>>688
バーナテッドロバーツの本には、見るもの見られるものと見ること、すべてが分けられていない、という認識の境地が書かれているのですが、それでもまだ悟りではないのでしょうか?

このような事は精神世界の本などでよく聞かれる表現ですが、サマディーや忘我の状態で認識されるもの、なのですか?

また、一時的に自己イメージを想起出来ない状態というのは、忘我の状態でしょうか?

状態としては悟りに近づいていて、
その状態で更に認識するものを滅する必要があったということですか?

確かに恐れの表現が多いので悟りではないと聞いて少し安心しました。