究する線で、医療資格者養成します、みたいな。
意外に、賢い切り替え戦法には見えるけど。 で、その国試も考える力を試すような質問は皆無。
試験の意図は、言われたことを疑問を持たずに処理できる能力。
筆記試験を重視するのはある意味理にかなっている。
物事に対して善悪の判断は知識の軽重が基盤になるからね。
ただ、技術軽視、考える力を要求しないという国家試験が
有資格者に何を求めているかという部分で答えが出せることも大切なように思う。
いわゆる自己の客観視。 困ってる人に寄り添う
といった医療的大義や謳いはいいんだが、
高齢者施設のそれなんかは
もっとデリケートな問題も多くひそんでる。
(介護的な日々の生活管理や末期のそれ、等々)
骨が完全に曲がりきったお年寄りなんかに
針するってのは、正直どうだ?と思う部分も。
本人の希望があれば、もちろんやっていいんだが…
喜ばれるに越したことない。
針師が邪魔とまでは言わぬが、あまり現場に適してないんだよな。
うさんくさいボランティア登場、みたくなる。
そこでひとつの専門分野が確立されるような(針の介護系参入)ことではない気はする。
針のニーズを掘り起こす活動って、やっぱりあの介護系の中でできないわな。 341
すでにエビ研究していくことへの
矛盾とアンビバレンツはさんざん書いた。
問題は研究者(教員)側が、
それをいかに学生に呈示できるか
そのうえで発展持続可能か
にかかっているけれど。
かなしいかな、
ここまではエビ盲信主義の針教員が多かったのかもしれない。
「科学性」「医学的根拠」って、なんか格好いい言葉だもんね笑
てっとり早いし、なんてたって教えやすいし。
科学って、物事をたやすく因果的に説明づけてくれるものだからね。
(そこにはウラもオモテももちろんあるけど)
あと、
教員と開業者&雇われ者は、やっぱ頭んなか全然ちがうわな。
後者は日々、明日の飯がかかってるからね。
おのずと前者が惰性になってくるのは、半ば自然現象かもな。 335
〉鍼灸大学の学生達は、エビデンスに固執するあまりに、蔵象、経絡経穴などの古典を碌に勉強しないのかな?
それとも教授陣がそうしているのかな?
というより、
両者(ざっくりいえばエビと古典)のつじつまが
教員の頭の中で整合性それてないんだと思うよ。
だから教育活動のなかで生徒に伝達されていかない。
馬鹿にする気までないけども、
論文読んだり聞くだけで、顕著にわかるそこが。 335
〉鍼灸大学の学生達は、エビデンスに固執するあまりに、蔵象、経絡経穴などの古典を碌に勉強しないのかな?
それとも教授陣がそうしているのかな?
要するに
針研究者本人が「これを自分がなぜ研究してるか?」が、わかってないでさんざん実施してきたってこと。
ディスってる気はないけど、
どーも矢が教員や大学に向くなw 生徒の側も教わる前にわかる部分もあるけどな。
古典を掘り下げれば、そこには古来から変わらない死生観などがうきでてくる。
科学はそこに対して論理を構築して学問として進歩、成熟させていく。
どちらも学ぶ価値のある大切なものだが、伝える努力が足りないといったところかな。
ただ、国家資格の認定基準、言い換えれば指導要領にあたるものが、
今のままであれば、「言われたことを疑問を持たずに処理できる能力」
を保持すること。
一概に教員のせいばかりにもできないな。制度や資格事態に矛盾がまとわりついてるからな。 まず職業として一般人からのニーズはあるのか? 社会的に職業として認識されているのか?
そして医療として受け入れられているか?
冷静に客観的に第三者目線で議論すべき段階に入っている、鍼灸はな。
柔整の付録、美容のキワモノ、介護で慰めに機能訓練員、世間の目は厳しくなっている。 >>347
>柔整の付録
これが実際だから学費の安い専門で充分。
学者は別だが。
ここで書いる奴も鍼灸専門でどれだけ食えてるか。
生活できないと全部、意味なし。
苦しいな。 >>348
本来有益な業であるのにな現状は残念至極
ちなみに自分は鍼灸支持者 時代だよ。
鍼灸専門の自費院だとライバルに保険が使えるとこがこう多いと生活が維持できる鍼灸院の数は少なくなる。
鍼灸治療がすごくいい患者さんもばらついて食えなくなる。
でもものすごく優秀な魅力のあるとこは残るから。 実技授業中生徒にケツにハリ打たせてヒーヒー喜んでるような変態教員も多い職種だぜ。日本鍼灸が今後も発展する訳がない >346
入口の入学試験の難易度が極端に低くて、出口の国家試験が「言われたことを疑問を持たずに処理できる能力」を確認するもの。物事を見極められる能力のある人間はそもそもこの業界には入ってこない。
いい教員がいないのを嘆く前に別のことを反省しないといけないかもな。
>347
答えは言わずもがなの状態かもな。
若い人で志望する人間がいたらよく考えろと伝えたい。 >>352
かたや鍼灸で色々な病気や症状に対応できるすばらしい治療法だと宣伝しているわけだから
若者は混乱するわな
そんな素晴らしい治療が出来るのに、何で止めるのか?
