悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】 66
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておくだ
さい。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
<前スレ>
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】65
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1526232520/ 悩みの相談をする場合につまびらかにはできない具体的な個々の内容について相談する
よりも、結局は本に相談すること、つまり本を読むのが最も手っ取り早いのではないでしょうか?
先ほど茂木健一郎の本をよんでいましたが、彼は英語の勉強で赤毛のアンシリーズ全巻を
高校時代に読んだそうです。実際にはあまりはっきりとは理解できないにも関わらず
日本語の本を読むようなスピードで読み進めていると、3冊目くらいからフッと意味が
分かるようになったというようなことを書いていました。これを文字通りそのまま真に
受けるわけにはいきませんが、何かそういうことが起こったということは事実だと思います。
なにかこの現象を解読するヒントはありませんか? 一寸説明不足かもしれませんが、「的確理解するのではない方法でも読めるようになる」
という例としてです。 坐禅をすると悟りが開けるというのも、普通に考えるとこの茂木の体験と同じでしょう。
意味がわからないのに辞書も引かずに読み続けてるということですから、そんなことは
絶対にありえませんね。
坐禅をしているだけでは馬鹿にこそなっても、悟りが開けて、多くの人の信頼をえて
相談にのれるような知恵がつくなんてことはありえませんね。でもなぜか悟りが開ける。
なぜでしょうか? 物事には必ず原理原則があります。
原理原則とは絶対的なものであり不変的。
世の中には、ルールを知る人間と、
ルールを知らない人間の2通りしかいません。
ルールを知り、ルールを活用すれば、そのルールの中で自分のルールを生み出すことができます。
しかし、原理原則を知らなければ
いつまでたっても、サイコロを振って運任せに行動するしかないのです。 そうです。サイコロを振っているように見せて原理原則が背後にある筈です。
坐禅も茂木の示した勉強方法もチャンと説明できる原理がかくれている筈です。
それに興味はありませんか? 自分の価値基準というものの見方が、その人の原理原則。
貴方にとってそれが原理原則でも、他人にとっては価値のない原理原則の場合もあります。 他者への嫌な感情で悩んでいた者です。
他者への嫌な感情に対して、受け入れる、手放す、観察する、離れる、忘れる、、、など、
色々な解決方法があるとは思いますが、人によって解決法にも向き不向きがあり、
自分みずから最善・最良の方法を選び、実践すればいいのでしょうか。
それとも、全ての人に有効で効果てきめんな知恵、方法はありますか。 >>615
相手の嫌なところを瞬時に読み取って、自分が嫌な気持ちになります。
そして、自分の嫌な気持ちが顔に出て、相手も嫌な表情になります。
この一連の流れが嫌なんです。 >>617
そういうところ、あるかもしれません。
他者も自分も受容することにあるのかと思っていましたが、
全てにおいて完璧を目指さないことにあるのでしょうか。
ありがとうございます。 >>616
(相手の嫌なところを瞬時に読み取って)
これは、貴方自身の嫌悪感や劣等感からくるものではないでしょうか?
問題は身近にある自分なのかも知れませんね、勿論相違あれば申し訳ない。 >>618
他人の言動が嫌で表情に出ると言うの事は、貴方にとって耐え難い事なので、
貴方は完璧主義者で、他人を見下す傾向にあります。
自分が成長するために、自分にだけ完璧を求めるなら構いませんが、周囲も巻き込むのは良くありません。
直せと言っても貴方が完璧を求める以上難しいですね。 >>619
相手が自分より低レベルだと、嫌悪感。
相手が自分より高レベルだと、劣等感。 です。
もちろん、他者によっては高低ないまぜで、嫌悪感・劣等感が混合した場合もありますが。
どんな自分でも受容して、その延長線上に、どんな他者でも受容できたらいいのかなと思います。 >>620
自己受容の延長線上に他者受容があり、そのプロセスの中で、
他者と自分を等価に見れたらいいかな、と想像しました。 人種差別や性差別のように、他者に対する認識の歪みは何が原因で起こるのでしょう?
例えば男尊女卑的な考えが世代を超えて連鎖され、未だに社会に根深く残る理由は何なのでしょうか?
「男は、女はこうあるべし」と言った価値観の刷り込みによって間違った認知が自分の中にある場合、
それを正しい認知に矯正していくにはどのような方法があるでしょうか? >>622
基本的に貴方の価値観と他人の価値観が有り、それを等しく見るのは不可能です。
既に嫌悪感が表情に出ているので、貴方の本質が変わらない限り難しいです。
ただ、貴方は客観的に自分を見ることが出来るので、本質を変えることは、諦めない限り出来ます。
これは、自分自身を客観的に見て分析し、原因を特定し対策しなければならないので、
必要であれば身近な第三者の意見を求める事も有効だと思います。 >>623
貴方はそれによってストレスを感じることがありますか? >>624
自分の原因のたねを見つけ、自分から取り除くことにあるのかなと思いましたが、どうでしょうか。
自他の受容というのも、極めれば自分の本質が変わるような気もしますが、これだけでは問題もあるでしょうか。 >>628
取り除くことは不可能なので、価値観(思考)を変えるしかありません。
原因を摘んで捨てられれば簡単で楽なのですが、価値観は無くせませんからね。
感情をコントロール出来れば、それでも良いと思いますが、感情はとっさに出てしまうので、不快だと思わなくなる方が、身体と心に優しいと思います。
誰でも不快な思いはしたくないですし、それを我慢し続けるのも、相当なストレスです。 >>629
価値観・思考を変えるですか、、、
なかなかハードルが高そうですが、
ひとまず積んでる本を読んでみようと思います。
貴重な御時間、ありがとうございました。 >>630
価値観は、環境、状況で良くも悪くも変わるので、難しく考えずに頑張ってください。 >>631
環境や状況で価値観が変わるなら、そんな価値観やだなと思いました。
自分の思考や価値観に左右されない、自分になりたいです。
上のレスにもありますが、本読んでみます。
ありがとうございました。 >>628
できると思います。脳は本質的に固定的な価値観などというものは持ちません。
感覚器から入ってくる電気信号を処理するだけです。貴方が見ているものや聞いている
ものの代わりに背中に付けた信号変換器で振動に変えて脳に伝えてやれば、背中で
視ることも聴くこともできます。それほど大胆に変化することができます。
それと同じことですから、嫌になる感情を楽しくなる感情に解釈を変えればいいのでは
ないでしょうか。楽しくなるというのは語弊があるかもしれませんが、割と簡単に
変換できるのはその嫌な感情を研究テーマにすると楽しめます。 >>634
嫌な感情を研究テーマにしても、嫌な感情と向き合うことになるので、つらく苦しいです。
ある程度の研究慣れ、が必要でしょうか。 >>632
例えば、エアコンの効いた部屋でポカリスエットを1.5リットル飲んだ後と、
真夏に1日飲まず食わず不眠不休で100km走った後に飲むペットボトルのポカリスエット1本のありがたみは同じですか?
子供の頃、嫌いな食べ物が食べられるようになった事はありませんか?
子供の頃、夢中で遊んていた事が、今でも同じように夢中で遊べますか?
簡単に言えば、大好きだった物(人)がずっと変わらず同じ気持ちで維持出来ていますか?
物事を先延ばしにしたことはありませんか?
価値観なんて自分の都合良く変わるものです。
価値観は、変わってしまうので、原理原則をブレない事(内容)にする必要が有るのです。
ブレない(判断に迷わない)原理原則を見つけてください。 >>635
極論を言いうと、全てを嫌だと思わなくなれば良いのです。
と言っても限界があるので、すごく嫌だを、嫌だなー位に流せるレベルまでになればいいと思います。 >>601 どういたしまして、またおいでなさい。
>>603 好きな本をたくさん読むとよいのじゃ。
楽しければ続けられるのじゃ。
続けられれば力も自然についてくるのじゃ。
>>605 何度も読めば読めるようになるのじゃ。
読書も百回すれば自ずから意味が通じるというのじゃ。
一回で諦めてはいかんのじゃ。
多く読めば早くも読めるようになるのじゃ。
>>607 多く読んだから脳が受け容れたのじゃ。
今までは受け容れてなかったのじゃ。
>>609 悟りを求めて真剣に座れば悟りもえられるのじゃ。
求めていなければ得られないのじゃ。
>>614 おぬしにあった方法で行うがよいのじゃ。
効果が無い方法は捨てるがよいのじゃ。
>>623 それを条件付けされたからなのじゃ。
親とかから伝わるのじゃ。
観察すればきえるのじゃ。 >>636, 637, 638
ありがとうございました。
持ち帰って再度、検討してみます。 >>594
「探そう」
>>ID:I2Qt1Tb7
考えよう >>636
ブレない原理原則と言われても、自分を頼るとか、
自分を柱にするぐらいしか、思い浮かばなかったです。
貴方の原理原則を教えていただきたいです。
昨日の嫌な感情について、答が出ました。
他者に完璧を求め過ぎていたことから、なのだと思います。
他者だけでなく、自分にも完璧であることを課さないようにすれば、
自分がもっと楽に生きやすくなると思います。
完璧世界から降りようと思います。
相談に乗っていただき、ありがとうございました。 >>641
私の原理原則は「幸せ」です。
楽に楽しく幸せに生きる事を目的としています。
原理原則を幸せにしてからブレなくなりました。
何かを判断、決断する時に、周囲も含め幸せになるか否か。
幸せになる結果を求め、幸せになる為にはどうすれば良いのか考え言動するだけです。 >>642
ありがとうございます。
再度の質問になります。すみません。
自分を観ていくと、完璧主義もそうなのですが、
自分至上主義や、自分絶対主義のようなものが、
自分の人生をはばんでいることに気づきました。
自分や周囲の人の幸せを考えれば、やはりそういう世界や考え、
ものの見方から抜け出る、ということなのでしょうけど、
幸せを考えずとも、自分至上主義や自分絶対主義から抜ける方法は、ありますでしょうか。
いかなる問題があろうと、常に自分や他者の幸せを考えて生けたら、それがいいのでしょうか。 >>644
人による価値観の差は必ずあるので、一概に治す方法がこれとは言えません。
有るとしても、それを理解し、自分の言葉で再構築し、それを原理原則としなければなりません。
私が貴方に感じることが有るとすれば、妥協する事、認める事が出来れば変化があると思います。
数値で表すなら100が当然では無く、80でも満足することが出来るか否かと言う事です。
私に置き換えると100なら幸せですが、80でも幸せを感じると言う事です。
過去は絶対に変えられませんが、未来は良くも悪くも貴方次第で変えることができます。
未来が良くなれば過去を笑って話すこともできます。
毎日楽しく過ごせると良いですね。 >>645
ありがとうございます。
貴方の人生も、幸多くありますように。 自分はなにかを考えたり行動するとき
自分の弱い部分
醜いと思ってる部分を
自分自身として考える基準にしている
病気で学んだと思う
他人と比べることは全く無駄だし
どんなに素晴らしい考え方も何もかも
私自身に役立たないなら
なんの価値もなく無駄なことだと
とても楽に身に染みて実感することができます
どんなに醜くくだらないものでも
私自身の役に立つなら
とても価値あるものとして大切にされます >>642
「幸せ」「幸福」などと言う概念は、西洋から伝わって来たもので、それは
一時的なものでしかありません。
「幸せ」が手に入ってもすぐに消え去る物ですよ。長続きはしない性質の物
です。
江戸時代の日本人は「楽(らく)」とか「安心」を求めていました。これなら長続き
します。あなたも「安心」「楽」を目標にした方がいいです。 >>648
それが貴方の価値観ならそうすればいいと思います。 >>639 どういたしまして、またおいでなさい。
>>643 知らんのじゃ。 自分だけの原理、原則という理屈はない
原理、原則は誰にでも説明、理解、納得出来るもの
様々な価値観があり、価値観が移ろう中、人生に原理、原則などない
何かを成し遂げる時に頑なさがあると成し遂げる理屈があるだけだ
1人では生きられない社会では、共有が必要なわけで、周囲の価値観を意識した生き方が必要になるのは当たり前
それぞれの立場における環境、行動、結果は人それぞれだから価値観が違うのは当たり前
違う価値観を認めながらも、共有出来る価値観を増やす
当然、妥協が必要な時は当たり前にある 鬼和尚さん?
あなたは素人相手に鬼和尚とか偉ぶっているけど、専門家がゴロゴロいる宗教板では統失扱いされていませんか?
それと、何で僧侶でないのに和尚と騙るのですか? 鬼和尚さん?
あなたの言う観察って、伝統的な仏教の方法とは全然違うようですが?
止は、観察の対象(業処kammatthAna)が一つに限定され、他のも のに心の働きが移った時に、最初のものに戻るという特徴が見出されます。
目指されているものは心の働きを減少させて静かにすることです。
ここでも心の働きの一つ一つに「気づく」ことがポイントになります。
一方の観は、観察の対象が一つに限定されず複数のものになり、恒に身体が感じ取っているものを気づき続けるところに特徴があります。
目指されているものは、受→想→行→識の一連の心の反応を途中で気づいて、心が一気呵成に反応して、さまざまな働きを生じさ せることから脱却させることです。
ここでも「気づく」ことはポイン トになります。
「仏教瞑想論 ──アジア諸地域の特徴について── (箕輪顕量)」 苦手な人が近寄ってこない健全な方法はありますか?
あっけらかんとし過ぎてる人には自分を悪者にして少々きつめに言ってしまいます
今まで自分を良く見せようとしていましたが疲れるようになりました
でも思ったことをストレートに言ったほうが、言わずに優しい振りをするより
頭はスッキリしています。でもきつく言うなんて自分らしくないなとモヤモヤが残りました
モヤモヤはきっと良い自分を見せたい欲求が行き場を失っている状態です 良い自分を見せたいかあ
自分は見せたくない自分はあるけど
特にそれを苦痛に感じたりは無いし
あまり他人への見え方は気にしてない
自分が心地よいかどうかを
大事にしてるから問題ないのかもな
自分は雰囲気を壊して自分のやり方で
接するので苦手な人は寄ってこないか
私のやり方を受け入れて
接してくれる感じがするかなあ 掴みどころのない考え方は苦悩を増やす
アドバイスするなら現実に照らし合わせた方法論で語るべき
現実的な問題を共有しやすい身近な人と相談すべき
身近な人だとカドが立つ問題なら問題をきちんと整理し説明出来る自分になるのが第一歩
将来の問題、日常的に当たり前に起きる問題、一挙に解決する理屈はない
人生は課題解決の連続だ
課題解決を苦に思うのは、心を見つめようとしたり、感情に委ねるからだ
感情から導き出される思いを現実の中で理屈化しないからだ
現実と思いの矛盾は行動が解消する
考え方ではない >>655
自分を良く見せたいと思うのは1人では生きていけない人間社会においては当然起きる一つの心理
人と共有して生きていく上の手法の一つに過ぎず状況により使い分けるものだと気付けばいいんじゃないか?と >>651
ごちゃごちゃ言ってるくせに中身のなさは偽和尚クラスなんだよな
当の本人何か素晴らしく濃いこと言ってるつもりが少しあるかもしれんが
一行十文字以内で書けることをぐだぐだと 鬼和尚は日本とベルギーのワールドカップ観ましたか?
2−0リードから20分くらいで怒涛のように3点入れられて負けましたが
そうなる原因はやはり前の試合でチキン戦法やって非難され過ぎたせいで
冷静さを失ってきちんと守備に徹しきれなかったことにあるとか思いますか? わしもそう思うのじゃ。
前の試合は、場内からブーイングが起きたほど、不細工な試合じゃった。
日本には昔から、武士道や剣道・柔道などがあるのじゃ。
どんなスポーツでもその精神を忘れてはいかんのじゃ。 鬼和尚、読書について教えてください。
本を読んでると「ここは退屈だし面白くないし自分には役に立たなさそうだ」と思ったら
遠慮なく飛ばし読みしても良いですか?好きなところだけ読んでも、読書した事になるんでしょうか?
斜め読みですね。
本ってちゃんと読まないと身につかないのでは?と言う思い込みがあるので質問させて頂きました。 自分の良くない(わるい)所への対処法を教えてください。
最近、自分の良くない所から苦しみが生まれている気がして、その対処法が知りたいです。 >>668
過去の不条理な出来事だったりから来る思いなのかなと思います。(←原因)
または、そう思ってしまう自分を、自分で受容することにあるのかとも思います。(←方法) >>669
カッコの大きさ間違えました
すみません >>670
過去の不条理な出来事のオーバーラップだと思います。 >>673
おそらく、他人とはこういうものだという、思い込みが抜けないのだと思います。 >>675
過去の不条理な出来事があったから、でしょうね。疑っちまうんです。他者を。 >>675
まぁだからって、自分で思い込むという選択は、しなくてもいいのかもしれないですね。 >>653 わしは宗教板に書いてみたが専門家など一人も居なかったのじゃ。
戒も知らぬ者はいたがのう。
おぬしに真実を教えるわしは真の和尚なのじゃ。
戒を破ることを教えたおぬしの師は僧ですらないのじゃ。
>>654 お釈迦様はウダーナヴァルガにおいて常にこの身体を見よ、と教えておる。
それが本当の仏教の観察なのじゃ。
ウダーナヴァルガを蔑ろにして箕輪を信じるならば箕輪教なのじゃ。
>>655 苦手な人が近寄ってくるのはおぬしの心に苦手な人を設ける原因があるからなのじゃ。
その原因が無ければ苦手な人もいなくなるのじゃ。
そして苦手な人も近寄ってこないことになるのじゃ。
昔、苦手な人にいやな目にあわされたからかもしれん。
そのような原因を心の中に探して観察するのじゃ。
>>661 見ていないのじゃ。
何も思わないのじゃ。
>>665 それでよいのじゃ。
役に立たないことがわかったことでも本を読んだ甲斐があったのじゃ。
それも読書なのじゃ。
そのようにして本当に善い本を探して何度も繰り返し読むとよいのじゃ。
善い本を選ぶのも読書なのじゃ。
>>666 ただひたすらにそれを観察するのじゃ。
そして原因を観察によって求めるのじゃ。
原因からそれが起こることを観察できれば消えるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 >>676
分析をした結果、戻ってしまいましたね。
貴方は自分に自信が有りますか?
おそらく無いでしょう。
それが原因です。 >>681
自信を持つことは、ちょっと苦手としています。
自分に合わないというか、、、
自信は行きすぎれば過信ですし、
自信を自分があつかうこと自体、マンドクセ状態です。 >>678
中村元や瞑想史研究の泰斗の研究成果を「わしは悟ってるから根拠が無くても儂の方が正しいのぢゃ〜」と嘯くキチガイがもしいたら、貴方はどう思いますか?
ウダーナの観察は随念観による観察ですから、止観のうちの「止」です。
もう一度、貴方の様なカルトでは無く、仏教のスタンダードな瞑想法を乗せておきますね。
止は、観察の対象(業処kammatthAna)が一つに限定され、他のも のに心の働きが移った時に、最初のものに戻るという特徴が見出されます。
ここでも心の働きの一つ一つに「気づく」ことがポイントになります。
一方の観は、観察の対象が一つに限定されず複数のものになり、恒に身体が感じ取っているものを気づき続けるところに特徴があります。
目指されているものは、受→想→行→識の一連の心の反応を途中で気づいて、心が一気呵成に反応して、さまざまな働きを生じさ せることから脱却させることです。
ここでも「気づく」ことはポイン トになります。
「仏教瞑想論 ──アジア諸地域の特徴について── (箕輪顕量)」 カルトではなく、仏教的にスタンダードな瞑想法の要は以下のように思います。
1.止について
> 止は、観察の対象(業処kammatthAna)が一つに限定され、他のものに心の働きが移った時に、最初のものに戻るという特徴が見出されます。
> 目指されているものは心の働きを減少させて静かにすることです。
> ここでも心の働きの一つ一つに「気づく」ことがポイントになります。」
2.観について
> 一方の観は、観察の対象が一つに限定されず複数のものになり、恒に身体が感じ取っているものを気づき続けるところに特徴があります。
> 目指されているものは、受→想→行→識の一連の心の反応を途中で気づいて、心が一気呵成に反応して、さまざまな働きを生じさせることから脱却させることです。
> ここでも「気づく」ことはポイントになります。
3.観の実践例
> ところで、おもしろい例があります。道を歩いていて、誰かと肩がぶつかったとします。あなたならどうしますか。
> 「気をつけろ」と怒鳴りますか、それとも、ぶつかったときに感じるのは「痛み」でしょうから、「痛み」「痛み」と気づきますか。
> 「痛み」「痛み」と気づいて、それから優しく「気をつけて下さいね」と言うのが、修行経験の有る方の取る態度となりましょう。
4.観の効能
> 観の練習をすることによって、心の一連の働きは途中で止められるようになるはずです。
> 外界からの刺激、そして受容、そして認識、新たな感情の成立、と連続して心の反応が続いていくのでしょうが、それをどこかの段階で気づくということは、そこで心の反応が止まるということを意味します。
> こうなれば、感情に支配されることは少なくなるでしょう。
> また、それらの煩悩・害心は生じる機会を失います。
> それらは、心の一連の反応の結果、生じてくる心の働きに他ならないからです。 止の実践においては、数息観中にカウントが途切れたら一から数えなおしますし、髄息観も息が乱れたら腹式呼吸に戻ります。
観に重点を置くと気付きが早くなり、識が生じて妄想する前にその本来の集中への戻れます。
ただ、識が生じてから観察するのは妄想に妄想を重なるに外ならないって事だと思われます。
それゆえ「気付きでいい」って云ってるんですけどね。 >>682
貴方は判断、決断する事から逃げて生きてきませんでしたか?
