>>850
子供を作ること、出生という事象には加害者と被害者を生み出し続け、更に先代から次世代の側に負荷を一方向に課し続ける性質がある
だからこそ改めて子供、次世代の側の苦痛、その防除について熟慮する視点には正しさが派生する
>>840の指す「側面」=「限定的正しさ」とはその正しさのことだ
他者を慮り自分自身の行動に機制を働かせるのが道徳の働きそのものだろ?
つまりその「限定的な正しさ」を認める要件として
「道徳的問題」としての「子供を作る」が始まりに存在していなければ成立さえしない訳だよ、元よりな

でお前は>>842
>その側面(限定的正しさ=道徳的正しさ)に重きを置いて子供を産まないのも良し。
>単なる側面(限定的正しさ=道徳的正しさ)と割り切って子供を産むも良し。
↑※道徳的配慮を個人判断により停止、無効化することに問題は無いと主張
=始まりの道徳的な問題を切り捨てる=無きも同然として扱う
>個人の自由。
お前自身が>>844
>個人の自由をいいことに何も考えずに子供を産む親に対して警笛を鳴らすこと。
お前いわくの当該スレ的論旨での警笛改め「警鐘を鳴らされるべき親」を肯定してる事になってる