もう終わったことですが、書かせてください。これで兄との腐れ縁を切りたいので、

私は親のー介護で鬱病になった。五年母親を看取った。

兄夫婦は両親の介護を押しつた。おかげで自分は仕事やめて介護で背一杯。
でも兄夫婦がサポートしてくれれば仕事辞めなくてよかったと思うんだ。俺だけ犠牲になった感じ。
当然結婚なんて無理だった。流石に結婚相手に親の介護を押し付けられないからね。父親に母親の介護させるのも無理だった。次男の俺から見ても父親が認知症が進んでいる事はわかった。

父親が自動車事故を起こすと尻拭いは全部自分がやった。兄は関与していない。必ず相手カンカンに怒らせてしまう。事故現場から立ち去ろうとして、逮捕寸前になったことも。
運転はもう無理と言っても、いうこと聞かない。認知症を疑っても、通院も拒む。警察に相談してもそこが警察の限界なのか、免許証を取り上げは無理だった。返納の相談にも応じてくれない。
驚いたのは母親が亡くなった遺産で車を買ってきたこと。ワガママなところは子供だった。事故の多さで任意保険には入れないのに。
でも腎臓病と認知症がが進んで一年半には運転は無理になった。

兄は親戚には自分の都合のよいことしか言わない。当然嫁の兄弟や両親にも同じ事を言っているだろう。
兄は俺のうつ病は嘘だと暴言を吐いた。医者からの診断で障害手帳が出ていたんのにね。
昔は仲の良い兄妹だっだけど、結婚して、創価嫁に染められたようだ。結婚前は学会活動などしてなかった。結婚後は両親弟より創価と嫁の方が大切になったyいうだ。
創価では両親を大事にしろとおしえてるはずなんだが、母親のために会社を休んで、病院へ連れて行ったことなんて一度もない。公務員だから介護休暇は一般企業よりとりやすいはずなんだが。

母親が亡くなる前まで知らない。なので担当医と兄が病状について話をしたことはない。
親を大事にしろと甥っ子に行っておきながら、大事にしてない。言ってることとやってることが違うよね。また兄嫁が出てきた事は一度もなかった。

やっと兄が出てきたのは父親の認知症が進んでから。
兄からは父親は厄介者だと直接聞いた。もう呆れてしまったよ。父親を父とおもってないと俺の目で言った。その言葉には自分がこの世に存在する理由も感謝もなかった。