>>263-264です。
一晩泣いて泣いて、死んだように眠ったら少しは落ち着きました。皆さんありがとう。

>>265 村八分…そうなんですよね。ほどよく無視してくれれば逆に助かるのですがw
やはり自分は、もうここの中では生き辛くなったのだと改めて自覚しました。
>>266 ありがとうございます。待ってる の一言に泣いてしまいました。そんな言葉しばらく言われてないなぁと。
>>273 被災直後は本能だけで生きていた。言われてみればまさに。怒りに身をまかせて過ごした日々でした。
そしてその後は出来るだけ感情を抑えて責任を果たすよう努めてきました。周りからもそれを望まれていたので。
初めて、自分けっこう可哀想じゃねw?と思えてボロボロ泣けましたw
>>280 実は、故郷(被災地)に住むか・昔住んでいたことのある都会に戻るか・都会に近い田舎に移住するか の三択で故郷を選んでしまいましたw
でも280さんが仰るとおり、私の帰りたい場所は既に無いのだと「心」でやっと実感できました。
新居の窓からは、家族で住んでいた元の家から見えていた景色とほぼ同じ景色が見えます。
あんなに恋しかったはずなのに、この景色のためにここに住んだはずなのに、昨日疲れ果てて窓から外を眺めたら、空しさと惨めさしか湧き上がってきませんでした。
>>281 そうします。ここで「やらなければいけないこと」は残っていますが、「やりたいこと」は無くなりました。やるべきことをある程度果たしたら脱出できるよう頑張ります。
>>291 そうなんですよね…。周りも結局被災者。頭が冷えて気付きました。同じ街でも、被災無・被災はしたが人的被害無・家も家族も亡くした・家族亡くしたのに家は助かった 等々いろいろでした。
今はそこから更に、自宅再建ができるか否かで、かなり格差が出てきています。
元々の他者に過干渉な部分に加え、そういった色々で攻撃的になっている人もいるかもなぁと思い至りました。自分も含めて。