って思うよ? シーケンスとか、アンビバレンツとか、アホが一つ覚え書いてるのって
中学で落ちこぼれて親に日生学園に入れられて、鍼灸の短大に行ったけど
短大で留年しまくった鳥居らしい行動やんけ、アホが横文字に無理があり過ぎw 353
昔、スバラシイ医者が言ってたけどな。
「医者なんていいもんじゃねえ、なるもんじゃねえ」ってな。
無知で無垢なのは若者なんでなくて
………
…
、、、
誰だろうな? 354
いやだから針は研究はできるよ?
資金と場と人材があって、倫理委員会の認可さえ通れば。
ただ、原理的に無理がありすぎでしょ。
そこ抱えつつなおも研究してくの?ずっと
サイモン(「代替医療のトリック」)に反論できればいいんだよ、要は。
針エビ研究をそんなにまで推し進めたいなら。
現状、反証できないよね。
ある病気で
薬グループと、薬+針グループに分ける。
どっちのグループでも効果は見られた。
データ上、薬+針グループのほうが、少し良く効いてた。
この病気(の症状の軽減)には、針が効きます。
これを
前向き、後ろ向き
意見どっちに捉えるかだけなんだ。
ちなみに
薬グループは
プラセボ針(刺さない実験用針。肌にはちょこっと触れる。触刺激は伝わる程度)はしてる。
偽針とも言う。
針の機序にとって
最重要と言われるポリモーダル受容器は、
刺す痛み刺激にも(侵害刺激)
触る触圧刺激にも(非侵害刺激)
どっちにも反応する。
だから、
針実験の結果は決して前向きにとらえらないぞ!
ってサイモンは言ってる。
オレはその反論は正しいとおもうよ。 続き
サイモンへの反論チーム(研究側)は
そもそも
プラセボ針(刺さない針、針管を肌に置くぐらいの刺激)でも
ちょこんと触れてるだけであっても
針の効果はきちんとあるんだ。
とかいう。
だから、サイモンの主張はおかしくて
どっちのグループでも、
これは針が効いてる状態なんだ。
でも、きちんと刺したほうがより効果があるんだ。
とかって反論する。
オレにはこれは馬鹿らしい科学論争なんだけどもな…。
だって、ちょこんと触れて効果あるなら、病気ならんだろ。
ましてマッサージになれば、ちょこんと触れる以上の刺激だし。
逆に病気がマッサージでなんでも治っちまう。 鍼灸は完全にプラセボを排除出来ないよね。でもさ、マッサージと比べて明らかに効果がある何かを見つけさえすれば良いんだよ。
現状難しいと思うけどね 続きのつづき
プラグマ実証だけで検証してるなら、
仮説とか理論を入り込ませないのが基本。
ただやってみて
何パーセントに効果があったかどうかだけ
数値的に算定する。
一定以上の数値結果なら、
効果があったと言える。
でも、もともと薬に効果があって
薬+偽針
薬+フツーの針
両方に効果があるのならば、
(受容器仮説とか、そういう反論して来るなら)
そもそも比較検証の算定にならんよ
って言ってるのがサイモン。
まして
病気の症状軽減って、
患者にアンケートとったりとか、
なんか医学的テストさせてその数値が下がったとか
すごく人為的なものも正直多い。
細かな物質的な検証だと、
薬の効果なのか
針による効果なのか
自然に治る効果なのか
正直わかんない。 ごちゃごちゃとエビデンス(笑)だなんだと言ってるから効果が出せないんだよ >>354
客の話を傾聴せんと、自分の話だけしかせんから
もう誰にも相手されず
ヒマで治療院は閑古鳥、ずっとネット掲示板やってる 要はエビデンスを追求していったときに、鍼灸に好ましい結果は生まれそうにないということなんだよな。
あと、人間力が大切な仕事に思えるけども、ハイスペックな人間はこの世界には
まず入ってこない仕組みになっているのは痛すぎる。
そして世間はそのことを知っているんだよな。 》361
俺の場合は客の話や要望を聞いてしまっては、治療に訪れたその人の子供に
大きなマイナスを与えることになるとわかっていたからな。
聞き入れるのは商売上は合理があったとしても道徳的に聞き入れるわけにはいかなかった。
というケースもある。 エビデンスがないと社会は鍼灸にとって好ましい方向に動かないよ。 364
“質・水準の高い”エビね。
そうでないエビは、針会でもいっぱいゴロゴロしてる。
10人、100人の被験者に確率的に一致した共通効果をさがすのでなくて
(臨床研究的な)
1人、1症例をどう掘り起こすことにかかっているよね。ケース報告。
それじゃ医学的or数値的証拠はうすいやろ、と反論はあるが。
そーゆう従来のエビよりか、
ナラティブ形成をしっかり埋めていく報告を積んだほうが
社会的認知として広がっていく可能性がある。
看護の訓練でも、
1人の患者&家族についてみっちりケースレポートを書くプラクティスはある。
ユーザーや家族の声も、ケースには反映される。
かつそれは研究者でなくともやれること。
むしろ、彼らはあまり数多く施術しないし
研究者や教員って元々。
オレはそういうところに可能性を感じるんだけども。
線さえきちんと整えれば、ユニークさというか独自性を確立できるのではないか? 従来のケース報告って
現症、期間、来歴、主訴、医学的診断、東洋的見立て、施術、予後経過…
こんな感じに項目並べて
最後はVASとって数値下がりました。
はい、こんなに効きました。
みたいのが大半。
これなら高スペックのロボットでもできちゃうかも。
東洋的なのって
あ、この人こうやって施術すんのなー
というオリジナル性が大切だからね。
用いるロジックの緻密さ(&論旨の一貫性)にかかってる気さえする。
それってデータ研究の針とか、
高スペック(東洋医学情報搭載?笑)ロボより、
はるかに優秀な知能と思うよ。
だから
ひとつのケース報告論文でさえも
言語のコンテクスト(文脈)を大切にしよう。
って言ってるわけ。
それじゃエビの質が低いなんて言わずに。 ま、ちょっと365以下の案は真っ当でなく、脱線案だけどね。
でもケース報告じゃエビ信ぴょう性がうすいぞ!
