母親の死がこんなにもつらいとは・・・その39
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お母さんが亡くなってしまった人達が語り合い、励まし合うスレです。
悲しみがいつまでも拭い切れないという人、ここで相談してみてください。
・荒らしは徹底放置。
・荒らしが長期間発生した場合などは下記の避難場所も活用してください。
母親の死がこんなにも辛いとは 避難場所 Part.5
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/23267/1527598711/
※前スレ
母親の死がこんなにもつらいとは・・・その38
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/jinsei/1568806487/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured >>388
映画デイアハンターのテーマ曲カヴァティーナ(ギターソロ)や横にいて語りかけてくるような
フランシスコタレガのラグリマ(涙)やリストのコンソレーション(慰め) 家の中で聴いています。
母親の事思い出して。 >>393
私は事情があって親類縁者やかつての友人知人たちと絶縁しているせいで、私たった一人の葬儀でした
母には寂しい葬儀しか行ってやれず本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです
仏壇も無かったので、亡くなってから仏壇仏具を買いました
ですから葬儀の模様は私の頭の中にしか残っていません
一時期、私は母が世界旅行の船旅に出かけたのだと思い悲しみを紛らそうとしていました
また、私の身体の半分は母から貰ったもので、母は私の身体の中に生きていると思うようにしていました
しかし、それは長く続きませんでした
母が亡くなって居なくなったという事実の方が圧倒的に大きかったからです
今は母が亡くなった現実を直視し素直に受け入れ、どう対峙し生きていけるかを模索しています >.>395
私も実は、事情があって一人で葬儀を行いました。母親も望んでいた様子だったし、自分も決めていた所があったから。
もし、呼んでイヤな思いをして大事なものが汚されるような気がして。
親を亡くして、それをどう受け止めていくかは人、それぞれ答えがちがうものかなと思っています。私の身体の半分は母から貰った
ものという言葉には、共感します。だから亡くなった時、体の半分を失ったようで。これを補えるものはないだろうなと。
母親が、いなくなった喪失感は何か違うんですよね。もし、母親に会えたらお母さん今、こんな気持ちだよと話したいです。 私も当初独りで葬儀する予定でした
兄弟疎遠だからです
母の希望もありました
母は生前、派手な葬儀を嫌っていたんです
戒名なし、僧侶なし
結局、弟夫婦が参列しましたが母と弟は仲が悪かったため、弟は無愛想で、お線香すらしませんでした
正直、気分悪くなりました
こんななら独りで見送るべきだったと思いました
今は空き家となった家を独りで片付けてます
母への最期の親孝行だと思ってます
お独りで見送られるなんてすごいことだと思いますよ 今日はお母さんが亡くなって初七日だから面会に行って来た
ダメだ、今日は安置所に着いた時点で泣いてしまった
一時的だけど経本と供え物をあげ焼香してきた
お母さんを失った悲しみは、日を追って増すばかりだよ
どうか、お母さん、安らかに休んで、いつまでも私を見守ってね ラジオを録音して聞かせてあげたというのでふと思ったけれど、生前の声をむしろ録音して残しておきたかったと常々思う
何故か身近にい過ぎて写真や動画や声を撮るというのが不自然でやらなかった
その時に残せばいなくなった後も生きてる姿が見聞き出来る >>399
突然死だったし、娘としては自分の分身のような存在だったので、動画は取ってないです
一緒に撮った写真も少ない
母の動く映像を見たかった
声はたまたま留守電に残ってた 続きです
前にも投稿しましたが、
留守電の母の声を時に聞いてます
寂しい時、留守電を聴いてます
一瞬嬉しいけど、なぜかつらくなります
声を聴くと会いたくなる、でももう2度と会えないのがわかってるからかもしれません 携帯の留守電に二つメッセージが入っていて亡くなったその日と翌日には聴いたけどもうしばらくは聴けない
涙が止まらなくなるから
安置所でいくら話しかけても冷たくなってしまった母
火葬して小さな骨壷に遺骨に納められてしまった今はもう写真も声も悲しすぎて聴けない
色々手続きを済ませたけどやっぱり心の中で母の死を受け入れられない受け入れたくない気持ちが強い
また帰ってきたら、お帰り〜って言ってくれる気がする
そしてやっぱりお母さんはもういないんだと我にかえる日々です お母さんが旅立って8日、毎日何十回、何百回お母さんと呼んでいるのだろう
お母さんが意識があるうちに面会できたのは2月が最後になってしまったね
今日からお母さんの遺品の整理を始めるからね
本当はそんな気力も体力もないのだけど
お母さんの戒名作ったから位牌を発注したよ
別世界でも安全に暮らせるよう災厄を払いのける言葉とお母さんが長年続けた仕事、そして私とお母さんの名前から一文字ずつ取り入れたよ
いつまでも一緒でいられるように…
看護師さんによると、お母さんは意識を失うまで私の名前を呼んでいたそうだね
ずっと側にいてあげられなかったのはコロナのせい
まさかこんな事にコロナの影響が及ぶとは思わなかったよ
コロナが憎くてたまらない まともな人間が
月曜の朝から
糞5ちゃんなんか居座るかよw お母さん、また会いたい
くだらない話して笑いたいよ
お母さんのいない毎日なんて現実とは思えない
お母さん、大好きだよ >>405
頼むからこんなレスはスルーしてくれよ。ごめん。 お母さんが昨日亡くなりました。悪性リンパ腫からの肺炎。明日お母さんの旅立ちに立ち会ってきます。
結婚の事で心配してくれてたお母さん、最近結婚してお母さんの亡くなる前日に病院の好意で5分間だけ会えて報告出来ました。 私の家は無宗教だけど、とりあえず葬儀は仏式で行うつもりで、但し僧侶には頼まず、戒名は自分で調べて作成した
その位牌が今日届いた
母が亡くなって間もないこともあるけど、箱を開けて位牌を見たら号泣してしまった
改めて母が本当に亡くなってしまったこと、この世から居なくなってしまったこと、こんな小さな位牌に母の霊を祀ることになったことなど、かけがえのない人とものを失った悲しみが一気に噴き出した
私にとって母が亡くなったことは、今まで生きてきたなかで最も衝撃的で悲痛だ
立ち直る自信がない… また、お母さんと喋りたい。くだらない事で笑っていたい。 私も僧侶は呼ばなかったです
無宗教だし、母の希望でもありました
戒名ではなく俗名でクリスタルの位牌を作りました
俗名(本名)のが馴染みがあるからです
また、享年ではなく、没年にしました
最近は俗名かつ没年で位牌を作る人がいる、とメーカーから聞きました 母が亡くなってから8月経ったが生きるのが辛くなって来た 辛い時なんか会った時、母親がいないと余計に寂しくて悲しくなります。
ホットする空間が、ない。去年の今頃から面会出来なくなり、夏に退院予定だった。
それなのに、容態急変で亡くなってしまった。意識不明になるまでに、ドクターの許可得れば
短時間でも面会できたとわかり、今でも悔やむ。もっと早く教えてもらいたかった。
毎日、面会できないからその代わり母親の好きなラジオ番組や私の声録音した端末を
持って、母親の様子、看護助手や看護婦に聞いていたのに。面会出来たのに会えなかった
月日の事思い出して、毎日母親にごめんねと話しかける。側にいて母親を、守りたかった。
寂しくて、辛かった母親の気持ち考える。会えたのに、会えなかった時間は、自分に
取ってとても大切な時間だった。父親の時は、側にいなくあっという間に亡くなった。
面会も出来ずに。だから母親は、最後まで介護しても家で看取りつもりだったのに。
母親と家にいる時、時々言っていた。お母さん一心同体だよって。二人三脚だった。
だから心と、体の半分がなくなったようだ。こんな気持ちになるとは、思わなかった。
服装も明るい色着なくなりました。 私には霊感などないけど、お母さんの写真を見ていると、生前と死後では生気がまるで違うのが分かる
死後のメイクをした顔は、今にも笑みを浮かべそうなほど安らかな表情で自然な肌色なのに
当然と言われればそれまでだけど… お母さんの旅立ちに立ち会って来ました。
安らかな顔をしており、今まで数々の心配かけて来てしまったけど、許してくれてるかのような表情でした。大好きだったお母さん。天国で楽しく生きて欲しいです。 母が突然亡くなって2ヶ月
