>>678
中村元や瞑想史研究の泰斗の研究成果を「わしは悟ってるから根拠が無くても儂の方が正しいのぢゃ〜」と嘯くキチガイがもしいたら、貴方はどう思いますか?

ウダーナの観察は随念観による観察ですから、止観のうちの「止」です。

もう一度、貴方の様なカルトでは無く、仏教のスタンダードな瞑想法を乗せておきますね。

止は、観察の対象(業処kammatthAna)が一つに限定され、他のも のに心の働きが移った時に、最初のものに戻るという特徴が見出されます。
ここでも心の働きの一つ一つに「気づく」ことがポイントになります。
一方の観は、観察の対象が一つに限定されず複数のものになり、恒に身体が感じ取っているものを気づき続けるところに特徴があります。
目指されているものは、受→想→行→識の一連の心の反応を途中で気づいて、心が一気呵成に反応して、さまざまな働きを生じさ せることから脱却させることです。
ここでも「気づく」ことはポイン トになります。
「仏教瞑想論 ──アジア諸地域の特徴について── (箕輪顕量)」