悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】 65
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておいてくだ さい。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】63
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1523594822/ >>879
こんばんは!まず「本当にもっとお金が必要なのか?」チェックするといいと思います.たとえば数年分の家計簿を調べるなどです.
そう思うなら現実的に対応するといいと思います.
そうでないと思えば,嫁さんの発言に客観的な理由が見当たらないことになるので,
嫁さんはなにかわからないけど主観的な理由で結果的にもっとお金が欲しいと言ったことになります.
原因は嫁さんはリアルタイムに,次元を落としてたとえれば,
嫁さんのお金で買えるなにかが欲しい欲の水路を進む思考の速さ対して,
金が欲しい欲を流れる水路の水の現実の速さが遅く,両者の速さの違いで思考と現実が触れる接点から感情の水しぶきが上がり,
その感情を捉えてふと口にした,あるいは水しぶきが雲になって空を覆って陰鬱な気分になってその感情を漏らした,
さらに雲になった感情で空が覆われ,太陽が見えなくなり,陽光が雲の隙間から「金」という一条の光になって
>>879 さんの一部へ「金」という一条の光を当てて,反射を見て「少ない」と思った.
そのため>>879 さんへ「稼ぎが少ない」という意見を言ったかもしれません.
妄想なので嫁さん本人しかわかりません.
>>879 さんは嫁さんに「応援して欲しい」と思っているので,
嫁さんの一部へ「応援」という一条の光を当てて
「稼ぎが少ない」という反射を見て,欲しい反応と違ったので,嫌と思ったかもしれません. >>879 つづき
嫌な感情の解消方法については,一旦一時的に止めた思考が気を抜くとまた先へ走りだして止められないほど怒っていたら,
怒りがおさまって,快感を感じていい気分になるまで体を動かしてエネルギーを消費するといいと思います.
嫁さんへ対する言葉がいっぱいで,嫌な気持ちでムカムカして心の空が曇ってるとかなら,趣味,仕事,運動などなんでもいいので,
好みの速さでイメージ通り体を動かして,曇りが晴れるまで思考を進めるといいと思います.
そういった状態でなくなったら,集中して思考を戻し,嫌な感情を体の違和感などを手がかりに観察するといいと思います. >>879 つづき
オレはこの種の相互の観察をやったことがないのでわからないけど,観察結果はたとえば想像で書くと,
「金」についてなら,水の際にしゃがんで水面の一部に「金」という光を当てて,反射を見入ってる嫁さんを見つけたとします.
目を合わせます.「稼ぎが少ない」などとつぶやくかもしれません.すると嫌な感情は消えると思います.
また嫌な感情が再生したら,その反射を見入ってる嫁さんが再生してると思うので,
もう一度見に行って,その嫁さんの生成要因はなにか?と考え,
〜(「稼ぎがすくない」と言った嫁さん側の原因,これまで嫁さんが>>879 さんへ語った言葉などから推定できるかもしれない)
とわかると,嫁さんは解体され,なくなるので,嫌な感情は再発しなくなると思います.
「応援して欲しい」については同様に観察して,たとえば「嫁から応援されるのがオレである」と思っていたなら,
観察して,水面を「嫁から応援される」光で照らして反射を見入ってる>>879 さんを自身を見つけます.
目を合わせると,見入ってたことにハッ!と気づくので,照らされた一点を見なくなるので,
応援されてない反射を受けないので嫌な感情が消えます.
嫌な感情が再生したら,なぜ応援して欲しいと思ってるか調べ,そう思ったときの記憶を思い出し,
欲の思考の道筋に「嫁さんの応援」のような看板を置いたことを思い出し,集中して感情的にならないで理性的に看板を取り除きます.
嫌な感情は再発しなくなると思います.
上記は適当なので >>879 さんの観察がすべてです.
現実で >>879 さんが抗議したあとも嫁さん側から再度「稼ぎが少ない」と繰り返し言ってくるようなら,
別途現実の嫁さんへの対処をしたほうがいいと思います. 鬼和尚、夫とどう接していけばうまくいくでしょうか? >>876 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>877 虐殺はおぬしの頭の中にあるのじゃ。
それについてわしがどのようにすることもできないのじゃ。
慈悲があれば今ここでおぬしに説くこともできるのじゃ。
>>879 別れたら良いのじゃ。
嫁にもっと稼ぎのよいものと結婚したらよいというのじゃ。
その決意を持って話し合うのじゃ。
金に執着が無いものとあるものとてば価値観が違うから更に不幸にならないうちにわかれるのもよいのじゃ。
おぬし次第なのじゃ。
鬼和尚が新幹線に乗っていて通り魔がやってきても恐怖しませんか?
