日本人のキリスト教徒が大嫌いなんだがどうしたらいいか?。
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日本人のキリスト教徒を見ると不愉快な気持ちになります。 こんにちは。
先日は私のブログに来てくださってどうもありがとうございます。
キリスト教に疲れ、人生を狂わされている人も少なくないことを、
もっと広く知ってもらいたいですね。
私はクリスチャンの家庭に生まれ育ち、
普通の子供とは違う価値観を植え付けられてきたので、
学校生活では人付き合いにずいぶん苦労しました。
それを社会人になっても引きずったままで、
今、職場で人間関係に戸惑う毎日です。
本当に毎日逃げ出したくなるような気持ちです。
そんな時、自分の生い立ちが恨めしく感じます。
私がクリスチャンの嫌いなところは、
キリスト教に欠点があることを絶対に認めないことです。
私の体験談を話しても、
「それはあなたの信仰が足りないから」
と言われるのがオチです。
信仰でなんでも解決するなら苦労しません。
私の身近なところで、自殺したクリスチャンを知っています。
そういえば、長崎のスポーツセンターに押し入り、
銃を乱射させて多くの人を殺し、
挙句の果てに教会で自殺したクリスチャンもいましたよね。
にもかかわらず、クリスチャンはキリスト教の欠点を絶対認めない。
本当に腹立たしく思います。
キリスト教は、あくまでも世界中に多数ある宗教の中の
一つに過ぎないことを分かってもらいたいです。 一応は「罪を犯さない生活」せよ(そうしなければ罰せられる)と説いてきますが、
「罪を犯さない生活」を願ってではありません。そんなことはできないということを
はじめから知っていて、わざと、「罪を犯さない生活」せよと説いてくるのです。
本当の意図は別にあって、実は、それを聞くものが「徳に絶望し、ついには
慈悲深いお方の胸に身を投ぜざるを得なくなる」ことを望んで、不可能と
わかっておりながら、わざと「罪を犯さない生活」せよ(そうしなければ罰せられる)
と説くわけです。
基本的に、説教も、ほとんどこの単純な考えの繰り返しと言って過言ではありません。
説教者は、神の律法と罰の厳しさに言及することによって、信者の罪悪感と絶望感を
呼び起こし(落とし)、そんな罪人も教祖を信じることによって救われるのだと
約束しては希望と感謝の気持ちを起こさせ(持ち上げ)、信者の教祖に対する従順
(信仰)が堅持されているわけです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています