中国禅は 江戸時代には、浄土教と結びつき一体化して、浄土禅となっている。

江戸時代日本に来た隠元禅師は、臨済宗の浄土禅の人であったが、すでに以前の公案禅の臨済禅があったので、リ臨済禅を名乗らず臨済の師である黄檗から名をいただき、黄檗禅とした。

万福寺が本山である。

浄土教は、中国において何代かの師弟が浄土思想を持つ何冊かの教本を一連のくくりをつけて、次第に浄土三部経と呼ばれる法体系になっていった。

日本での公案禅と浄土禅は、臨済宗、黄檗宗、名乗りは違うが、
臨黄ネットと、臨済宗のくくりとなっている。

わたしは、公案禅へ向かい発達した日本の臨済全に集約されていくのか、極楽浄土(彼岸)の念仏国土に集約されていくのか、未来の姿は分からない。

公案禅(道元も含む)が日本でより深化してきた時間経過があり、独自の発展深化はこれからも続くのではないか、とみる。