寒い中、独りで死なせてしまい、今も苦しいです
寂しくて、悲しくて、虚しさしかないです
会いたいよ、お母さん 辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い辛い…
天涯孤独だ天涯孤独だ天涯孤独だ天涯孤独だ…
母が危篤状態に陥ってから、いよいよ真っ黒な死の影が
忍び寄り、そして心肺停止が現実となって、私は毎日泣き続け気が狂れそう
時が経つほど悲しみと苦しみは酷くなる一方
あー死んでしまいたい 時間が経てば癒してくれるって絶対嘘だよね
時間が経つほどお母さんに会いたい気持ち、お母さんへの思いが強くなってくる
絶対に絶対に忘れることがない大事なかけがえのない存在だって毎日思って泣いてる 面会も出来ずに、突然亡くなったしまい、取り残されたようです。心の準備が、出来ていなかった。
後、残り、1年とか2年とか言われて毎日面会出来ていたら少しは、気持ちが違っていたかもしれない。
時間が、たっても会いたい気持ち変わらないと思う。母親の事、忘れないように毎日話しかけている。
忘れたら、母親も悲しむと思うし、一緒に母親といる時は、本当に幸せだったから。
意識が、ある時会いたかった。 お母さんは厳しかったけど、優しくて温かくて、誰よりも自分のこと心配してくれました
お母さんがいてくれれば、他に何もいらなかったです
もう一度会いたいよ、お母さん ひどい...
兄嫁が母の着物と帯を勝手に廃棄した。
こんな酷いことして許せない。
他人が勝手過ぎる。
母がかわいそうで涙が止まらない。
ごめんなさい、お母さん。 コロナが憎い。面会謝絶で会えたのが亡くなりそうになった時のたった5分だけ。
寂しかったよね、痛かったよね、ごめんねお母さん。 今日、お母さんの遺品を整理していたら、大量の俳句の中から何と1年前に詠んだ「辞世の句」が出てきた!
母は自分の持病をよく分かっていて、もう何年も生きられないことを知っていたのだろうか?
もう、どれもこれも大切な母の思い出の遺品のは中に辞世の句があったことに驚き、大泣きしてしまった 自分も遺品整理してたら、押入の底から、
私のお願い
と書かれた母の封書が出てきた
痛くつらい思いばかりだったので、延命治療はしないで下さい
静かにいかせて下さい
と書かれていた
数年前に書かれた手紙だった
けど、その手紙のとおり、2ヶ月前、まるで眠るように突然亡くなってしまった 私は母の遺品から、母が祖母を看取った時のメモ書きが出てきた
母の呼吸と目つきがおかしくなり看護婦さんを呼んだ。私はお母さん死なないで、車椅子でも寝たきりでもいいから生きていてお願い!と泣いて叫んだ…
SNSの無い時代メモ帳に走り書きで残された母の日記だった
母も私と同じ気持ちだったんだと知って悲しみは変わらないけれど少しだけ楽になった 私の母は私の祖父の延命を大願して祖父を亡くした。
母は延命治療を望まないと手帳に書いてずっと持ち歩いていた。
真意は後悔の念なのか痛みを感じながら死にたくない本心なのかわからない。
どちらにしても何も知らない私には辛い。 時々、母親が夢の中に出で来る。目が、覚めると温かくてやさしい気分になります。
寂しい思いも、するんだけど。何ともいえない気持ちになります。お母さんの存在の
大きさを感じています。毎日、面会したかった。 ウチは父が毒親に近かったせいで、母も私が幼少期から家庭崩壊していた
その他もろもろの悪い要因が重なって私はダメな人間になった
父は60代前半で私が大学生のとき亡くなり、それからは母と二人きりの生活になった
でも経済的大変なこともあったけど、母は私や家庭より自分の兄弟や他人との交際を優先し、私は放置気味だった
けど、母が70代で病気になり、70代後半には介護が必要になったなった
で、介護事業者も使ったけど、要介護度が低かったために私が殆ど介護する羽目になった
その母が3ヶ月前に80代前半で亡くなった
でも、最後は私の大切さが分かり、自分が家庭や教育をあまりかえりみなかったことを私に謝罪し、親がお前を不幸にしてしまった、どんなに謝っても取り返しがきかないあやまちを犯したと、お前には本当に感謝していると涙を流し頭を下げた
お母さんは何故、最晩年になっていろんなことを悟り私に謝罪したり感謝したりしたの?
そんな中途半端な愛情を示されたおかげで、私はお母さんに対し悲しさ半分憎さ半分な、辛い葛藤を抱えて生きていくことになってしまったよ 自演がんばってる?
お昼だよ
万年引き篭もりも お昼食べな お母さんが生きていたら、何て言ったかな、、
悩んだ時、お母さんは的確なアドバイスしてくれて、何度も心が楽になった
でも、今は独りで対処しなければならず、お母さんが生きていたら人生は違ったのに、と悲しくなります お母さんだったらこう言ってくれるだろうってことたくさんあるけど
生きてたら案外こちらの想定外のこと言われたりしたからなあ
やっぱりこう言ってくれるって自分の思い込みだから本人と話すのとは違うんだよね、当たり前だけど
本当にいなくなってしまったといまだに受け入れられないからそんなことばかり考えてる >>431
母からは長年の経験値に基づいて
こうするといいわよ
といったアドバイスをもらえた
その都度、なるほど〜と納得したよ
身体、健康、料理、洗濯やお掃除、家庭菜園、いろんな生活の知恵も教えてくれたなぁ
今は相談する人もいなくて、
遺影と遺骨に
お母さんならどうしたかな?
何て言ってくれたかな?
と話し掛けてる
虚しい 明日は母の二七日なので面会に行ってくる
* 初七日(7日目)
* 二七日(14日目)
* 三七日(21日目)
* 四七日(28日目)
* 五七日(35日目)
* 六七日(42日目)
* 七七日(49日目)
* 百カ日(100日目)
ニ七日は、故人の命日から14日目に行われる法要です。
ニ七日では、故人が生前に行った盗みの罪について審判されると言われています。
ニ七日法要で少しでも故人の罪を軽減できるように祈ることで、現世から故人へ善を送ることができるとされています。
それによって、今後故人の魂がより良い世界へ旅立てるようになることが期待できるのです。
ニ七日法要で故人にお供え物をする場合、食料品や消耗品といった、形に残らないものを備えるのが良いとされています。
これは、不祝儀が長く残らないようにという気持ちを現わすことになり、線香やろうそく、果物やお菓子がよく選ばれます。 お母さん、あの日以来一体どこへ出かけたの?
今までは、外出するときは必ず直接私に言ってくれるか、書置きしてくれてたじゃないの?
私は毎日お母さんを探してるんだよ
お母さんがいつ帰ってきても困らないように、お母さんが必要なものは全部用意して待っているんだよ
警察に捜索願出そうかな?
今まで黙って居なくなることはなかったのに、今回は私に一言も言わず電話もしてくれないで、どこに行ってしまったの?
私は何年でも待ってるからね! お母さん
もうすぐ
あなたのところへ
行けそうな
気がします 母が亡くなってから食事を作るとどうしても母を思い出して苦しくなる
今ではほとんど料理をしなくなってしまった
毎日つくっていたのが嘘のよう
自分の時間が増え母のことを考える時間も増えたことで余計体調を悪化させてるのかもしれない 母が亡くなって明日で1ヶ月
毎日、お骨と仏壇と遺影に向かってお焼香し
泣き続けています
母の死とともに自分自身も死んだような、廃人同様の生活を送っています
もう何もする気が起きず、部屋は荒れ放題です
母には叱られると思いますが、極度の悲哀感、寂寥感、孤独感、虚無感、脱力感で時間も思考も止まってしまい
身体も動きません 私はテレビを見なくなりました
独りなので誰ともしゃべらない日もあります
母の生前は、スーパーへ行くといつも母の好物を買って来ました
母は喜んでくれて、二人で話ながら食べるのが私の楽しみでした
でも今はスーパーへ行くと空しくなります
亡くなって2ヶ月
悲しみが増したような気がします 母は90歳近い高齢だったけど、自分が死んだら私が天涯孤独になることを心底から心配し辛く思っていたから、認知症を発症してからも、毎日のように「お母さんは長生きするからね」と言っていた
