人生つらい
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君たちは、
> 人があの世から生まれてきて、 あの世へと帰っていくということは知っているよね?
>
> そしてまた いつの日にか、 この世に生まれるようになっているのだ。
> それを人は来世と呼んでいる。 しかしその生まれる確率といえば、 ほんのわずかで、地上の砂粒に対して、 人の指先に乗るほどの粒でしかないと お釈迦様は言っている。
> では生まれてこれなかった者たちは、 何をしてるのかと言うと ほとんど者のが、 地獄の底で苦しみに責められているそうだ。
>
> そして その後遺症が 心の底に残っているために、この世に生まれてからでも、 苦しみ続けなければならないと言われている。 神通力によって、
> あの世の世界を覗いてみると、地獄の底で苦しみにあえいでいる人たちで、溢れかえっている。
> その人たちは1日も早く、 人間としてこの世に 生まれたいと、 絶えず思っているのだが、 現実は 遠い未来のことだ。
> ましてや自分の手によって自死した者などは、 そんな願いなど100% 無理。
> 地の底で永遠に悶え苦しまなければならない。 とお釈迦様は 言われています。
> これでも死にたいかい? 私は闇雲に、あの世の地獄を強調しているのではありません。
> そこにはれっきとした理由があるのです。
> まず 人が亡くなる時には 二通りの姿があます。
> その一つは 家族の皆さんや 身内の者に 看取られて、 何の苦痛もなく安らかな 死相でなくなる人と、 もう一方では、 断末魔の苦しみに遭遇して、 悶え苦しんで亡くなる人があります。
>
> 前者は極楽に往生した姿ですし、後者は地獄へ落ちていった者たちの姿です。
> これは何も私の考えで 言っているのではなく、 お釈迦様がそう言われているのです。
>
> ビルから飛び降りるのも入水するのも 首をくくってなくなるのも、 極苦の果てに死んでいった者たちの姿です。
> そのような亡くなり方で どうして極楽に往生ができますか。
> 要はお釈迦様の 涅槃像のような姿で、 安らかな 死を迎えられるかどうかと言うことです。 生きてゆくのが 辛い日は
> お前と酒が あればいい
> 飲もうよ 俺と二人きり
> 誰に遠慮が いるものか
> 惚れたどうしさ
> おまえと???? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています