アビダルマ仏教の分析では、煩悩の種類は98種類と説かれています。
煩悩の根本は痴でそれが貪と瞋に分かれ、さらにそれを分析していくと98種類ということでしょうか。

ところで、観察によってその苦しみがその98種の中のどれにあたるかと分析したところで、一体何になるんでしょうかね?
大切なのはその98種類の根本の貪瞋痴に気付く事で、観察・分類しても意味はありません。

このスレで永年にわたり繰り返されてきたのは、そうした些末の対症療法的・一時的なもので、全く根本的な解決にはなっていないのです。

馬鹿みたいに「観察するのじゃ」「厭離が起きるのじゃ」「苦滅するのじゃ」を延々と繰り返すのみです・・・愚かな。