ヤマハに対する高評価がうれしいです。
私の父は電子部品関連の部署でしたが
浜松市中沢町のヤマハの社宅で幼い頃を過ごした私は
友達のお父さんで木工部門に勤めていた方々をよく知っています。

ご承知の通り、ヤマハは本来ピアノなどの楽器メーカーです。
なぜ家具を?・・・というのは当然の疑問でしょう。
ピアノの椅子など、ちょっとした家具部門から大きくなった部署だと思います。

ピアノやバイオリンは、芸術品として、要求される木工の技術水準が
家具など他の木工の分野とは、全く次元の違う高度なものでした。
百年経っても一ミリの狂いも許されない製品作りが当たり前でした。
なにしろライバルはスタインウェイやストラディバリですから。
こういう中から日本有数の木工技術を持つメーカーに人知れずなっていきました。
既に戦前に国会議事堂の本会議場の演壇(桜材だそうです)などもヤマハが施工しています。

ピアノは高度成長期まで、女の子が生まれれば必ず売れる時代が続き、ヤマハは無借金経営でした。
しかし、安価な電子楽器の登場で、売れなくなりました。
カシオなどの非楽器メーカーが一万数千円の電子キーボードで参入してきたので
一台50万円もするピアノなどは、どこの家庭でも買わなくなったのです。
主力の木工ピアノのビジネスモデルが崩壊したので、おまけの家具部門もそのあおりをもろに受けました。
同族経営の弊害が目立ち始めた1980年代からヤマハの経営は迷走低迷します。
スポーツ用品、家具などの赤字部門は次々にリストラされました。
家具は社員でさえ買えないほど高価でしたね。技術は最高でしたが。
ヤマハ家具の黄金時代を担われた方々は、今では退職老人です。
自分の一生を捧げた仕事が老境になってから消えるという、厳しい人生です。
でも、皆さん、表面上は快活に生きていらっしゃるのが、せめてもの救いです。