鬼和尚の今月のブログは、
前半は自分にも凄く当て嵌る所がありました。

自己イメージを満足させる事に強い執着と未練があり寄り道してしまいます。

いつも質問ばかりして実践が足りておらず申し訳ない気持ちもあります。


>自らの全てを捨てる意志を持つこともできる、真に自らに合った法、
とは、数息観をして不動心を養い観察することとはまた違うのでしょうか?

>意志とは選択の際に最も力を発揮する故に、意志による法の選択に注意を払うべきなのじゃ。
> 自らの全てを捨てるに足りる信頼できる法を選ぶべきなのじゃ。

ひたすらそれをやり続ける事が出来る位の、自分の性質にあった法を選ぶということでしょうか?

その法とは、鬼和尚に、個々人がそれぞれに合った法を教えて貰い実践するものなのですか?
それとも自分で探したり作ったりするものなのですか?