心臓病が悪化して酸素マスクを付けるようになり、意識溷濁してからも、医師が貴方のお母さんは本当に丈夫だねとか、こんな状態なのに何故だか解らないけどご本人は苦しがらないねとか、私にはいささか失礼なというか、悲しいことを言った
それほどお母さんは私を独りにさせられないと頑張ってくれていた
涙が止まらない…
お母さん、とうかゆっくり休んでくださいね 苦しかったの分かってた、苦しくて苦しくて、でも私もどうする事もできなかった。
ゆっくり休んでほしい。
本当に、お疲れ様でした。 お母さん。会いたかった。話したかった。病院の不誠実な対応によって短時間でも
面会出来たのに会えなかった。突然亡くなって。面会していたら状況も変わっていたと思う。
悔しいです。
>>438
私も母親と一緒に買い物するのが、好きでした。一人で今、買い物行くと母親がいればなと
悲しくなります。買い物をして家で一緒に笑顔で、食べるのが幸せでした。
夜は、特に母親を思い出して、、、、。 あー今日も辛い一日が始まってしまった
今、引っ越しのために自分の物と母の遺品を箱詰めしてるけど、全然作業が進まない
母の品を見つける度に、あぁこれはあの時に一緒に行った時だなぁとか、いろいろ思い出して想いにふけって仕事が止まってしまう
私は元々鬱病で薬を飲んでいるけど、それでも辛いのでお酒で薬を飲んで何とか凌いでいる
すさみきった生活、食欲も無いし何を食べても美味しくない、誰とも接触したくないし、何を聞いても興味も湧かないし面白くない
眠っている時だけが苦痛がない時間、目覚めると地獄
眠ったまま死んでしまいたい >>442
私も今、遺品整理してます
両親が相次いで亡くなり、空家になるためです
母の衣服、下着、バッグ、愛用の瀬戸物、全てが愛おしく、なかなか捨てられません
一戸建ですが、母が育てた花が咲き始めました
母が生きていたら、きっと喜んだだろうに、と悲しくなります >>443
私も母の物、使っていたもの、母の痕跡があるもの全てを捨てられません
例えば病院でもらった薬袋に母の字で日付けだけが書いてあっても、母の文字、母が書いたというだけで捨てられません
この薬をもらった頃の母の状態はこんなだったなとか、母はこの日付けをどんな気持ちで書いたのかなとか、いろんなことが頭をよぎります 母が亡くなってから20日以上経つのに、よくもこんなに泣けて涙が出るものだと思うほど毎日涙が枯れない
母の写真を眺めては、いろんな事が心に浮かんで何時間も眺めてしまう
母を失ったことは、これまで生きてきた人生の中で最も辛く厳しく悲しいことだよ
かつての苦労や苦痛など比較にならない 家に一緒にいる時、一心同体だよと話していました。母親が、子供の時お弁当を作るために
朝早く起きて、作っていてくれて、、、。お母さん何で心の準備できないうちに亡くなって
しまったんだろうといつも思って辛いです。 スレチだけどごめん
いたたまれなくなって書き込みした
今父親が危篤で病院にいるんだ
1ヶ月の間に3回も脳梗塞を起こして昏睡状態
9年前には母親が膵癌で無くして今度は父親の番だ
特別に許可貰って嫁と子供3人でお別れの挨拶できた
ちなみに俺は一人っ子の49歳父親は83歳
コロナの影響で1年くらい会ってなかったんだ
危ないから来るなって
無理にでも会いに行けばよかったよ
危篤だから俺は病室につきっきり
昏睡だけど目の前の父親に
思い出話や最近の出来事を話かけているんだ
昏睡状態だから反応はないのわかっているんだけどさ
去年の12月までテニスのシニア大会に出てたスポーツマンの父親が変わり果てた姿で目の前にいる
すまんなぁ、もっとたくさん話しをしていればよかったよ
だめだ、涙目が止まらないんだ >>447
お辛い気持ちよく分かります
でも貴方は私と同じ一人っ子でも、独身で天涯孤独の私と違い、お子さんを3人ももうけ、ご両親を安心させ充分に親孝行できたのではないでしょうか?
ご両親は貴方が幸せな家庭を築けたことを何より喜んでいらっしゃると思いますよ >>448様
ありがとうございます
そう言っていただけると少し心が楽になりました
きっと父親もそう思っていると思いました
なんか逆にこちらこそすみません
448様はとても優しい方なのですね
このような状況ですが448様がなんらかの形で幸せになりますよう、お祈りさせていただきます おかんが死んで半年か
家に居るとふと何時ものように出てくるかなと
思うけどもう居ないんだなと
頭おかしくなった親父はおかんの悪口ばかりならべてるし
もうこの家は俺の居場所で無くなっていくんかな・・・
寂しいおかんにあいてぇよ >>450様
私の場合は離れて暮らしてましたが、お気持ちはわかります
母親が死んで10年くらい経ちますが、私もしばらくは母親が何気ない顔で、買い物からただいまーって帰ってくる感覚や、実家に帰ったらお帰りーっているような気持ちがしました
母親と一緒にいる夢から覚めた朝は辛かったですね
でも、最初は痛い悲しみ、やがて胸に穴が空いた空虚感、そして今は母親の事を考えると懐かしくて暖かみのある心地よい微かな痛みになっていますよ
450様がお母様の事を思うたびに天国のお母様に花が降るといいます
450様の悲しみが少しでも早く癒える事をお祈りしますね 3ヶ月経って少し落ち着いたかと思ってたら今日は凄まじく号泣した
やっぱり忘れられないよ、お母さん
日常のほんの些細なことも全てお母さんのこと思い出してしまって泣いてしまう
突然死だったからお母さんに対しての気持ちをきちんと伝えられなかったのが心残りだよ
世界一大好きでかけがえのない大事な存在だったのに亡くなる前日まで喧嘩ばかりで本当にごめんなさい
産んでくれてありがとう、嫌な思い出も楽しい思い出もずっとずっと忘れないよ
お母さんに会いたいよ 今日ラーメンを食べに行って、ここの餃子母親好きだったなと思い出しました。
今は、一人になって。ここの餃子おいしいねと母親に言えなくなった。悲しいですお母さん。
コロナで面会出来なかった4か月を、取り戻したい。 介護してる時はなんとか治って欲しくて肉体的にも大変で考えが及ばなかったけれど亡くなってしまって気付いたのは本当にいないという事だ
ゼロ
よく誰々はこう思ってるとかあるけどそんなのお構いないしに現実はゼロ
どこにも姿形声が一切無い
予想外に心の中の気持ちと現実の無の感覚の落差に驚いてる
こんなに落差があると思いが強過ぎると病んでしまう 幽霊でもいるんだとしたら、それでも良いからまた会いたい。 >>444
わかります
メモとか走り書きみたいなものは大切に取ってあります
書いたときの母の気持ちが伝わってきます
お薬はお棺に入れてあげました
向こうでも痛くならないように、と
最期は痛みとのたたかいでした
たくさんのお薬を見ると、母がどんなにつらかったか、なぜもっと労れなかったのか、胸が苦しくなります どっか遠くへ幸せを見つけに旅に行ったと思う事にしてる 父が亡くなり、二年あまりで母も亡くなった
医師の知人には
お母様はお父様に会いたくなったのでは
と言われた 皆さん食事はどうされてますか?
うちはまだ存命だけど、死なれたら食欲以前に準備が出来ず餓死する気しかしない >>459
食事なんてコンビニはあるし、外食すれば良い
それが嫌ならuberとか出前館とか利用すれば
餓死することなんてないでしょ?
昔と違って手段はいくらでもあるんだから 私の母は今月上旬に亡くなったんだけど、事情があって葬儀を来月初頭まで延期した
亡くなってからも毎日泣いて暮らしてるほど悲嘆にくれているのに、もう少しで母の身体が焼かれてしまうことが怖くて怖くて仕方ない
本当に母の身体、姿がこの世から消えてしまう
お棺が窯に入れられ、骨を拾うことができるか?
自分には今のところ耐えられる自信がない
心の準備も全然できていない
今の自分なら焼け終わり窯の扉が開いたら卒倒してしまう 骨になった後、放心状態になった
その後役所の手続きとかで本当に母がこの世からいなくなったという事実に向き合う
理屈ではわかっているけど気持ちの整理なんて全くつかない
また朝になって起きてきて、家に帰ってきたらお帰り!って言ってくれる気がする
本当に悲しいよ、まだ今でもお母さんがいるとしか思えない >>459
父親が死んでるかは知らないけど母親の亡くなった時の手続きを頭に入れておこうね 家の中にいると母親の姿が、思い浮かんでくる。台所に立って料理を、作っている後ろ姿
一緒に食事している様子など。本当に大切な母親だった。大事に優しく接すれば
もう少し長生き出来たと思う。ごめんなさい。心の拠り所がなくなった(涙)。 >>461
焼け終わりより、焼かれる前のが耐えられなかったです
炉の扉が開き、お棺が入っていき、扉が閉まる瞬間、恐怖と哀しみで倒れるかと思いました
その後、数秒してボイラーの音(点火された音)が聞こえました
とてもショッキングです
実際、倒れた人もいたそうです
愚かかもしれませんが、
母を焼かないで下さい、
と言いました
骨になると哀しみはまた違います 母が亡くなって一週間弱、たまたま家にあったクッキーと水しか口にしなかった、出来なかったな >>465
確かにそうかもしれませんね
火葬場独特の雰囲気、匂い…
母のお棺が扉の中に吸い込まれて行く直前の恐怖感と悲しみは考えただけでゾッとします
ゾッとするという表現だけでは言い表せない、おそらく
この世で最もホラーな瞬間でしょうね
ああ私は後数日でその時を迎えるなんて、生きた心地がしません
骨になってしまうと、また哀しみの質が変わるのですね? 本当に苦しい
悲しいと怖いと苦しいが濃縮されて胸と腹にいっぱいになった感じがしている
死ぬ選択をしないようギリギリで踏みとどまっている 遺骨を見たときは、哀しみより愕然というか呆然としました
骨になると涙も出ない、と聞いたことあります
人それぞれかもしれませんが、私はやはり焼かれる瞬間、扉が閉まる瞬間の方が哀しくて怖かったです
母は自分の分身みたいな存在で、いつも一緒でした
でも、扉の向こうに私は行くことが出来ないので、苦しかったです
肉体は滅んでも思い出は残る、と言われましたが、生身の母との惜別は今思い出してもつらいものです
あれこれ書きましたが、今は何も考えず、お母様とのお別れを大切になさって下さい 母を幸せに、安楽に出来なかったのが最大の、叶えられない最大の事になるのだろうな 今日夢でお母さんの声を聞いた。一言だったけど、嬉しかった。 >>469
ありがとうございます
どんなに苦痛でも荼毘に付すことは避けられないですものね
最期まで母との時間を大切にしたいと思います 亡くなったことも悲しいですけど亡くなるまで思うように面会できずに側にいて母親を守れなかったことも
悲しくて悔いが残ります。人は、いつかは亡くなるけど一緒に生活しているといつまでも
生きてくれると思ってしまいます。お母さん会いたいです。 今日は母の好きな花を買ってきました
スーパーで美味しそうな惣菜もあったので、それもお供えしました
母が生きていてら、何て言うんだろう
綺麗ね〜(花)
美味しいわ〜(惣菜)
とよく言ってくれましたが、声が聞きたいです
亡くなってしまうと、こんなことしか出来ず虚しいです、、
もっとたくさん親孝行がしたかった >>474
私も最近、仏壇にお供えし祈ることしかできなくなりました
母はあまり幸せと言えない苦労が多い人生だったので、別の世界では絶対に幸せになるよう毎日願っています
そのうち私もいつかは死ぬので、旅立ったら母の許に行き、今度はお母さんも私も一緒に幸せに暮らそうねと話しかけています >>475
私の母もそうでした。祖母の親からのインチキ強制見合いで中間子なので離婚も出戻りもできなく(叔母はして大迷惑かけました)夫より、かなり年下なのに家族の重大な決断は母でしたし母の判断が正しかったです。 私も母が幸せに暮らしてる事を願ってます。そして私も逝った時は会っていっぱいお話したいです。 私の母の苦労が多かったです
大学は奨学金でいき、結婚後も
家計を助けるために働いてばかり
そのためか、晩年は病気と足腰の痛みとのたたかいでした
母の人生を想うと気の毒でなりません
毎日、お茶や食事をお供えをして、話し掛けてますが、悲しいものですね、、
生きていたら、、とよぎります
どんな形でもいいから生きていて欲しかった 母の最期に立ち会えませんでした
駆けつけた時は冷たくなっていました
あまりのショックで、未だに母の死を受け入れられません
独りで、寒くて寂しかったのでは?助けを呼んだのでは?
といろんな想いがよぎり、毎日何度も後悔しています
遺影と遺骨を見ると涙しかでません
おそらく、自分が死ぬまで、後悔すると思います 私も帰宅したときにはもう手遅れでした
あの日から毎日苦しいです >>481
哀しみ、虚無感はもちろんですが、苦しいんですよね、、
先日、神奈川県の火事で、高齢の母を助けに火の海へ戻った娘さんがいました
二人とも亡くなりました
母を見殺しにできなかった娘さんの心境がよくわかります
私は母を助けることが出来ず、罪悪感でいっぱいです アーお母さんが死んでしまった
辛い悲しい怖いよー
これから私はどうやって生きて行けばいいの?
お母さん
お母さんは天国に行って凄いパワーを持ったのだから
私を見守って助けてね!
お願いしますm(_ _)m 1日1日母の元へ近づいている
そう思えば少しだけ
心が軽くなる。
お母さん、待っててね。 お風呂から上がると、母の腰や背中にシップや痛み止めのクリームを塗ってあげました
足の爪を切ってあげたこともあります
懐かしいです
もう、こういうふれあいも出来なくなりました
哀しいです こういうかまってちゃんの
ひきこもり板だからねw
嘘 つ き だ ら け の ヒ キ 板 (28) 私の母は、いわゆる世渡り上手な人ではありませんでした
お人好しで、子どものように汚れを知らない性格でした
当然そういう母には権謀術数に長けた悪い人達が近寄ってきて、上手く利用したりして、いつも損をしたり犠牲になってばかりいました
バカと言われればそれまでですが、母は何事も一生懸命、誠心誠意をもって与えられた役割や仕事を行いました
私は母に幾度も忠告してきたのですが、イヤと言えない母は、自分の身体を削ってまで一円にもならないことに奉仕しました
後から日記などを読んで気付いたのは、それでも母には母なりの楽しみや自分の世界があったということです
母の欠点ばかり非難していた私は、今、心からのコミュニケーションがとれていなかった自責の念と、母には可哀想な思いをさせてしまったと後悔しています 私の母親も人が、良くてそれで利用されたり、損をする事ありました。
昭和の人でした。情が、あって忍耐強く前に出るのが苦手で謙虚な大人しい母親でした。
料理が、好きで仕事大変だったのに一生懸命朝早く起きて遠足の時や学生の時、お弁当を
作ってくれた母親でした。年を重ねるにつれ優しくなって大好きな母親でした。
最後まで側にいて、看取るつまりだったのに。コロナで面会出来なくなって急に亡くなって。
会いたいです。後悔、もっと大事にすればといつも思っています。夜 瞼を、閉じると
母親の顔が浮かんできます。母親のいない生活は、こんなに寂しいものかなと毎日思います。 私も毎日、母の姿が浮かびます
笑顔、台所に立ったりお洗濯を干す姿など
厳しいけど優しい人でした
いつも私のことを一番に考えてくれました
私は若い頃に親不孝をしました
ワガママだったので、よく喧嘩もしました
それでも許して温かく迎えてくれました
母親の子供に対する無償の愛でしょうか
今は虚しさと寂しさ、後悔しかありません 昨日母が旅立ちました。
いつも自分の味方をしてくれる人でした。
若い頃は親不孝ばかりで警察のお世話になったこともありました。
母が死ぬ最後の10年間はきちんとした仕事に付き更生した所を見せれたと思います。
今は抜け殻みたいな感じです。 胃ガンになり、最後は脳に転移して脳出血を起こして昏睡状態でした。
仕事が年度末の繁忙期の中、なんとか時間を作って母を励ましに行きました。
息を引き取る2日前には手もかなり動いていたので、大丈夫かと思いましたが
ダメでした・・・。
70代前半での早すぎる最後でした。
一度入院して家に帰ってこれたので2回目の入院も大丈夫かと思いましたが・・・
これだけガン研究が進んでいるのに、ガンで次から次へと亡くなるなんて、
日本の医療は何をしてたんだという思いがあります。 若い頃は、失恋しただけで自殺したくなるぐらい悲しみましたが
実の母と父に愛されていればそれだけで十分幸せだったのです。
それに気付かない自分は本当にバカだったです。
願いが1つ叶うなら、母を返して欲しいです。
とりあえず通夜と葬儀をなんとか乗り越えたいです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています