本当に悟った人というものは、もはや自分が「悟った」とか「悟っていない」とかを話題にすることはないものです。

だから「もともと仏である我が、さらに仏になるための無我の修業をする」ことの是非など、全くどうでもよい話です。

円覚経に書いてあるではありませんか。
「輪廻から離脱したいという気持ちを捨てない限り、本当に輪廻を離脱することはできないのだ」、と。

(維摩不二法門)