悟ってもない自分が悟りへの道を教えることを金儲けに利用するのは、いけませんが、
悟りへの道があることを知りながら、こういう仕事でいろんな人に善事を勧めるのは、
物惜みにはなりませんか。
 『実際に悪いことばかりしていれば多くの悪しき事が起こり、
                 心は乱れ修行どころではなくなる。
 善い事をすれば善い報いがあり、心が静まり、落ち着いて修行ができる。
 それ故にお釈迦様の教えは有用なものであり、
  正しく、善く説かれたものとして修行者も、目覚めた者も尊ぶのじゃ。
 みんなも善い事をして、心穏やかに修行に励むのじゃ。』
(鬼和尚の仏教勉強会 善い事をするのじゃ。 より一部抜粋)
とあるように、いつか、人が然るべき時に正しい教えにめぐり合い、修行をする時に
心おだやかに修行ができるように、という思いを込めながら仕事をなすべきですか。

長文失礼しました。
>>847 >>849 は僕です。