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1940年、加藤正平が借りた木材で木箱を作りました。
ここからカリモクの歴史は始まります。

1942年、太平洋戦争に突入すると、鉄砲の銃床などを製造するようになりました。
均一すぎる品質のため、「ほんとは木じゃないんじゃないのか?」という疑惑が
生まれ、"仮木"と揶揄されたりしました。

1945年、終戦により余った銃は密猟に使われるようになり、
"狩黙"、または"雁目"と揶揄されるようになりました。

1947年、愛知県刈谷市に株式会社を興し、"刈木"と呼ばれるようになりました。