見返りを期待する親

何かしら苦痛を伴う行為を行う時、人は必ずそれ相応の見返りを求めます。
ボランティアも決して例外ではなく、他人に施した際の感謝や笑顔などを
心のどこかで求めているはずです。
そうでなければ、わざわざ無償で他人の世話などしません。

感謝の一言どころか、恩を仇で返されても奉仕を続けるのは
献身というより、一種のマゾヒズムでしょう。

それは子育てにも同じことが言えるのではないでしょうか。
あれだけ養育費がかかるものをわざわざ産むのは
それ相当の見返りを期待しているはずです。
そうでなければ、誰も育児というリスクを背負わないでしょう。

「生きていてくれるだけでいい」という親は稀でしょう。
稼いだお金で学校に通わせるのも、タダでご飯を食べさせるのも
すべては見返りの為であって、親孝行とはおそらくそのことでしょう。

なつかないというだけで幼い子供をなぶり殺しにする虐待親は
あまりに極端な例ですが、他の親も殺すか殺さないかの違いだけで
恩を仇で返された時の反応、子に対して頭に血が上った時の心理。
それらはやはり自分の思いどおりにならない苛立ちという
同じ動機に支えられていることは確かと思います。

子供に何を期待するかなんて親の勝手かもしれませんし
他人の私が文句を言う筋合いではありません。
でも、子供は親の道具ではありません。
社会適応や親孝行という、半ば義務である使命を背負わせるのは親です。
自分から甘い蜜を与えておいて、後に子供が反発したときに
「誰がここまで育ててやったと思ってるんだ」というのは理不尽ですね。

己のスケベ根性も忘れて、思い通りにいかない相手を罵倒するというのは
みっともないことですからやめたほうがいいと思いますよ。