>>523 それは挨拶を苦にするおぬしの心に原因があるからなのじゃ。
 挨拶に囚われ、よい挨拶に執着しているのじゃ。
 おぬし自身が挨拶によって人を区別しているのじゃ。
 よい挨拶をする者はよい、悪いあいさつわする者は悲しくさせるというふうにのう。
 それに囚われなければ何も苦にはならないのじゃ。
 そのような心の働きを観るのじゃ。

 挨拶などは儀礼による嘘なのじゃ。
 囚われなければただ自分だけ行えば善いだけなのじゃ。

>>525 特に異常ではないのじゃ。
 みんな好きなように生きているのじゃ。
 それが自由なのじゃ。

>>527 プラスの思いも妄想なのじゃ。
 全ては観念妄想なのじゃ。
 囚われずに観るのじゃ。
 そのように観ればよいのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。