って反論はとりあえずほっといて
(おっしゃるとおりですハイと、ペコペコする)
文脈、ナラティブ形成にだけ
重点おいてせっせとやんねん。
施術しながらもがくん。
そうするといつの間にか
たぶん積み上がった言語体系(東洋的施術の体系というある種のフィクション)の側から
ある時ふっと現実な空間にそれが効果として
勝手に現れるから。
もともと古典内の用語はフィクション産物に近くて
それを使って運用してるわけだし。
鍵はそのなかの体系言語に掛かってる。
施術者はじぶんのロジックと一貫性だけ
もがいてけば、
まだどーにかなるかも。 >>367
現場で働く人は食っていかないといけないから、それでやっていくしか無いでしょうね。
ただ、申し訳ないけど、鍼の効果は???なので、鍼ばかりに拘らわず視野を広げて
商売した方が安泰でしょうね。 >341
入学試験も国家試験も平易なのはその通りだが、それは盲目の方たちが
取得することへの配慮。考える力が必要ないわけではない。
自分も盲目の鍼灸師から治療を長年受けていたが、県外からがん患者や白血病の
小さな子供とかが通院していたいつも患者でいっぱいだった。
で、そんな患者さんたちが笑顔で穏やかな時間を過ごしているんだよ。
凄い学歴かつキャリアの医師もしくは画期的な新薬なんかでは、とても立ち向かえないような
心理的な効果があるのは明確だった。
体に力も入るようになるだろうし、医療とは違うかもしれないけど元気ももらえる
だろう。
とどのつまり、資格の骨子は医療とか学問ではなく福祉なんだろうな。日本の社会では。
その福祉制度として成り立っていた土俵に晴眼者が市場原理に促されるように
入り込んでいった。盲目の方たちを追い出すわけにはいかないから、入学試験も
国家試験も平易なまま。かつ学問や医療として成立させるのは難しい。
ただし福祉に市場原理を働かせるわけにはいかない。効果がなくても存続していく。
そこにゆがんだ動機を持った鍼灸師も一定数誕生した。
市場原理は働かず、進歩成熟することもないまま消えることも追い出されることもなく
停滞したままある種の利権を身にまとう。
これが現状かな。若い人たちはよく考えないとかもしれないな。 http://smt.ishin.jp/support/kokka/
今年の国試の結果を見る限り、盲人は鍼灸から淘汰されていくんじゃないかな?
それでも、盲人はあまし師の免許取れるから良いでしょう。
盲人の領域に、晴眼者が無理矢理入り込んだみたいに言っているけど、明治政府が一度潰した鍼灸の経絡経穴(古典)を復興させたのは晴眼者の鍼灸師達だよ。
明治政府の役人が提唱した改正孔穴では、鍼灸の効果が充分上がらない為にね。
日本発祥の管鍼法も、盲人の杉山和一が発明したとする伝承も、様々な理由で疑問が持たれているしね。
灸の施術も目が見えないんじゃ危ないでしょ。実際、透熱灸をやる盲人の鍼灸師を見たことが無いね。
盲人系の最高峰の筑波技術大の今年の鍼灸合格率も酷いね。鍼灸大学は、晴眼者の方も悲惨だけど(笑) なんでだろ?
卒論書くのに追われて国試に集中出来ないにしろ、それなら既卒はもっと合格するはずだよね。
鍼灸大学生は、確か3年時に受験出来るんだよね? >371
そうか。では、
入口の入学試験の難易度が極端に低くて、出口の国家試験が「言われたことを疑問を持たずに処理できる能力」を確認するもの。
なんて意見はどう思う? >明治政府の役人が提唱した改正孔穴では、鍼灸の効果が充分上がらない為にね。
日本発祥の管鍼法も、盲人の杉山和一が発明したとする伝承も、様々な理由で疑問が持たれているしね。
今の鍼灸も世間は充分効果があると認知していないし、いろいろな理由で疑問が持たれてる
けどね。 >>373
トリガーポイント鍼はら多少効果がありそうな気もするけどね
素直に超音波を当てたほうが効果が高いと思うけど・・・ 369さん
的を射た明晰な分析だろうとおもう。
大方、賛同する。
福祉(事業との兼ね合いも含)が根底にある。
このルーツは
和一的な江戸期の流れウンヌンではなくて
戦後の復興と福祉の兼ね合いが背景だろうと思われる。 374さん
トリガーポイントの発見というか、
どんな論なのかある程度知るようになると
仮説でみっちりつじつま併せた論だとわかるから
結局、
最も押して痛い点に施術すればいい
に落ち着く。 >>376
それがトリポだし、本質は閾値の落ちた末梢神経だから
感作したポリーモーダル
閾値が落ちて戻せないポリモーダルだから、小早生は炎症して正常なポリモーダルに生まれ変わって痛みが治る ポリモーダルって
とりあえず有るには有るんだろうけど
誰にも確認できないから、
名札プレートだけ貼っつけといて扱おうよ。
っていう受容器なので。
他の特異的受容器とちがって余事象、補集合みたいな位置づけで
使い勝手のいい面ばかりが強調されてきたかもしれない。
実際、生理学的には定義上侵害受容器扱い。
でも、非侵害刺激やその他刺激にも応じるし。
皮膚、筋膜にも骨膜にも、他組織にも
ありとあらゆる所に散在してる受容器らしい。
〈実態のない、説明がどうにでも付けられる受容器〉
と昔習った時に思ったなぁ。
これとトリガーポイントを
コネクトするのはけっこー強引な仮説なんだよ正直。 トリポなんて痛みの引き金としかいってないからもっと曖昧なもの
痛みは電気信号、末梢と中枢のやりとり
発生もとは何?で分かる話し 〉
とりあえず有るには有るんだろうけど
誰にも確認できないから、
名札プレートだけ貼っつけといて扱おうよ。
これってまさに昔でいう“ツボ”。
名前を科学用語に変えただけで
科学する意味ないってば。 所詮、末梢神経に対しての刺激で中枢がどのような対応(変化)を行うかだけ
末梢神経ダイレクトの刺鍼
(≒閾値が低くなってれば圧痛点)
末梢神経近くの刺鍼
の二通り
ツボは後者も含むと解釈してるな だからツボもトリポも曖昧すぎるだけ
生理学、解剖等意識すれば末梢神経の受容器
受容器からの信号で中枢がその対応を行う
それだけやろ さっき帰った初診の患者が面白かったので報告。
70歳会社経営の男性
右膝内側の軽い痛みと-20度の伸展制限、膝枕をしないと仰臥位に痛くてなれない。
半年ほど前、雨の日に無理して歩き過ぎた翌日に膝が腫れたので整形に行きレントゲンを撮ったが
異常はなく、シップと痛み止めで痛みは軽くなったが2カ月位からだんだん膝が伸ばせなくなり整形で
相談したら、どうしてもと希望があれば手術をすると言われた。
知り合いに紹介された鍼灸院に3か月15回程通って歩行時の痛みはさらに軽くなったが膝はたいして伸び
なかったと言う。
望診をすると右ハムストリングス中央に気滞感知、切診で治療点を探すとなんと皮膚上3センチの空間に
治療点を見つけた。
てい鍼を治療点と定めた空間に角度を吟味して打つとなんとその直後に伸展制限が-5度まで改善した。
その後いくつかの治療をした結果、仰臥位膝伸展で左右差なし右の膝をベットに押すと膝の裏が痛い
程度まで改善した。
空間に鍼をして膝が現実に伸びたという現象を説明するのは難儀だ、プラセボも考えずらい何故なら
効果の発現開始を施術者が制御できるからだ。 ねーねー
気滞ってどーやって感知すんの?
みんなフツーできんの?
なんか直観的でかっこいいね。 70で、伸展制限があれば普通はかなり厳しいよ。
OAもあるに決まってるしね。
整形でMRIなり撮って半月板に異常がないか調べてもらったほうがいい >>257
> 隣国の鍼灸は4000年歴史あるだけに国民間に浸透してる。
> みんな医大や中医薬大卒業したエリートだしね
> わが国の偏差値30も無いような大学や専門出の馬鹿とは明らかに違う。
> 鍼灸柔の教員も学生も偏差値すらないような学校出の超ど級のゴミばかりwww
今、本屋で売られている「Will6月号」って雑誌の中の岡田明三先生と伊藤剛先生の対談を読んでみな。
現代の中医は昔から続いて来たものではなく、辛亥革命や文化大革命で失われたものを、
日本の鍼灸や漢方薬を参考にして、また、日本の鍼灸の本や漢方薬の本を輸入して参考にして、新しく作ったものだそうだ。
鍼灸の臨床も、理論倒れ気味で、特効穴治療に偏ってるそうだよ。 388
なんか
21世紀なっても
ありきたりな歴史背景を
喋ってるな。笑
30年前の雑誌じゃねえの、それ。
まじかよ。失笑
飲み屋でやってくれよ、そんな語り。
その…
自分らの体系(自国文化の素晴らしさ)をいくら褒めても
現状は変わんねーんだわ。
でも、書いてあるような大改編があったことは事実だよ。 〉飲み屋でやってくれよ、そんな語り。
あなたにでなく、両氏にね。 ちなみに学問の水準?
向こうの中医はそれなりに難しいよ。
国家エリート養成だろうからね。
こっちの針師と同じ感覚では取れないとおもう。
語学力あったと仮定しても。
それなりの水準はあるかんね(笑)
そこだけはくれぐれも誤解しないで。 前に「若い人はどんな傾向に気をつけたほうがいいか?」
質問あった時にも関連するので。
両氏らの世代って例えば
薬VS針
西洋医学VS東洋医学
現代エビ針VS伝統針
中国針VS日本針
こんな感じで
二項対立の軸で
(軸のネタはなんでもいいんだけど)
自分と対照になる相手との比較軸だけで、
(いわば直線的ないし平面的に)
時代にそぐう業界のあり方を論じてきた世代。
もうこれいいのよはっきりいって。
さんざんやったの今まで。
二項対立の比較は。
自己と非自己の比較合戦だけのアピールで食べていくのは。
もうこういう軸じゃないのよ、今これからは。
頭のソフトが旧式のまんまってことよ。
インストールで更新しないと。 例えば、あなた中医的な漢方や針理論が
ICD(世界疾病分類)によって今後すぐに
システマチックに世界的に書き換えられるのはご存知?
(証名などが英語数字の表記になるかもしれない)
日本伝統針なんていう以前に
世界はもうアジア圏の医学でさえ
エビ主義的な医学で全部書き換えようと必死なのよ。
次の医療市場求めて(欧米はさんざん開拓したからね)。
いち雑誌でも
そのくらいの議論になってなきゃ
プロ失格かもなのよ。
お偉いさんは1万円近い治療費とってVIP相手にしてんでしょ。
それがいつまでも持たないってことなんでしょうよ。
どうにか良いもんだ良いもんだと主張しないともたないんでしょ。
読みなさいな。
読みなさいな。中身をしっかりと。 で、そのエビ主義に書き換えようとした結果が特効穴主義と今年の国試の結果な訳だ(笑)
笑わしてくれるね。ちゃんと勉強しようよ。国試くらい取ろうよ(笑)
確かに日本の鍼灸大とか、盲人系の学校はお笑いだな(笑)
http://smt.ishin.jp/support/kokka/ 鍼灸の試験の傾向がどうなろうが、この程度のレベルの試験位は
一発で合格してもらいたいものだ
こんなんで受からないとか本気で人を治す気あるのか?と問いたくなる 395
ま、いつの時代も
それっぽい科学を帽子代わりにして
カルトっぽさでネクタイ締めて
礼儀だけは一人前にスーツ着て
食えない食えないと嘆きながら白衣着て
それが嫌ならKC着てアクティブに動くハツラツさ演じながら
生ぬるく
ナントナク
怪しさスレスレで
時々言い訳しながら
時々正論っぽいゴタク並べながら
びみょーな路線で
それっぽく社会に残ってけばいいんだよ、針なんぞ。
こだわるな。
この業界はダメだ。
だから、こだわるな。 先人の名士だとか今の著名人に一定の敬意はもつ。
人柄・人望よりも、むしろ功績やワーク自体に。
それらから
およそわかったことは
全ては「みせかけ」「ほら吹き」でいいんだ、という事だ。
それで充分に世の中渡れるということだ。
この功績は大きいだろう。
とても大きい。
いわばそのことを科学をつかって示したのだろう針(という代替療法)は。
それらによって
そのことが明確に示されたんだ。
それらをいまさらになって断罪も追求もしない。
しかし、これが事実だ。
そして永久にこのまんまだろう。 まあどの業界も実際のモノの良さよりもイメージ戦略とってるよね。
世の中そういう側面が大きいよね エビデンス針を使ってやればいいのさ。
報告通りに治らなかったら、
ユーザー顧客にブーブー言われるなら
研究者に言ったれ。
おまえの報告どおりに治らねえぞ。ロクでもない研究すんな、と。
そうしたほうがエビの価値もある。
使われずに埋もれてって
図書館倉庫にするよりか、は。
エビデンスに乗っかればいいのさ。
エビを作る者に転嫁すればいい。
やってみろ。まずは、
あとの話しはそれっからだ。 398
あなたもわかってなさげな。
多くの物売り製品業、サービス業とちがって
紛いにも人が人の健康のために施す上での
倫理や医療的な大義に沿って
そこを明らかにしたことへの影響があまりに大きいっていう意味。
サービス業的な物自体への満足度、幸福度とはまるでちがうのよ。
もはや、それと同路線のものとして変換してしまった、という意味。 >>400
申し訳ないけど、もう少しわかりやすい文章にしてくれないかな
まどろっこしくて、読むのに疲れる 針などの
代替療法にまつわる医業類似行為の市場と
ふつーの品物売買取引のサービス業の市場と
(なんでも財を提供して物売る場)
両者はなんにも変わらないということを
(医学のハシクレである針が)示してしまったわけ。
科学的根拠なんてのも「みせかけ」だよ。
財を買わせる(来させる)ための。
そこに科学を使ってるだけのハナシ。
プラセボの元の意味知ってる?
「神へのおべっか」だよ。
自分のことを、何か自分以上の存在へ託す、という宗教的な願いがルーツ。
これ現代の何?
私らの「ヨイショ」のことだよ。
結局、品物売るにも、家電店に行ってみなよ。
100%ヨイショされるね、客は。
これと同じことを、医療の中で明るみにしてしまったわけ。
針のエビ医学とやらは。
針灸は、エビ医学を使ってデータで示したのは、そのヨイショだよ。
ヨイショで何とかなる
みせかけで何とかなる
ということを科学化したの。
がんばれ針師
それじゃ。 >>402
やはり、商売だから、欲しくなるように宣伝するよね。
こういう所は商品やこういう代替医療サービスも同じなところがある。
はり師だって食べていかなきゃならないから、仕方ない部分もある
だけど、同時に鍼灸を発展させていきたいならエビデンスを取るように
日々研究しないとね。
客観的な評価が出て再現性があるならそれは見せかけでもなんでもないよね。
こういう努力が長い目で見れば大きな利益になるんだよ エビデンスは客観的評価じゃない。
事実やエビデンスは
理論によって生み出されるが、
理論は
事実やエビデンスによって生み出されない。
その「客観性がある」
というベールこそが、みせかけだ。 君は、
針のどの領域で、何に対して、きちんとした客観性があると言いたいのだ?
しっかりまずその点を君が述べてから、議論しようじゃないか。 事実やエビデンスの積み上げから
真理に至ることはない。
真理はない。
だからこそ、科学が存在する。
君の考えとは、逆だ。 科学が
事実・データから
帰納や“発見”にいたるのではなく、
あくまで
仮説理論にもとづく“発明”であるということ。
科学的認識の変化はつながりのない、
非連続的である。
それが受けいれられるかどうかは、
好み(プレファレンス)あるいは
宣伝(プロパガンダ)
説得(レトリック)による。 文字化けした。
科学が
事実・データからの帰納や「発見」によるのでなく
あくまで仮説理論にもとづく「発明」であるいうこと。
科学的認識の変化は、つながりのない非連続的である。
それが受け入れられるかどうかは
好み(プレファレンス)
あるいは
宣伝(プロパガンダ)
説得(レトリック)
のいずれかによる。
ここで問うが
医療現場における診療ないし福祉は、サービス関係か? 「なぜ針を科学的に研究せねばならないか?」
そこに科学的意義はない。
そこに理由はないのだ。
なぜなら
すでに実践は「効果があるものとして」広く用いられているからだ。
「ただワケも理由もなく、医学を模倣し、研究し続けている」
いわば、それじたいが研究意義だ。 >>404
いえ 客観的な評価ですよ。
誰かがAをするとBになったと言えば
それが本当か確かめてみる
そして、再現性があればみな認めるわけだ >>405
それは何でも良いんだよ。
今の所鍼のエビデンスは無いわけだよ。
これが今の現実
だけど、もしかしたら何かに効くかもしれないよね?
それを客観的に証明出来るように努力するんだよ。 >>406
それは違うよ。
エビデンスの積み上げが一つの真実なんだよね。
それが科学的な考察なんだよ。
真理は追求する必要はないだろう >>408
仮説があって、それを実験で証明する。
証明できれば仮説が正しいし
証明できなければ仮説は間違っていた
ただそれだけ
これが科学的なやり方なんだよ。
そこに好みなどは入る余地はない >>409
その効果があるものとして用いられているのが本当かどうか
調べるのが重要なんだよね。
それを放棄する事は自ら鍼の効果を否定したのと同じことなんだよ。 ナンセンスだ。
そうすると
君のいう実証的な針効果の報告によって
エビデンスの「なにが」積み上がるのだ?
実証主義というものは、仮説によらない。
ただ実施してみて何パーセントに効果がみられたか、だけだ。
研究で扱う疾患は医学モデルだ。
巷の針患者の大多数が医学モデルではない。
もっと複合的だ。疾患不明の者、慢性の者もいる。
それでもなお
針が何かに効くかもしれないから
研究を続けるのかね?
むしろ、
科学を駆使した言い回しだけで
効果をレトリックとして作り上げているのではないかね。
医学的な検証ができる現場において。 針を、ほんとうに物質還元できるのかね?一般的な科学のように。
還元できないところにこそ、独自性があるのではないかね。
そういった科学手法とは相容れないことこそが、キャラクターではないかね。
物質還元されない物事を、
物質還元的に説明つけていく先に、
客観性の確立はないだろう。 ちなみに
エビ主義の針とはなんだ。
何かの病気で三里に刺したら、病気のパラメータから間接的に、何らかの効果を得たとしよう。
しかし患者本人は、前日に病院でもらった薬も飲んでいたらしい。
数週間前には漢方薬局でも調剤されたようだ。
この報告は
一体、何が、何に、直接効いてることになるエビデンスなのかね?
この先の効果とは
擁護者による解釈とレトリックしかないではないかね。
どこが客観性ある検証になりえるのだ?
そしてこのモデルからは、脱せないのだろう?研究は。
ならば、それは永遠に何も解明されない。 410
ちがう。
エビデンスは、あくまでひとつの基準だ。
1症例の客観性の乏しいものでさえ、発表者にとってひとつのエビデンスだ。
エビデンスとは基準だ。
客観的評価とは、アセスメントだ。エビデンスじゃない。
君のいうファクトチェックもこの評価・検証に該当する。 横槍で口を挟むけどさ、鍼灸でエビデンスを取ろうと思ったら
少し考えるだけでも、膨大な基礎研究が必要で、その人員も予算も無いじゃない?
(一応、君たちは、基礎研究と臨床研究の違いくらいは分かってるんだよね?)
その上、鍼灸専門学校でも鍼灸大学でも、偏差値って35とか40とかだっけ
どう考えても、現代医療には追いつけないよね
色々問題あるけど、理化学の基礎すら身に着けていない人しかいない鍼灸業界では、研究に値する能力が無い
海外の鍼灸学会に出席したとき思ったんだけどさ、日本だけ異様にレベルが低いよね
具体的に言えば、アストロサイトやオリゴデンドロサイトの機能を
現代医学が認知してくれるのを永遠に待つだけとか?
で、それらの機能が判明した時点で、鍼灸技術の一部は誰にでもできるようになるよね
私個人で、私自身の解決策はあるけど
全体としてみた時、日本鍼灸の近未来は暗く
現代医学や標準医学あるいはそれらと連携した海外の鍼灸が発達した後に、それをそのまま模倣するくらいしか
理化学基礎も終えてないレベルの人に、出来ることなんて無いんじゃないかなー スレタイに合わせた話題も振るほうがいいのかな?
今まではともかくとして、鍼灸師会が最近特におかしいのは皆気づいてると思う
特定政治家に取り入らないと鍼灸界に未来が無いとかの比較的若手からの演説も聞いた
(高齢層の、医師への敵視や標準医療への敵視はどうかと思うが
若手は若手で政治へのあこがれが強すぎるし、政治家とのやりとりに不慣れ過ぎる)
介護ボランティア、災害ボランティアに参加しろとも言われた
健康保険取扱については、今後は縮小の一途のような話も師会が言うが
考え方の相違としては了解したが、今後十数年停滞する道を選ぶんだなーと嘆息した
その間に、これから十数年の間で、欧米/中韓台/東南アジア/豪などは、
現代医学と協業しながら鍼灸を急速に発展させると思う。この状況下なら
私でも、基礎的でも臨床的でも新しい発見を見つけたら、迷わず日本以外に日本語以外で投げるので
能力があるなら、海外出たり、医師資格を取ったほうがいいんじゃないかな
日本国内に居続ける予定でも、英語や中国語で海外から情報を取ったほうがいいよ
日本語で情報を投げるのは、この2レスが最初で最後になると思う
鍼灸師会の方針が正しいと思うのも悪いとは思わない
ただし、そちらの場合、今後十数年はボランティアが優先になるだろうし
その後は、日本以外の、東南アジアも含めた先進国から情報をもらう立ち位置しか残らないと思う 一応、アンカーでレスもしておこうか
>>416
鍼灸にエビデンスを、基礎でも臨床でもつけることは(直近10年の現代医学基礎研究の急速な進化で)
細胞レベルでも患者からのフィードバックからでも着実に進めるという意味で、容易に可能だが
(かつて20年くらい前にあったけど否定され終わった、
鍼灸用の偽生理学みたいなのではなくて、
現代医学は鍼灸の可能性の一部を認知可能なくらい発達してきてるから)
(もちろん現代医学もまだまだ未完成なのは間違いないし
一連のがん治療薬や創薬業界の偽エビデンス問題は認識してる)
それは最低でも日本の今の偏差値における平均で考えて
最低でも68くらい、70以上は本来不可欠で、平均偏差値70の人間が数万人居ないと無理
今の日本の鍼灸業界では偏差値35から50までが限界で研究に値しない、
標準理化学の知識すら無い人しかいないでしょ
だから、そういう意味で無理なんじゃないの
当然、標準医療でも創薬業界でも、偽エビデンスは存在するが、間違いを指摘出来る人員が標準医療には存在するわけで、
たとえ間違いがあっても、それを認識できるだけの知見を鍼灸業界が持ってないから
エビデンスを出せない、という現況でしょうし、それを認めたら業界ごと終わるよね
で、これまた、中韓台欧米東南アジア豪あたりは
10年前とはレベルが段違いになった医療において、若手が研究してる気配があるんだよね
日本の教育格差が大きすぎて、偏差値80とか出てきてるわけじゃん
これは基礎的な数学や言語学や理化学を学べてない人の割合の増加でもあるわけで
この状況下で偏差値35とか40とか言ってるってことは、アルファベットも並べられないかもしれないレベルで
基礎研究が不可欠で、臨床研究をその上に載せる必要があるんだけど
日本では人材が全く皆無なんじゃないかな、鍼灸業界 >>415 >>416とか>>417とか>>418を見てると
日本の鍼灸業界では(だけで)よく見かけるような流れに見える
エビデンス(あるいはそれを支えるもの)が何なのかもわからないまま
日本鍼灸は終わるんじゃないかなとも思う
参加者の基礎学力の無さで、言語や数や理化学の、
基礎用語も使えないわけだから、記述と共有が出来ない
日本以外の国の研究にご期待下さい!ってところかな
日本鍼灸は災害ボラと介護ボラに熟練しろと国が決めるのは分からなくもない
平均偏差値を上げる努力は無かったからね、鍼灸業界 >>415
全くナンセンスじゃないよ。
患者の病態は複合的かもしれないが、
何かに的を絞って研究するだけ
それは現代医学でもやっていること
鍼灸で出来ないわけがない。
私は鍼灸が何に効くか知らないが
誰かが鍼は○○に効くと言うなら本当かどうか
調べるだけ >>416
仮に理屈を証明できなくても
因果関係がはっきりすれば、とりあえず問題ない
世の中、理由が分からなくても再現性があるものはいくらでもある >>417
それは、現場の鍼灸師が鍼が効いた効いた!
って喜んでHPに書くレベルの事だろう。
針を打つものと打たないもので分けて統計を取るんだよ >>418
エビデンスは信頼性の低いものから高いものまである。
個人的な経験は信頼性が低い
同じエビデンスだから〜と論ずるのはあまりにも乱暴だ >>419
海外でも研究が進んでいるけど、鍼灸が効果的であると言う結果は出てないよね。
今後も出ることはないんじゃないかな? >>420
鍼灸が急速に発展させたって言うけど、鍼灸で成果を挙げているわけじゃないでしょ。
もし、そんな方法があるならとっくに日本でやっているにきまっているし
効果がなくて残念な思いをする必要もなくなる。 鍼灸の臨床的な特段の進歩があるとは思えないけれど。
もしありそうだと医学部に講座ができてもっと研究や臨床がされただろう。
それが鍼灸系大学もできたのにすすまなかったのは鍼灸治療の限界もあるからだろう。
逆に職人技という側面が失われていることが問題なんじゃないか。
研究者は学力は必要だが臨床は修練が大事だろう。
研究からフィードバックされることはもちろん大事だけれど。
海外の鍼灸の可能性が高いとすれば、人材と環境がいいからだろうけれど。
禅なんかもそうだろうけれどすれてない分、期待値は高いのだろう。 >>422
別に鍼灸のエビデンスを取るのに、莫大な人材と資金が必要とは思わないけどね。
そんな事ではなくて、もう少し現実的に考えればエビデンスレベルが低くても
鍼灸の会員どうして○○が□□に効いた
って報告を集めることからだと思うよ。
本当に効果があるなら、データーを集めれば集めるほど○と□のデーターが一致してくるはずだ
でも、現実には術者の思い込みや希望的観測だけだろうから、統計をとっても一致率は低いだろうね。
まあ、今まで散々やってきた上で効果がないと言う結果しなないわけだから絶望的ではあるがね
結局鍼灸は 秘すれば花
って感じになっちゃうんだよね。
でも、効果を謳う以上エビデンスを出さなければならないと言う考え方が一般的になってきたから
これではこの先暗いでしょうね。 >>429
効果がでているとすればプラセボだろうね。
でも、時が経てば立つほど効果は薄くなってくると思うよ。
職人技に逃げるのも良くないよね。
効果がないのは下手だからだ!
で終わっちゃうw
例えば
8割の鍼灸師が効果が出ていて新米の鍼灸師が効果がでないなら
それは腕が未熟となると思う。
でも、誰も結果がでない現実をみると技術レベルは関係ないのだろう。 ハナシが入り組んできたが、両者に問いかける形で書く。
ファクト(事実)は、検証され続ける限りにおいて事実だろう。
今、(科学的検証として)ファクトチェックは針は、きちんとなされていないのではないか?
針の臨床研究(多施設ランダム比較等)には
非介入群の被験者のプラセボ針と、
両群の服薬の問題がつきまとう。
基礎研究においては、今までの単一神経にまつわる(偽?)生理学を脱して、さらにマクロ検証しなければこれ以上のものは見えてこないのも確かだろう。おそらく分子生物だとか物性なんかを駆使する方向性なのだろう。
もちろんエビデンスに質の良し悪しはある。
1人の報告による見解より、
10人による共通データからの見解、のほうが説得性をもつだろう。
しかし、今後も良い結果がでることはないならば
なぜ、このモノサシのままで研究を継続していく必要性があるんだ?
なぜ、それでもなおいくらか客観的なデータを針会は必要とするのだ?
臨床における技量の問題があげられているが、
臨床研究に技量はそんなに必要ない。
基本的に研究内では常用穴しか用いないし、特別な高度な技術を必要としない。
その修練は全く研究成果によらない。
いわば手から手へ伝承されうる技術継承のみだ。
(もちろん医学マニュアル的な技量は授業カリキュラムで身につけるべくルーチンであるが) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています