東洋医学はオカルトとしか思えない
うさんくせー
お腹を見て症状判断とか、手相見て病気を言い当てる占い師と何が違うんだw 「代替医療のトリック」にも鍼灸は他の代替医療に比べてプラセボを
引き出しやすいようだ、とあります。
鍼灸に限らず医師による治療でもプラセボ効果は起こります。
同じ薬を処方されても院長からだと効果が大きいとか。
しかし鍼灸でも結果としてプラセボ効果が出たとしても、最初からプラセボを
期待して治療しているわけではありません。。 >>164
はじめからプラセボを期待した治療では治療効果は落ちます。
なぜなら自らの治療に対する確信が相対的に薄れるからです。 プラセボってどの程度効果があるの?
例えばNK細胞が増えて癌が治るなんてことがあり得る?
一般に鍼灸では悪性腫瘍は治らない
それどころか禁忌になってるけど プラセボを利用してがんを治そうと思う人はいないでしょうね。 ガンの進行のスピードをゆるめたり止めたりはできる。
大阪PL病院の院長先生が学会で多く発表されている。
もちろん血液データやX−P付きでだ。 >>152
あー、確かにこれはうまい説明が難しいよな。
まあ要するにあれだ、東洋医学の診断というのは「基礎知識の中で成り立つ、治療師フィルターを通して出した答え」みたいなもんだわな。
んなもんだから健康に対するイメージによって見方も答えも変わる、と。
そのうえそもそもが経験則を強引に解釈したようなものだからして、そこに厳密な意味での客観性が存在するとはとても思えない。
同時に西洋医学が決めつけるほど、人間というのは客観性のあるシステムであるとも考えづらい。
それはインビトロな結果がそのまま臨床像に厳密に反映されないことからもうかがえる。
これはつたない推論だが、人間というシステムの根幹に触れ得るのは多分同じ人間というシステムだけなのだろうと考える。
多分鍼も灸も薬もそういう意味では枝葉末節なのだろう。
もちろん明らかな「適応」というものがあるので、十把一絡げに考えるわけにも行かないが。
ただしその「システム」というものを正確に描写した記述にはまだお目にかかっていない。
これは自然治癒力とかプラセボの背景などというものともおそらく違う。
それらはシステムの一部ではあるだろうけれど。
うまい表現ができずに申し訳ないが、152をみて思ったことを書いてみた。 >>170
わかりにくい文章だな
かいつまんで言えば東洋医学は当てずっぽうってことでいいか? >152の続きでこれはどうか?
大家Aは自らの脈診所見Aで患者をよく治す。
大家Aの弟子Bは自らの脈診所見Bでそこそこ治す。
弟子Bが師匠の脈診所見Aで施術したら結果はどうだろうか? オレは>>170言いたいことすごくわかる気がする。
システムから構造を見出し機能させたり、機能を抽出し構造を構築したり。
システムは主観でサブシステムは客観だったり、システムが客観でサブシステムは主観だったり。
そんなシステムイメージを誰と誰は共感、共有でき、誰と誰はできないか。
システムイメージを自然や宇宙にどう投影して生きているのか。
システムイメージは記号化(言語化)できないだろうね。
当てずっぽうだけど(笑) 細胞レベルの若返り(笑)
【社会】たかの友梨に改善指示=エステで誇大広告―東京都
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1363591775/l50
これに高い金払って文句言う人もいれば大いに満足している人もいるわけで。
発信者と受信者のシステムイメージだな(笑) >>168
>ガンの進行のスピードをゆるめたり止めたりはできる。
鍼灸で出来ると言っているのかな?
>大阪PL病院の院長先生が学会で多く発表されている。
学会発表だけではダメですよ。極端に言えば自分が理事の学会かもしれないし。
査読された論文が何処かの雑誌に発表されていませんか? >>171>>172>>173
> 大家Aは自らの脈診所見Aで患者をよく治す。
> 大家Aの弟子Bは自らの脈診所見Bでそこそこ治す。
> 弟子Bが師匠の脈診所見Aで施術したら結果はどうだろうか?
多分だがほとんどのケースで思ったような効果は期待できないと思う。
格闘技でいえば「敵を早く倒すためのBなりの方法論を見つけるべき」であって、Aのやり方をなぞってみても最終的な威力あるやり方は得られない、という感じか。
ここで疑問というかオカルトといわれるゆえんである「ABそれぞれが(仮に)真逆のやり方をしているのになぜに多様な結果が得られることがあるのか」ということが頭に浮かぶ。
これは170にも書いたがいくつかの可能性が考えられる。
まずひとつは東洋医学理論そのものが単なる妄想である可能性だ。
もうひとつはある程度の客観性がある理論にもかかわらず、それを使う人間によって大幅にゆがめられて解釈されている可能性。
いずれにしても理論とは関係のないことをしていても何かしらの効果がある、というところが共通点ではある。
俺が考えるに理論はある程度の指針となり得るが、生理学的な正当性などを求めるとよくわかないものになる。
結果が出ているのなら、医学的な整合性については気にする必要ななかろうというのが現時点での結論。 >>176
>多分だがほとんどのケースで思ったような効果は期待できないと思う。
弟子が師匠の所見どおりに施術したのに本来の自分の実力以下の効果では師弟の意味がないです。
>弟子Bが師匠の脈診所見Aで施術したら結果はどうだろうか?
この場合そこそこ以上に治すが正解です。
では、
大家Bは大家Aの脈診所見Aで施術すると自分の所見Bで施術したときに比べ効果は落ちます。
一方
弟子Bは師匠大家Aの脈診所見Aで施術すると自分の所見Bで施術したときに比べ効果は上がります。
両者とも所見Aで施術しているのになぜ反する結果になるのでしょう? 禅の不立文字みたいな話だな。
科学は結果の記号化(数値化)を求めて客観性の実現目指してるようなもんだからね。
AとBと患者のそれぞれの“結果という概念”が一致したかをどう証明しようというのか。 ネッシーの写真は自分が捏造したと名乗り出てるのに
いやネッシーは必ずいる
捏造こそがウソだと言う奴がいる
オカルトの世界でよくあることだが
これと同じ論争がこのスレではされている
頭大丈夫か?
東洋医学はオカルトってことに気づけよ
きっと他のオカルトも信じてるんだろうから
気づいたところで変わらんだろうけどな >>177
> 両者とも所見Aで施術しているのになぜ反する結果になるのでしょう?
端的に言えば「所見Aに納得しているかいないか」ということだろう。
所見、とくに東洋医学におけるそれは「自分はこの状態をこのように解釈する」というのと同義だ。
そこには事実上客観性は担保されていない。
そして大家Bが行う所見Bに基づく治療でもAと同じくらいの効果が見込める。
推論としては共通した何かに影響を及ぼしながらも、それぞれ違う見方、解釈を行っていると考えられる。
東洋医学の理論というものはそのようなものだと考える。 >>178
> AとBと患者のそれぞれの“結果という概念”が一致したかをどう証明しようというのか。
従来のやり方で一致させようとすると無理がでてくるな。
東洋医学独自の生理とその評価方法を、ぶれなく確立させる必要があると思う。
ただそれを推し進めると職人技の話になり、かなり間口が狭くなる可能性は高いが。 >>179
俺は東洋医学はオカルトだと思っているよ。
正確にはその理論、説明がそうだと思っている。
ただし有効性という点で考えるならば低めのパーセンテージではあるが、それを誘導することのできる施術者は存在していると思う。 東洋医学はまず現象がありそれを後付けのオカルトチックな理論で説明したもの
だから理論自体はイミフでも実際に効くことは効く いや
オカルトとだと認めるのならば効くというのはウソか勘違いに決まってる
仮に効くとしてもせいぜいプラセボレベル
ほっといてもいつか治るような疾患にしか効かないレベル
そうでないというのなら何か証拠を見せてくれ >>180
>端的に言えば「所見Aに納得しているかいないか」ということだろう。
正解です。所見Aに対する信頼度の違いですね。
大家Bは自身の脈診所見Bに確信を持っているので所見Aでは確信は揺らぎ効果は下がります。
弟子Bは自身の脈診所見Bより師匠の所見Aの方が信頼できるので確信は強まり効果はあがります。
では、なぜ術者の意識状態が治療効果に影響するのでしょう? >>184
> いや
> オカルトとだと認めるのならば効くというのはウソか勘違いに決まってる
オカルトなのはあくまでもその理論や説明だと思うよ。
かなり無理のある説明だからね。
> 仮に効くとしてもせいぜいプラセボレベル
> ほっといてもいつか治るような疾患にしか効かないレベル
むしろ「医業もしくは医業類似行為」にかかる人間の大半はこれだろう。
そして俺らの治療はほとんどが日常ケアが主目的といっても良い。
効率が落ちかけている状態を何とかしようとする。
いってみればプラセボをきちんと引き出し、できるだけ素早く楽にしてあげることが大切なわけだ。
それを俺らは「効く」と表現する。
ただし全くでたらめばかりしているわけでもないよ。
たとえば皮膚の電気抵抗値を指標と考え、どこをどのようにすれば抵抗値の低減が図れるのかを試行錯誤してゆく。
おそらくはどのようなアプローチでもこれは実現できるはずだが、経過観察を経てこれが(おおむね)健康に寄与しているとわかれば、それで十分実用的とする、とかね。
古代からある経験則を見いだす方法論を、やや現代的なつまり客観性を担保できそうな方法で調べる。
医学的でもないし、ましてや科学にはほど遠いが十分患者さんの期待には応えることができるだろう。 >>185
> では、なぜ術者の意識状態が治療効果に影響するのでしょう?
多分だけど「生き物はそういう風にできているから」だろう。
そのメカニズムについてはいろいろいわれているがどれもしっくりはこない。
が、多分以下のようなことも関係しているような気がする。
納得とは実感を伴う経験から生まれる。
それは揺るぎないものであり、自身の中では厳然とした事実として定着する。
そういった心理状態はなぜか患者さんにも「雰囲気」として伝わる。
まあこれは双方においてシステム全体の効率を上げるよね。 >>186
そんなレベルなら別に鍼灸じゃなく
黒魔術でも高価な壺でも何でもいいんじゃないのか? >>173>>188
> システムイメージは記号化(言語化)できないだろうね。
> 当てずっぽうだけど(笑)
まさにその通りだよね。
もっとも本来言語化が必要ないように「師弟関係」の中で大事なことを学ぶのだろう。
俺も修業時代は「みて覚えなさい」といわれた。
それは言葉で教えないのではなく、大事な部分は言葉にできないからみて師匠の治療の真意をおまえなりにくみ取れ、という意味だと知ったのはずっと後になってからw
システムを師匠はどのようにとらえ、どう対処しているのか。
自分でそのシステム以上に対処するとき、どのようにアプローチするのか。
自分で考え納得し、それを答えとしなくちゃいけなかったのだが、どこかに万能の公式みたいなもの、それはつまり完全な客観性を有する真実とその対処法があると信じて疑わなかった。
まごう事なき愚か者だった。 >>189
> >>186
> そんなレベルなら別に鍼灸じゃなく
> 黒魔術でも高価な壺でも何でもいいんじゃないのか?
その通り。
別に鍼灸などにこだわる必要はない。
効く効かないを突き詰めるなら、基礎的な知識すら必要ないかもしれない。
もっとも社会的にはそれではつらいが。
ただし一部の人間を除いて他に明らかな影響を及ぼせるようになるまでには、結構な時間や経験が必要だ。
その間あまりに自分が信じられない方法論に頼るのはつらかろう。
俺らは方法そのもので何かをしているケースは少ない。
しかし方法を通して何かを学び、そして何かに影響を及ぼす。
それがどうやら患者さんの利益になっていることは結構ある。
それはプラセボなのかもしれないが、それをうまく引き出せるならこれに勝るものはなかろう。
理論を学ぶのは、それは先人たちの智恵に触れるためだ。
そこには経験から来る膨大なノウハウがあるからだ。
なぜそのとき先人は感じ、そして実行したのか。
そこにはどのような背景があったのか。
それを勉強するのは、俺らのような職人にとってはとても大切なんだ。 東洋医学の治療家のほとんどが>>191と同じ意見なのか?
これって詐欺にちかいぞ >>192
> 東洋医学の治療家のほとんどが>>191と同じ意見なのか?
> これって詐欺にちかいぞ
俺と同じように考える人間ばかりかどうかはしらん。
ただ長期間臨床の場に立ち、その効果を実感し、そしてメカニズムの勉強をしてきて、そして生理的な事実との乖離に挫折(笑)した人間は少なくないはずだ。
そこを起点として考えてゆくとその先にある答えの一つが「本当に技術が功を奏しているのか?」という疑問符付きのものだったりする。
少し考えてみてくれ。
西洋医学の、生化学をベースにした方法論というのは、そんなに予想通りの結果をあげているのか?
むしろそうではないケースが多いと思うぞ。
もちろん名医はいるだろうが、それだってびったり計算通りということはあるまい。
外傷の緊急処置などはさすがだなと思うが、慢性疾患や機能的な問題は事実上手のでないものの方が多いような気がするのは俺だけか?
念のためにいうが、それが無駄とか何とかくさしているわけではないぞ。
俺が言いたいのは「正体不明の対象を相手にするというのは、そんなにうまくはいかないし、いったとしてもこちらの思惑通りに動いたかどうかわからない」ということだ。
俺らのようにそのアプローチが明確な基準に沿っているとはいまいち言えない方法論を採るならなおさらだ。
それでもなにがしかの利益を還元しているのは、俺らが想像する以外の機序が働いているのではないのか?
だからそれを利用できるなら、別に占いだろうが有酸素運動だろうがかまわないと思うわけだ。
俺らはずっと勉強してきたことを通してそれを利用する。
それだけだ。 >>193
追記
効果を現すために必要な要素がどんなものであるかはわからない。
全く不明といっても良い。
ただし練習次第で誰にでも使えて、特別な能力は必要なさそうだとは思う。 西洋医学もたいして効果をあげてないってのは俺の知り合いの鍼灸師も言ってたな
だがだからと言って東洋医学も効果をあげなくていいというものでもないだろう
その根拠が納得できるものであるか?ということが大切なんじゃないのか
とりあえず東洋医学は
やはり俺の思った通りのものだったということで俺的には終了 >>187
>多分だけど「生き物はそういう風にできているから」だろう。
説明するとなると容易ではありませんよね。
ですが、それなりの臨床家であればこの現象を否定する方はいないと思います。
>そういった心理状態はなぜか患者さんにも「雰囲気」として伝わる。
>まあこれは双方においてシステム全体の効率を上げるよね。
スレとの関係で控えめな感想なのかもしれませんが「雰囲気」として伝わるどころか
実際の臨床現場ではかなりシャープな現象として現れます。
むかし先輩たちが言っていた「ツボは効くのではない効かせるのだ」の意味はこれのようです。 >>179
そのネッシーウンヌンの例えは筋が悪いね。 >>195
> 西洋医学もたいして効果をあげてないってのは俺の知り合いの鍼灸師も言ってたな
> だがだからと言って東洋医学も効果をあげなくていいというものでもないだろう
> その根拠が納得できるものであるか?ということが大切なんじゃないのか
> とりあえず東洋医学は
> やはり俺の思った通りのものだったということで俺的には終了
東洋医学も効果を上げなくていいとはいっとらんよ。
ただその説明は万人を納得させられるものでは到底ないし、一般化も永遠に無理だろう。
根拠の納得は個々人によってあったりなかったりするものだから、施術側に確信があれば問題は無い。
被施術側は効果が納得できるものなら特段問題は無かろう。
いやなら来なくなるだけだし。
なかなかおもしろいやりとりだったよ。
また議論しような。 >>199
ありがとう。
特にいちばん上のヤツの幻肢痛のところは勉強になった。
ただ、講師が少し怪しげなところが良いこと言ってるのにもったいない。
現場では子宮を摘出しているのに生理痛なんていうのも多く経験する。
★おそらく女性にとっては長年にわたり毎月のことだから
★脳に不可逆性に記憶されているのであろう。
おそらくHKが腰痛の患者様の中には上記のような方もおられるであろう。
こういう場合、子宮切除している場合の生理痛も
普通の生理痛と同じ治療なのでしょうか。
これは反対側はないよね。
カイロや鍼やマッサージではどのような治療をするのでしょうか? >>200
よく分からないが子宮摘出後の腰痛も生理痛というのかな?
それと★を二つに分ける必要は無いのでは。 子宮摘出後の腰痛ではなく
子宮摘出後のHK(主訴)が生理痛の患者様のことやその場合。
実際には「腰が痛いです〜」と来られるだろうから
その場合はムスケル(筋肉の緊張とかと治療が同じでしょうか?
ということが言いたかったのです。
★をたくさんつけるのは単なる趣味です。 >>197
筋が悪いというのは
こういうときに使う表現ではない >>203
例えの使い方が間違っている、という意味だったんだけどね 言葉、意味、イメージの齟齬。文字コミュニケーションはホント難しい。
言語文字思考もホント歯がゆい。分離性がゆえに。 現象が知覚を動かし、知覚が現象を動かす。
「痛みは怒りである」という見解があるらしい。怒りは乖離であるのだと思う。
危機や感情の抑圧からの防御反応なのだと思う。乖離させなければ自我が押し潰されるのではないか。
感情は流れ行くもの。記憶が、言語活動が怒りを増幅させる。
痛みはどうやら痛覚物質などの物性のものと心性のものがあるらしい。
「アポトーシスと炎症は親戚」という見解があるという。危機を察知して自害するものと
危機を察知して治癒反応を起こすものとが親戚だということなのか。
メルロポンティは両義性だがボーアは相補性。量子力学の父ボーアの思想の根底は陰と陽、東洋思想である。
知覚には現象が必要だし、現象には知覚が必要だ。
こんなことうだうだ考えていても金にはならない…(笑) オカルトとプラセボをごっちゃにしているのがおかしいな ごっちゃにというか概念メタファーなんだろうね。
ラマチャンドランの☆キキ、δプパとか隠喩(メタファー)、抽象化の話の領域だろうね。 >痛みは怒りである
プシコ的な発想ですな。
では、かゆみは?シビレは?となる。
「かゆみ」も「シビレ」も痛みと同じ平面で延長線上にある。
すなわち両者とも痛みである。
ならば「かゆみは怒り」?となる。
ここは意見が分かれるところだろう。 >>209
>プラシーボは立派な医療行為なのにね。
このインフォームドコンセントの時代に立派とは言い難い。
だいたい医療行為として成立しないだろう? >>211
正確には
>「痛みは怒りである」という見解があるらしい。
という、非常に曖昧な意見なので、突っ込んでもしょうがないですね。 >>212
臨床経験が無いね。
お前はケンメリ、ウメヤス、オーソ、ゆーレベルか?
プラシーボが医療行為でないと言ったら
精神科や心療内科の医師たちにバカにされるぞ。
またプラシーボの薬でも処方箋料は堂々と請求できる。
この薬の名前がわからないようでは、この議論には参加できない。 免許のうpはどうなったんだ
講釈はいいから早くうpな >処方箋料は堂々と請求できる
保険で請求できるということですよ。 >>211
唯物論、科学万能主義でなければプシコ的な発想でも仕方なかろう。
物や事のふるまいに執着して研究に没頭するのもプシコ的ではある。
まあ、オレは痛みをなんとかする方法だけを欲してるわけでもないし。
痛みを軸に話を展開すればそういう話にもなりますよね。
何かにフォーカスをあてて話を広げ、また違う何かにフォーカスをあてて話を広げ、そこに何らかの
繋がりを見いだし意味付けする。みんないつもしていることなんだろうけど。
痛みを痛みと名付けてある程度の共通認識になる前からそれはそこにあったし、痒み然り、しびれ然り。
経済を経済学とする前から経済はそこにあったし、ましてや経済の前に所謂、経済と呼ばれるやつは
そこにあった。心理学だって物理学だって。宗教だって東洋医学だって儀式化する前に、意味付けし
その意味に乗っ取った行為があったのではないか。それが行為だけ真似て儀式化、形骸化されてしまい
意味が取り残されてしまった。
って、なんの話してたんだっけ?(笑)まあ、痛みも意味も主観からは切り離せませんな〜 >>217
医療従事者で科学万能主義の人って極めてレアーだと思いますよ。
フラスコを振って研究している時ですら
現在の科学では証明できない、ありえないようなことによく出会いした。
もちろん、それらも科学であると言われればそうかもしれませんが。
また唯物論に関しては心身医学や精神医学を学んだ者は全否定してくるでしょうね。
ただ最近では「こころ」の部分も唯物論で解釈する専門家も増えてきています。
こころもしょせん、何らかの物質が心を動かしているという学者も増えました。
理由はクスリで心が動くからということだそうです。 >>214
お前さんが病気になった。
医者は「薬を出しますがこの薬はあなたの病気を治す効能は薬理学的にはないことが
わかっています。ですが、もしかしたら理由はわかりませんが効くかもしれません。」
と説明を受けたらお前さんはその薬をもらうかい? >>220
医者の説明は不十分ですね。
「副作用は出ないはずですが、もしかしたら出るかもしれません」
を付け加えようか。 >>219
それらはプシコ的発想の引き合いに出したみたいなものなので。
ところで幻肢痛の対極にあるようなこれは医学なのでしょうか?
http://x51.org/x/05/03/2551.php >>220>>221
偽薬は臨床上使われていますよ。
それと副作用が出ない薬はない。あるとしたら正作用も無い。 >>220
お前は臨床経験が無いどころか医療関係者ではないな。
どうやらお前はプラシーボについて全く知らないようだ。
224のゆとり教育さんが正解です。
プラシーボの薬を処方する時に「この薬は効きません」と言って出さないよ。
むしろ逆で「この薬はものすごくよく効きます。」と言って処方箋を出します。
私のケースでいちばん多いのは軽い不眠の症例。
簡易精神療法と生活指導などして
「これでよく眠れるようになりますよ」とムンテラしてプラシーボの処方をする。
私は軽い不眠ぐらいでハルシオンやマイナーをすぐに処方する医者には否定的です。 >>224
ゆとり教育さんはいつも真面目に紳士的だから私も真面目に答えますね。
最近はplaceboは偽薬とは訳しません。
なぜなら決して「ニセ」ではないからです。
もしplaceboを偽薬と訳している医師がいたら、学会や論文で勉強していない医師だと思って下さい。 プラセボの訳は偽薬ではないですね。
本物の眠剤に比べてメリケン粉は偽の薬。
信頼している医師はカルテに、偽薬でも効果がありそう、と書いていますよ。 ちなみに実際にはメリケン粉は使いません。
おそらく大学病院の薬局でもメリケン粉は置いていないと思います。
placeboにメリケン粉を使うというのはおそらく都市伝説だと思います。 >>225
嘘ついて処方してんのか。
わたしが患者なら御免だな。
今やインフォームド・コンセントは常識だ。
プラセボ錠を出すなら「この薬は薬効はありませんがこれこれこういう理由で効果が期待できます」
という少なくてもプラセボのメカニズムが解明されてからにしろよ。
なによりプラセボ錠を拒否する権利を奪うことになるだろう。 メリケン粉は単なる比喩です。
実際は患者側からの無理な薬の要望もあるのです。
薬出しすぎとか検査しすぎとかの批判は多いですが、
全く出さないと、あそこは薬も出してくれん、点滴もし
てくれんと非難する患者さんは多いのですよ。 >>230
さすがゆとり教育さん!
医療の現場をよくご存知ですね。
確かにいわゆる風邪症候群の場合でも
「栄養取って暖かくして寝てゆっくりして下さい」と言おうものなら
「あそこのクリニックは何もしてくれない。受診しても意味がない」と言われることが都会では多いです。
笑ってしまうのは「風邪を一発で治したいから強い抗生物質の点滴して下さい」という患者様の多いこと。
こういう場合こそ、別の意味でのplacebo効果を期待して
『ビタミン剤の点滴』をすることになります。
インフルエンザなどはこれでは無理ですが、風邪の初期なら
病院で強い抗生物質の点滴をしたと思っている患者様にはB2やCの作用も効いて
別のplacebo効果で治ったりします。
このようなplacebo的なもので治ったと聞いた時は「やったあ〜(*^^*)」と思います。 >こういう場合こそ、別の意味でのplacebo効果を期待して
>『ビタミン剤の点滴』をすることになります。
プラセボ効果を狙うならこのように使えばいいのだ。
穏やかな薬を処方してプラセボ効果を発揮するような仕掛けをすればいい。
なにも嘘ついてまでプラセボ錠を処方する必要はない。
第一、プラセボは裏技だよ、医療行為の前面にはだせない。
医者が場合によっては薬効のない薬を嘘ついて処方するなんてことが
広まったら本物の薬を処方されている人でも病が長引けば不安になるだろう。
医者がこんなところで胸張って言うことじゃないんだよ。 >>234
>医者がこんなところで胸張って言うことじゃないんだよ
2ちゃんだから言えるのだ。
院内で言ったら院長には「経営を考えろ」と言われ
ボケ那須には「もし治らなかったらどうするつもりだったのですか」と批判される。
またカルテもplaceboは苦労するのだよ、どうせ事務方しか見ていないけど。 ビタミン剤はプラセボには関係なく効果あるだろ
内科でポポンS錠を処方されたときは驚いたがな バイラスが原因である風邪症候群には効果無し。
ビタミンCの大量投与で効いたという症例報告はあるが相手にされてりない。
風邪の初期のビタミン剤投与は発熱による脱水防止と食欲減退による補完など。
風邪の時のビタミン剤のDIPはほとんどプラシーボと言える。 ビタミン剤は病中病後の体力消耗回復と滋養強壮の効果があるのではないのかね?
誰もウイルスが殺せるとは思ってないよ
てゆうか、わざわざ患者が風邪で病院に来てるのに家で寝とけはないだろ このようなくだらん議論で堂々巡りしているのは、
医者が医療・医術のみ追求し、医学を蔑ろにしてきたためだな。
薬屋にアゴアシ付きで飼われている馬鹿医者どもが上にいる限り、
患者不在の「医療」が続いていくのだ。 このスレには医者がいるようだけど医者は東洋医学ことに東洋医学による鍼灸をどう思っているのかな? >>231>>232
あんたがあまりにも実態を知らずに書き込んでいるから、当たり前の
ことをわざわざ書いたのですよ。
多くを病院勤務で過ごしているから、あんたたちよりは病院に来られる
患者さんや医師のことをよく知っているだけですよ。
正確な知識と現実を知って正当な批判をするなら良いんだけれど、
単なる思い込みや聞きかじりで病院を批判する人が多いね。
>>233
最初から点滴希望とか入院希望とか言ってくる患者さんも多いです。
>>239
単なる風邪なら家で寝てるので十分ですよ。それなのに注射もしない、
薬もくれないと言う患者さんがいるのを問題にしているのだ。
>>240
あんたそれは逆だろ。医学のみを追求して医療医術をないがしろにして
きた、という批判があるんだよ。それにいまだに薬屋に〜という奴がいると
は驚いた。 >>239
医療の現場を知らないようですね。
>誰もウイルスが殺せるとは思ってないよ
ビタミン剤の体力消耗回復と滋養強壮の効果で間接的にけっきょくバイラスを殺すという説を唱える学者もいる。
>わざわざ患者が風邪で病院に来てるのに家で寝とけはないだろ
インフルエンザならともかく風邪の初期なら
暖かくして水分と栄養を補給して安静にしているのが最適だと思っている。
薬を処方するとしてもその患者様の証に合わせて、漢方薬ぐらいか。。。
★抗生物質の点滴なんて絶対に間違っている。 >>240
>薬屋にアゴアシ付きで飼われている馬鹿医者どもが上にいる限り、
もう全国的に今年の4月からプロパーさんによる接待は禁止となりました。
ちなみにウチの病院は以前から内規で接待禁止となっておりもらって良いのはタオルと石けんのみです。 >>241
私は漢方薬を処方しますので他の普通の医師よりは東洋医学には少しだけ足を突っ込んでいます。
ただ、基本的にはバリバリの西洋医学です。
ただいろんな鍼灸やカイロの方にお会いして、鍼灸の奥の深さの驚き
現在勉強中で、いずれはお互い「良いところ取り」で
★患者様に対して総合的に継続的にケアーしていければと思っています。
ちなみに一昨年あたりからはカイロの勉強もし始めました。
これは、自分がカイロをするという意味ではなく
患者様を紹介する時に「共通の言語」を持ちたいからです。 >>242
> 正確な知識と現実を知って正当な批判をするなら良いんだけれど、
> 単なる思い込みや聞きかじりで病院を批判する人が多いね。
オレに言う前に>>230を患者様に行ってやれ。病院や医師、その近辺の現実には興味ないし。
まあ、世話になることはあるけどね。
オレは生命現象や思考に興味あるだけ。だから>>230が言い訳っぽくてツッコミ入れただけ。 >>246
>その近辺の現実には興味ないし
自分で、正確な知識と現実を知らず思い込みや聞きかじりで言っている、
と白状しているのと同じですな。 >>247
確かにその近辺の正確な知識と現実は興味もないから知らないが
君もオレが興味あると思い込んでレスしたんじゃないの?
オレは病院が医師が薬がどうのとは批判してないよ。 だからその「正確な知識と現実」ってやつを患者様様に言えっつうの。 >>248
「確な知識と現実は興味もないから知らないが」 ってW
正確な知識はウメのように無いとしても
興味が無いというのは医療関係の人ではなかったのか。 >>249
だから、医療側ではない患者側のアンタに説明してるのだW >>248
違うな、無知を指摘しただけ。
>>249
もちろん医師は薬が必要なければそう言うよ。
言われた患者さんは、それでも出してくれとは言えず、あとでそれを愚痴るんだろ。 わざわざ無理して病院行って何もしてくれないのはイヤだな
仮に寝てれば治る程度の風邪であっても、とにかく病院まで来てるんだから
葛根湯出すなりビタミン剤出すなり、点滴するなりして欲しいもんだ
無理を押して仕事せねばならない人は点滴してもらうとやっぱり全然違うと言うよ >無理を押して仕事せねばならない人は点滴してもらうとやっぱり全然違うと言うよ
だから、それこそがビタミン剤による広い意味での「Placebo効果」なんですよ。
そのくらいにしとけば良いのに「抗生物質の点滴を!」と言い出すからおかしくなる。
この場合は、良い意味でのウソをつくことなる。
カルテを開示請求されたら嘘つき医師だと言われるから
自信のないアホ医師たちは患者様の要求されるまま抗生剤の点滴をしてしまう。
インフォームドコンセントは素晴らしい概念だが、
Placebo効果を狙う場合には弊害もあるということ。
★いわゆる風邪の初期(合併症が無い場合)こそ「Placebo効果」を狙っての治療が良いと思っている。 ウイルスにはタミフルだのリレンザだのあるんでしょ
早ければ早いほど効果があるそうじゃないか
寝とけば治ると医者に以前言われたからと思って医者に行かず悪化したらどうすんの? >>252
筋が違うな。まあ、無知の知だから無知でもいいけど。
君の中の「正確な知識」ってやつで君が患者様様に「現実」を啓蒙すればいいじゃないか。 >>255
体調が悪い時に病院ん行くのは問題にしていないだろ。
薬が必要な病気もあるし必要ないのもあるだけのこと。
>>256
ちょっと話がかみ合わないね。
しかし>253の様に薬が出ないと不満という患者さんがいるね。 オメーが奇妙な医者擁護をするから医者(らしきやつ)もオメーを擁護せざる得なくなるんだろw
さすがエサをくれる主人には忠実だよなw >>258
医者擁護とかそういう問題ではないだろ。
上記のお医者さんもゆとり教育さんも当たり前のことを述べてるだけ。
お前のような患者がいるから、医療費は膨大していく。
もしくは医者コンプレックスの奴かW
医者ともお互いに仲良くやっていくのにどこが悪い? >>260
>おまえの横柄な態度が不愉快なんだよ
医療従事者にコンプレックスを持っている低学歴のお前がバカだから不愉快なのだろうw
悔しかったら勉強しろよw
せめてアホでも入学できる関西医療大学ぐらいは卒業しとけw ゆとり教育にコンプレックスを持ってる奴を初めて見たwww
ゆとり教育も梅安やオーソがいなくなって自信を自由に発言できるようになったな。
これからもガンバレよ。 >>254
これねー、医療経済学的な問題になってくる
本当にただの風邪だったら、抗生物質を出す必要はない。
でも、万が一風邪じゃなかったら? 最悪、敗血症を見逃してしまって患者が亡くなったら?
その医師は訴訟を起こされ、キャリアを棒に振ってしまう
本当に風邪か検査すればいい? 検査コスト>抗生物質の価格 だったり。
だから多くの医者は、とりあえず抗生物質を処方してしまうという。。 まあまあ、みんな熱くならずにクールダウンしようぜ。
俺がみるに「治癒」という現象の認識に少し齟齬があるように思える。
プラセボ効果を「本来の治癒反応以外のもの」と考えてしまうと許せないのかもしれないが、ほとんどの場合はこれ抜きで治癒という反応を記述することはできないよ。
何しろ普通は意識を保ったまま治療を受けるんだからさ。
逆に投薬や外科的手段で問題(と思われる)部分を完全にたたいたとして、その後の体内での反応、状況はやはり心理面の影響なしでは語れない。
つまりプラセボ効果というのは臨床においては重要な要素とみるべきなんだな。
というかこれを経由しないで起きる(試験管の中などでの)反応というものは、確かに重要な課程でもあるが全体としてはやはり「一部分」としてみるべきだろう。