原因が分かれば対策できるのですが、それを貴方はめんどくさいと言うのなら、残念ながらこれからも過去と変わらず未来を生きて行くしかありません。 >>686
逃げてるというか、そもそも自分が望んでいなかったり、
なんか知らないうちにことが進んでたり、そもそも事の成り行きを
信用していいものか?だったり、よう分からんです。
自分を信じるで自信でしょ?
その自信なら辛うじてあります。
根拠のない自信ならありません。 >>687
望んでいないなら断る事出来ますよね?
自分で判断、決断せずに、他人が決めた事に従ったのは貴方で、従う事を決めたのも貴方です。
その責任は貴方にあります。
他人に従う事は悪い事では有りません。
ただし、目的、理由もなく従うことは、他人にも自分にも無関心で楽(逃げている)しているだけです。
自分を信用、信頼できなければ、他人を信用、信頼する事はできません。
貴方は現状を変えたいと考え、ここに書き込んだと推察します。
苦痛を感じると思いますが、原因と向き合い自分なりの対策をしない限り変わることが出来ません。
無理の無い範囲で、時には休みながら原因と向き合ってください。 >>688
耳の痛い意見、ありがとうございます。
原因が人間不信?なので、
自分を信用・信頼することから初め、それを他者へと広げていけたら、と思います。
現在の人間不信が、未来では笑い話になれるよう、していきます。
ありがとうございました。 >>680
確かに、過去の不条理な出来事から人間不信になったとすると、
苦しみが消える気もします。
あるいは、苦しみが対象化され、縮小化される気もします。
ありがとうございました。 >>690
この場合「不条理な」がポイントでしょうか。
(人間のすることだから不条理は付きもの、不条理だからいつでもではない、など。)
不条理からの人間不信なら、自他すべてを許せそうな気がします。 いくら自分を見つめたって解決しない
そんなのは自分がだらしないと気付けばイイだけだ
1人では生きれない社会
自分の思いと現実とのギャップにより手法を見失い、現実に押しつぶされ自分が何をしたいのか?さえ見失う状況が苦悩
現実を前に出来ない、わからない、やりたくないで思考停止してるのが原因だと気付くべき
観察すべきは心ではなく現実だ
具体的な現実の問題を説明出来る自分になるのが第一歩
人の心なんて移ろうもの
飽きもある
人の心は移ろいやすく飽きやすい事を理解し、こうすべきだ!と自分を戒めながら行動に結びつける自分になれてないのが問題だと気付くべき
掴みどころのない心の観察なんて出来ない自分を正当化する為の問題の粗探しに過ぎない
解決するのは行動によるもの
行動に結びつける為の心への向き合い方は、観察よりも動機付けや自己暗示になる
一方興味に牽引されて行動すれば、創意工夫出来る自分になれる
興味を持てる自分になるのは大事
それでも自分への戒めの気持ちを持てる自分になるのは大事だけどな >>678
コミュニケーションしづらい人といいますか、
付き合ううちに気持ちが不愉快になるんです
きっと自分の性格が相手に投影されて見えてるんでしょうが、
一度嫌ってしまうと、もうずっと嫌いなんですね。
小さいころに、似たような人にいじめられたのかもしれません
苦手だ、という意識を観察すれば、なくなりますか。
または苦手だ、という意識を捨ててただひたすら関係するのでしょうか >>695
苦手だと思う原因を知り対策しない限り何も変わりません。
そもそもですが、苦手だと困る事有りますか? >>696
苦手だと困ることは、モヤモヤが残ることです。
接したせいで誰かに愚痴りたくなりますが愚痴るのは良くないので我慢します
そうすると頭で色々堂々巡りしてしまいます
とくにしつこく押し付けがましい人、差別する人が苦手です >>697
貴方自身差別している事に気づいてますか?
貴方は差別されている事を認識しています。
それは貴方が自分に対し差別しているからです。
貴方は差別する人が苦手なので、自分自身を苦手としています。
貴方、差別思考になってますよ。 >>683 ジャンキーじゃなと思うのじゃ。
ジャンキーという者は自分の主張と全く反対のことを述べている中村元や箕輪の論文を歪曲し、曲解し、自分に都合よく解釈してわしのほうが正しいのじゃーとか書いているからのう。
正に基地外じゃ。
その根拠はどこにあるのじゃ?
中村箕輪がそう書いているのかのう。
箕輪の論文はそれを完全に否定しておる。
うそをついてばかりいると幻覚が見えてくるようじゃのう。
>>695 捨てなくてよいのじゃ。
捨てようとすれば却って強くなるのが観念なのじゃ。
ただひたすらに本心を観察するのじゃ。
それはもしかすると自分より恵まれている者への嫉妬かもしれん。
あるいは優れた者への反発かもしれん。
そのような本心がわかれば自然になくすことができるのじゃ。
ただひたすらに本心を観察するのじゃ。 >>699
いい加減に子供じみた誤魔化しはやめなさい。
以下関連する論文です。
☆定慧一等
1.(ダンマパダ372)
「明らかな知慧の無い人には精神の安定統一が無い。
精神の安定統一していない人には明らかな知慧が無い。
精神の安定統一と明らかな知慧とがそなわっている人こそ、
すでにニルヴァーナの近くにいる。「
2.(倶舎論における止観〜洪 鴻栄 )
「止と観とは別個にではなく、いつでも両要素が相互に働いていると思われる。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/51/1/51_1_372/_article/-char/ja
3.(止観と智〜西 義雄)
「正に止と觀とは、一の禅行の表裏である。」
「定の中には、明らかにこれら禅等を摂したものと見る事が出来る」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/5/2/5_2_329/_article/-char/ja
☆定と止観
1.(原始仏教の禅定観〜吉瀬 勝)
「定には種々の使用例がある。(中略)(六)止(奢摩多)観(毘鉢舎那)、心の一処に寂止する状態、止観均行」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/20/2/20_2_823/_article/-char/ja
2.(原始仏教における止観〜中村 元)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/23/1/23_1_24/_article/-char/ja/
3.(瑜伽行派における止観考 (序)〜千葉 公慈)
「ヨーガという止観行が三学中の定学として如何に重んじられるようになったのかに注目したい」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/46/1/46_1_344/_article/-char/ja
仏教瞑想論 ──アジア諸地域の特徴について──
http://zenken.agu.ac.jp/research/42/14.pdf >>699
で、なんで僧侶でないのに和尚と騙るのですか? >>701
> >>699
> で、なんで僧侶でないのに和尚と騙るのですか?
大土地 所有者 だと思うよ、鬼 さん。大庄屋 さん。と、うわさで聞いたことがある。 > で、なんで僧侶でないのに和尚と騙るのですか?
大土地 所有者 だと思うよ、鬼 さん。大庄屋(おおしょうや) さん。と、うわさで聞いたことがある。 観察をせずとも、全てを認めることができたら良い気もします。 どうでしょうか。 >>698
自分自身に苦手な部分はあり改善すればうまくいくんじゃないかと思います
自分の性格、見た目など欠点を直せば、自分を差別しなくなり、
他人も差別しなくなるのですか? >>699
当たってます、嫉妬と反発、これは昔からずっとあります
他人が持っているものが欲しくなる
かといって自発的にそれを欲しいと思ったことはない
みんな持ってるから私も欲しいとかになって疎外感が生まれる
それで私がそれを持っているのを想像して、
なんか違和感あるなと思って手に入れるのを止めます。
本心が分かるだけで本当になくなるのでしょうか。試してみます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています