安部はオリンピック招致の際、各国のマスコミに向けて何と言ったか。
福島原発の汚染水漏れについて、

「わたしの責任において、必ず収束させると約束する」

と言ったのだ。日本人に向けてさえ言ったことのないセリフを、外国のマスコミに向けて言ったのだ。

本来ならこのセリフ、オリンピックがあろうと無かろうと、問題が発生した時点で国民、特に福島県民に向けて言うべきだろう。
それを言わず、オリンピック招致の席で、外国に向けて言ったのだ。
すぐに国民に対してするべき約束をせず、オリンピック招致の時になって外国に対してするという姿勢。

これはまさに、「福島県民のための事故収束」ではなく、「オリンピックのための事故収束」に他ならない。
つまり、安部は自国民など見てはいない。自国民のことなど気にしていない。
気にしているのは「外国からの目」なのだ。
安倍にとって重要なのは表面的な体裁であって、もっとも大切な中身であるはずの自国民はどうでもいいのだ。

そのことがまことに分かりやすく、如実に表れたエピソードだった。

この「中身よりも体裁」という姿勢は、「アベノミクス成果あり」の宣言にも表れている。
「平均値」という「見た目」がよくなれば、それが安部にとっての成果なのだ。

もともと普通かそれ以上の水準の生活ができてきた人の所得が上がれば、それで平均値は上がる。
でも、不安定な派遣で食いつなぐような苦しい生活をしていた人々は、少しは楽に生活できるようになったのか?
本来ならばもっとも救われなければならない人々は、ちゃんと救われているのか?

それは、苦しい生活をしている人それぞれが一番よくわかっているはずだ。

見た目の平均値が上がれば、それが誇れる成果。安部政権とは、そういう政権なのである。