それが理に適っていたとしても問題提起自体を止めるつもりも無いけどな
「幸福を目指している」ことが免罪符として使われることが前述の安易さに直結する以上は
強いて考えても唯一の免罪符足り得るのは果たされるべくして果たされる子供に対しての責任と、そこに実際に費やされる資力と労力、嘘偽りの無い愛情、心、真摯な思いだけだ