黙って刺されますか? 山岡鉄舟は毎年、宴会を開くのを常としていた。
ある年、一人の門人が吐瀉してしまった。
鉄舟は、何を思ったか、門人が戻した汚物を片っ端から食べて、跡形もなくした。
これは、鉄舟の考える「浄穢不二」、つまり清いものと汚いものの区別を超越するための修行だった。
弟子が「それにしても、体に毒でございましょう」と鉄舟の身を気遣うと、「畳の上の水連では役に立たない」と笑ったと言う。 「身体のことなんか考えていては、ろくなことはできん。いまどきの修行者をごらん。剣道でも禅でも、みんな畳の上の水練だから役に立たんじゃないか」こういったという。 剣法を学ぶ所以は、
ひとえに心胆練磨。
もって、天地と同根一体の理を果たして、
釈然たる境に、
到達せんとするにあるのみ。
山岡鉄舟 無刀とは、心の外に、
刀が無いこと。
敵と相対するとき、
刀に拠ることなく、
心を以って心を打つ、
これを無刀という。
山岡鉄舟 「修身二十則」
(鉄舟が満13歳の時に自身に課した人生訓)
一
嘘を言うべからず
二
君の御恩は忘るべからず
三
父母の御恩は忘るべからず
四
師の御恩は忘るべからず
五
人の御恩は忘るべからず
六
神仏ならびに長者を粗末にすべからず
七
幼者をあなどるべからず
八
己れに心よからざることは、他人に求むべからず
九
腹を立つるは、道にあらず
十
何事も人の不幸を喜ぶべからず
十一
力の及ぶ限りは、善き方につくすべし 十二
他をかえりみずして、自分のよきことばかりすべからず
十三
食するたびに、農業の艱難を思うべし、
すべて草木土石にても、粗末にすべからず
十四
ことさらに着物を飾り、あるいはうわべをつくろう者は、
心に濁りあるものと心得べく候
十五
礼儀を乱るべからず
十六
いつ何人に接するも、客人に接するように心得うべく候
十七
己の知らざることは、何人にても習うべく候
十八
名利のために、学問技芸すべからず
十九
人にはすべて能不能あり、
いちがいに人をすて、あるいは笑うべからず
二十
己れの善行を誇り顔に人に知らしむべからず
すべて我が心に恥ざるに務むべく候 山岡鉄舟・・・彼こそ、徳川家を救い、江戸城を無血開城に導いた真のヒーローだと思います。
「どうやって敵陣を潜り抜け面会を果たすつもりか」と勝海舟から尋ねられ、
「それは我が胸中にあります」と答えました。
前もってこうしよう、ああしようと決めてかかれば心が自由を失い、不測の事態に即応できなくなることを言っているのだと思います。
鉄舟は反幕府軍が駐留している静岡に向かいます。殺気立った先発隊の反幕府軍が警備するなかを、
「朝敵、徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかりとおる!!」
と大声で堂々と通り抜けたと言われてます。これは鉄舟の腹がどれだけ据わっていたか、物語るエピソードだと思います。
死の危険の伴うぎりぎりの状況下で心の自由を保ち、目的を遂げることは至難の業です。
山岡鉄舟に惹かれる人が多いのは、そうした常人にはとてもできないような難事を見事にやってのける人間力、
あのように生きてみたいと思わせるような痛快な生きざまに魅了されるからでしょう。 >>885 よいところを見つけてほめてやるとよいのじゃ。
箸の持ち方よいとかいくらでもほめられるのじゃ。
ときどき独りになるとよいのじゃ。
>>886 おぬしがよいことと思えばよいのじゃ。
よいことと想わなければよいことではないのじゃ。
おぬし次第なのじゃ。
>>888 恐れは無いのじゃ。
悟りの力で説得するのじゃ。
簡単なことじゃ。 >>897
簡単なことではないでしょう
聞く耳持たずナタを振りかざすと思いますよ 円覚経には、「作・止・任・滅の四病をよく除きうる者を師とせよ」とある。
「作・止・任・滅の四病」とは、完全な悟りを求める修行者が患う四種の病であるという。
作とは、行者が様々な修行によって悟りを得ようとすること。
止は、知覚や認識、記憶の意識活動を止めて悟りを得ようとすること。
任とは、自身の主体的行為を止め、モノの自然に任せきることによって悟りを得ようとすること。
滅は、すべての煩悩を滅することによって悟りを得ようとすること。
いずれの場合も、悟りはそのような行為によって「得られるもの」では無いことから、病であるとされている。 鬼和尚は今年の暫定流行語大賞は
やらなきゃ意味ないよ
だと思いますか? >>900
よくそういわれるが釈迦はそういうこと全部やってから悟りを得てるんだよね
準備というか前段階で十分な清浄すませないことには
悟りに至りようがないのではないかね 鬼和尚は若山し参加殺人事件はどう推測しますか?
悲しみに襲われた爺さんの突発的な自殺ですか?
嫁とか政府による毒殺ですか?
それともそれ以外の何かですか? 鬼和尚はさっちゃんはさちこというんだけど小っちゃいからそう呼ぶんだとか思いますか? >>901
わしも、それが良いと思うのじゃ。
今の日本を象徴していて、いい戒めになるのじゃ。
「やらなきゃ意味ないよ 」 娯楽やスポーツ感覚の性行為を繰り返していると、いつかしっぺ返しがやってくるでしょうか?
よく言われてる感染症以外に、例えば悪い人間と繋がりができたり借金や誰かを傷つけたり。
もっと清らかで崇高な行いだと認識しなければならないでしょうか? >>899 簡単なことじゃ。
わしは筋肉もりもりであるからのう。
みんな筋肉もりもりになるとよいのじゃ。
>>901>>904>>906 何無思
>>903 おぬしが推理した通りじゃろう。
さすがじゃな。
>>909 おぬしがそう思うならばやってくるじゃろう。
思わなければやってこないのじゃ。
何も認識しなくてよいのじゃ。
自由なのじゃ。 黄金の炎を見たとかそうした幻聴は何かの病気ですか? 鬼和尚は悟りを開いた後、人の死について何か思うことはありますか?
何も感じなくなりましたか? 鬼和尚の神通力は和歌山資産家事件すらわからんのですか >>900
悟りは訪れるもの、気づいたら得られているもの、ということでしょうか。 わからなくなってきました。
苦をなくそうと観察することは作為的であり、このこと自体まずいことでしょうか。
しかし苦をなくす目的がなければ、観察も意味をなさないと思ってしまいます。
苦をなくそうとあくせくすることは放棄し、観察もやめるべきでしょうか。
苦をなくそうとすること自体が、誤りなのでしょうか。 因果。
すべての物事には原因と結果が存在します。
苦が何も無い所から生まれる訳ではなく、何か因果関係によって生まれます。
苦をなくそうなくそうと強く願う気持ちが新たな苦になることもあります。
観察によって苦の発生源を観ることが出来れば、
自ずと発生源を取り除く手段を見出だせるでしょう。 苦も観察も誤り、とすると、良い境地に立てる気もしますが、こんな感じでも宜しいでしょうか? >>917
あ、そうなんですね。
苦の発生源を観てみます。
ありがとうございます。 悟った方へ:
よくある話ですが、日常相談、宜しくお願いします。
マンションの隣室に新しく越してきた若い女が昼夜逆転の生活。
毎晩夜中1-3に起こされて困っています。
部屋に防音をしても、耳栓して寝ても起こされています。
不動産会社へ苦情通報しても、警察へ通報しても(警官立ち会い検証)、日常生活音だから、と
全く改善されず、この1カ月間寝不足で困っています。
@相談1:何か良い防音策、安眠方法は無いものか
一応、引っ越しを検討し、何カ所か物件の下見を依頼したのですが、問い合わせにガン無視する不動産屋、
宣伝広告に出ているのに「物件は先約が入った」と変な物件を薦めてくる不動産屋、
約束を平気でやぶる、担当がコロコロ変わる不動産屋などで苦労しています。
A相談2:これも神からの警告:引っ越しは辞めた方が良いのか >>915
そういうことじゃ。そのためには一心に修行しなければならんのじゃ。
わしの場合は、高齢の母親が日に日に衰えていくのを見て、辛くて悲しくて
毎日そのことばかり考えていたのじゃ。
ある日、突然、サティが起こり、サマーディ状態になったのじゃ。
サティの内容は前に書いたから省くのじゃ。
追い詰められれば、悟りは向こうからやって来ると思うのじゃ。 >>920
ひょっとして上の階の音がうるさくて寝れないのではなくて
そういう神経過敏になってるから寝不足なのでは?
となると、睡眠外来とか精神科で相談して
眠剤を貰うっていうのもひとつの方法としてはあるけど。 >>922
ありがとうございます。
実は市販の強めの睡眠剤+耳栓+耳あてしても、横の居室からの
単発的な「どんどん」という音が入って叩き起こされています。
心療内科へも行きましたが、「病気ではない」という話でした。
引っ越しを考えて色々調べていますが、なかなか決まらず
こういう事を含めて
すべて神仏からの警告と考えています。
これはどういう主旨の警告でしょうか・・・。 >>923
それ行動した順番あってます?
心療内科に行って異常はなかったから市販の薬品を買ってないですか?
そしてそれを使っても眠れない状況だったのではないでしょうか。
市販薬よりは医薬の方が一般的に効率が高いと言われています。
ですんで一般の市販薬を使っても効果が薄いんでしたら
再度お医者さんに行った方がいいかもしれませんよ?
それと精神科と心療内科は少し違うのでお気をつけあそばせ。
身体異常がないのでしたら精神科案件だと思いますよ。 >>916
自縄自縛だ
ま
いちいち観察せんでいいよ
>>918
お前良ければ全て良し
が
それらは同じだ
>>920
他スレが答えに富む
ま
残りの対象群にも相談しよう >>912
あほぽったんは脳みそがガンに侵されたのじゃろう >>915
>>921
それは任です。それではどうにもなりません。
任とは、自身の主体的行為を止め、モノの自然に任せきることによって悟りを得ようとすること。
「経文を悪く解釈して、まだ本心を悟らない人が、身・心がすべて滅びつくして、
すべてみな空であり、無我なる境地を、真実の仏法だと思っている者がある。
これを滅尽定、または非想定といい、ひとつの方便でしかなく、
これを悟りと思って人に説くのはあやまった解釈である」
夢窓疎石 左脚の股関節や筋?が痛くなりました。
病院へ行っても原因がわからないと言われました。
去年は同じ感じに右脚が痛くなりました(こちらも原因不明)。
これは何が原因なのでしょうか?
また、早く治すにはどうしたらよいでしょうか? 追記
右脚の方ですが、MRI撮ってもらったら
大腿骨が萎縮していると言われました。
何故そうなったのかは不明だそうです。 本心とは、本当の心、心の本当のところ、という意味合いでしょうか?
本心を観察することで、本心は悟れますか?
本心が悟れたら、常に本心とともにあれたら、それでOKでしょうか? 自分の心のうわべだけを観察しても、自分の心の核心を観察しないことには、人生は始まらないでしょうか。 自分の本心を観察しようとしたら、本心がないことがわかりました。
自分の心の中心には、なにもないという感覚です。
心の中心から外側へ向かえば向かうほど、煩悩に支配されてしまう感じです。
自分の心の中心に意識を置いた方がいいのでしょうか。
それとも、ただとらわれのないこころであれたらいいのでしょうか。 「現境」というのですが、いろいろな心境が現れてくる。
例えば、夢窓疎石が囲炉裏の前で坐禅をしていたら、囲炉裏の炎がボーッと空中に飛び上がった。
それがサーッと光った途端にすべてが分かったような感じがしたというのです。
或いは、竹藪に陽があたって風がそよいだ。その瞬間に自分の心の動きが分かったような気がした。
これを現境といって、私なんかも実際それを経験しています。
坐禅をしていると、地獄のどん底をダーッと落ちていくような錯覚が起こったり、人によっては仏さまが背高ぞろいで、目の前にズラーッと現われたりします。
すべてこれは現境です。魔境であると、禅では言います。
自分のことを言って恐縮ですが、愛宕山の近くに月輪寺という寺があり、私もそこで一週間断食して坐禅をしたら、体が全部透き通った。
これは悟りだと思って寺へ帰って牧翁老師に言うと、問題にされなかったということがあります。そういうのを現境という。 夢窓国師
「華厳経にある「十地」とは、修行の段階を10段階にわけて具体的に示すものなのじゃが、
そこには、「それまでに獲得した知識や境地に間違いがあることに気がついたとき、ひとつ上の段階へ登ったといえる」と書かれておる。
つまり、それまでに獲得した知識や境地を否定することを通じてこそ、ひとつ上の段階へ登れるのだということじゃ。
「あっ、何やってんだオレ!? 今まであんなしょーもないものを最高だと思って信じていたなんて・・・ バカ! 今までのオレのバカ!!」 という気持ちになったとしたら、それは境涯がひとつアップしたということなのじゃ。
次々に直前の知識や境地を否定してゆき、遂には仏とほぼイコールとなる「等覚」の境地に到って智慧は完成の領域に達するが、
まだ「無明」の域を脱しておらず、最後にそれまでに得た「智慧」を「無明」と同時に振り捨てることで最終境地である「妙覚」の境地に到ることができる。 これを妙覚智断と呼ぶのじゃが、それが本当にできた時には、それまでの修行過程のことはもちろん、最後に妙覚智断を実施したことすらも忘れてしまう。
そして、そうなった時はじめて、直接見ることのできない奥深いところに元から持っていた本物の智慧とひとつになることができるのじゃ」 >>916
これが「作・止・任・滅の四病をよく除きうる者を師とせよ」の意味じゃ。
妙覚智断に至れば
「作とは、行者が様々な修行によって悟りを得ようとすること」もよけいなものじゃからな。
悟っていない凡人夫はもちろん修行をしたほうがよいことはいうまでもない。 >>912 病ではないのじゃ。
囚われなければよいのじゃ。
>>913 もはや何も思わないのじゃ。
それも観念でしかないと気づいたからのう。
おぬしも早く来るとよいのじゃ。
>>914 おぬしの思う通りなのじゃ。
すべておぬし次第なのじゃ。
>>916 そのようなことに囚われなくてよいのじゃ。
苦をなくすために観察するとよいのじゃ。
経は囚われるならばないほうがよいのじゃ。
自ら実践して確めたことを真実として認識して進むのじゃ。
>>918 よくないのじゃ。
実践が全てなのじゃ。
>>920 おぬしの本心を観るのじゃ。
実は隣の若い女子に興味津々なのかもしれん。
そうであるから無意識に聞き耳をたててしまうのかもしれん。
或いは何かの恐れや不安からおぬしは音を過剰に聞こうとしているのかもしれん。
音も聞くという意志がない限り聞こえることも無いのじゃ。
本心を見極めて気づくことができれば変えられるのじゃ。
本心がわからなければどこに引っ越しても同じ問題が起こるのじゃ。
本心を観るのじゃ。 >>928>>929 難しいゲームじゃ。
>>931>>932 それは座り過ぎかもしれん。
あるいは姿勢が悪くて足の血行がわるからかもしれん。
姿勢を良くして座り過ぎないようにするのじゃ。
足をマッサージして足湯とか温冷浴とかをするのじゃ。
ヨーガとか気功法とかも実践するとよいのじゃ。
>>934 そのような意味なのじゃ。
本心が悟るということはないのじゃ。
ただありのままにあるだけなのじゃ。
観察するのじゃ。
>>935 本心を観察するとよいのじゃ。
人生というものは誰にも無いのじゃ。
記憶による観念のみなのじゃ。 >>936 それが嘘ではないならば本心がないとか思っているのが本心なのじゃ。
何もないという感覚と思っているのが本心なのじゃ。
煩悩に支配されてしまうという感じと思っているのが本心なのじゃ。
どこにも意識は置かないでよいのじゃ。
囚われのない心であることも出来ないのじゃ。
ただひたすらに本心を観察すればよいのじゃ。 >>920
夜寝てるところをたたき起こされるくらいの大きい音なら
引っ越して次入る人もいられないと思う
賃借人が安定しないと家賃収入が減る大家さんが困ると思う
生活音が聞こえ過ぎるのはマンションの構造上の欠陥なので
録音して,大家さんへ本格的な防音工事を頼んでみたら? >>941
鬼和尚レスありがとうございます
>>913ですが、実は私もそうなってしまったので、みんなそうなるのか気になって質問させて貰いました
ありがとうございました >>942
下心も本心も仏心も、ひとひとりの人間の心にある、ありのままの心の形態でしょうか。
自分の心を、ありのままに解き明かせばいいのでしょうか。 ありがとうございます。
鬼和尚さんご自身の本心を、お聞かせ願えませんか。 素人相手に鬼和尚とか偉ぶっているけど、専門家がゴロゴロいる宗教板では、この人はただの統失扱いですからw 人を許せないのは相手のせいではなく自分の観念だけのせいですか? >>931
生活習慣が標準だx2
>>934
調べよう
そうでもない
お前良ければ全て良し
>>935
そうでもない
>>936
どうとでも
が
システムは調べて吉
>>951
「俺が法だ」 >>951
そう。
大雑把に言うと、何が起きたかは関係なくて、自分が敵だと信じる者に対して怒りが向かう(敵ならば何をしようがしまいが関係なく存在そのものが攻撃対象になる)。
逆に味方と信じる者は何をしていても許す。
例え自分の体が物理的に傷つけられるのであっても医者が手術のためにメスを入れるみたいな事なら普通は許せる。
これは自分の味方になる人だと信じて信頼しているからだ。(同じ医者でも信用できない場合はこうはならない) 孔子は大聖人であるが、その孔子にしてなおかつ、「勤勉では私も人並みだが、君子としての実践では、私はまだ十分には行かない」(論語)とか、
「君子の道は四つ有るが、私は未だその一つをも行なうことが出来ない」(中庸)などという述懐がある。
山岡鉄舟は、「我れ幼年の時より、心胆錬磨を講ずる事、今日に及ぶといえども、未だその極意を極むる事ならぬ理由は、一つに我が誠の足らざるが故なり」と述懐している。
これこそ「意・必・固・我」の四つを断たれた孔子と鉄舟の無我・至誠のおのずからなる発露に他ならない。 孔子が「自分は君子の実践すらまだ不十分だ」と述懐され、鉄舟が我が身の誠の足りないことを痛感することこそ、「無我」の実践そのものである。
自分は何でも出来る、足らぬところがないなどと自負する人は、傲慢で鼻持ちならなくなってしまう。
それは結局、我が身可愛さゆえの身のひいきであり、「我見」である。 >>933
現在38歳です。
>>942
>>952
座り過ぎなどの習慣はあるかもしれません。
気をつけてみます、ありがとうございました。 「無我・無私」と「何も考えてない人」に違いはあるのでしょうか? >>944
まさに!絵にかいたようなエスパーな回答です。その通りです。
管理会社も、「スマホで録音してUSBメモリで送ってくれ、最終的には壁の防音を考える」
と言ってきました。
で、録音しようとしたのですが、
@深夜、一番深い眠りの時に突然起こされるので、こちらも”ふらついて”うまく録音できない。
スマホをスタンバイした日は異常なくらいに静か、窓からチェックしても隣人はいない、と
不気味なくらいにタイミングがとれない
A他の時間帯(11時ごろ)に音がしたので録音したのですが、スマホでの録音感度が悪いのか
不動産屋も説得できないレベルの音しか拾えない
と、まるで追えば追うほど魔が逃げていく、みたいな感じです。
一応宗教関係のスレッドですので追記ですが、前に住んでいたマンションでも
まったく同じようなことがあり、その時は知り合いの霊能者に
「それは幽霊です!霊的なものの仕業です。引っ越しです!」と厳しく言われて
今のところへ引っ越ししてきたわけです。
霊能者とは疎遠になって連絡がとれず、こちらで相談した次第です。
ちなみにメンタル面では(周囲の意見も含めて)きわめてノーマルですので、精神的な病気ではないそうです。 >>958
何も考えてない人は無我でも無私でもないのでは?
「何も考えてない人」は言葉の意味としても字面通りではなく自分勝手とかこちらの事を考慮していないみたいなネガティブな意味を含んでいて無我や無私とは無関係な言葉だと思うんだけど。 >>959
でも神経症ならありうるのでは?同じ事ばかりに集中してれは誰でもそんな症状になると思うが。
気になることを気にするともっと気になってしまうという感じ。センサーが鍛えられてどんどん敏感になって行く。
毎日筋トレしてたら筋肉付きましたってのと同じで、毎日耳を凝らして隣の部屋の音を聞いてたらどんどん耳がよくなってより大きく聞こえるようになると。 >>954
その勝手な敵意と攻撃を受けてダメージを受けた側が許せないのも、こっちの勝手な敵意なのですか?どう観念を外して許せばいいのですか? ブッダも黙示録のような預言的内容の言葉を残されたりしてるんですか?
キリスト教の聖書に書かれている終末や最後の審判のような。
この先、人類に起こる未来の出来事についてブッダが語っている言葉があれば紹介して下さい。 ただ自分の心を、淡々と観察していけばいいのですか? >>963
ブッダは未来のことについては何も語っていないのじゃ。
おぬしも仏教を学ぶのじゃ。 鬼和尚に糞和尚に偽和尚
次は何和尚が出てくるかな? >>945 どういたしまして、またおいでなさい。
>>948 下心とか仏心などはないのじゃ。
本心をただひたすらに観察すればよいのじゃ。
観念に囚われずに本心だけを自らに明け渡し、観察するのみなのじゃ。
>>949 わしにはもはや無いのじゃ。
思考も感情も認識もただ仮に設けているのみなのじゃ。
>>950 宗教板には専門家など一人もいなかったがのう。
基本の止観さえ知らぬ者だけであったのじゃ。
それは今のこの世の全ての僧と名乗るものと学者も同じで在るがのう。
>>951 そうじゃ、自らの心の中に原因があるからなのじゃ。
その原因を観察して見極めるのじゃ。
原因から許せないという感情が起こることを観察するのじゃ。
そうすれば消えるのじゃ。
>>957 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>963
「大集月蔵経」他、いろいろとあるようですね。
ただし、仏陀の直説では無いでしょうけどね。 さて、さらに世間には五つの塵があります。気づきをもって、それらを制御するために励みなさい。
すなわち、いろかたち、音声、また、味、香り、触覚における貪欲に打ち勝ちなさい。
Ath?para? panca raj?ni loke yesa? sat?m? vinay?ya sikkhe
r?pesu saddesu atho rasesu gandhesu phassesu sahetha r?ga?.
(スッタニパータ) >>967
安定のスベりだあ。以前にもチョロット登場したけど。これからは自重しとく。笑 気付きでいいんですよ。
どこぞの怪しい紛い物の本とかに書いてあることは遠回りになるだけ。
観察なんかして分裂して何の意味があるんでしょうか・・・ >>958 あるじゃろう。
無我とはもはや自分の名称とイメージを認識しないことなのじゃ。
何も考えていない者にも自分の名前とイメージの認識はあるのじゃ。
そのような違いがあるのじゃ。
>>963 ないのじゃ。
人類はおぬしの生きている間だけ存在するのじゃ。
おぬしが死ねば人類も世界も宇宙もなくなるのじゃ。
全ておぬし次第なのじゃ。 自作自演・自問自答・自画自賛ですねwww
948 名前:マジレスさん[sage] 投稿日:2018/06/13(水) 00:37:43.00 ID:Vrn4QZFh [1/5]
>>942
下心も本心も仏心も、ひとひとりの人間の心にある、ありのままの心の形態でしょうか。
自分の心を、ありのままに解き明かせばいいのでしょうか。
949 名前:マジレスさん[sage] 投稿日:2018/06/13(水) 00:43:45.75 ID:Vrn4QZFh [2/5]
ありがとうございます。
鬼和尚さんご自身の本心を、お聞かせ願えませんか。
964 名前:マジレスさん[sage] 投稿日:2018/06/13(水) 21:18:32.14 ID:Vrn4QZFh [3/5]
ただ自分の心を、淡々と観察していけばいいのですか?
967 名前:仮和尚[sage] 投稿日:2018/06/13(水) 21:31:41.64 ID:Vrn4QZFh [4/5]
>>966
私だ。
971 名前:マジレスさん[sage] 投稿日:2018/06/13(水) 21:40:49.43 ID:Vrn4QZFh [5/5]
>>967
安定のスベりだあ。以前にもチョロット登場したけど。これからは自重しとく。笑 そういう場なんだろうけど、敵は作ろうとしない方がいいよ。 本当に悟った人というものは、もはや自分が「悟った」とか「悟っていない」とかを話題にすることはないものです。
だから「もともと仏である我が、さらに仏になるための無我の修業をする」ことの是非など、全くどうでもよい話です。
円覚経に書いてあるではありませんか。
「輪廻から離脱したいという気持ちを捨てない限り、本当に輪廻を離脱することはできないのだ」、と。
(維摩不二法門) 事実を書いて都合が悪いのなら、一体どうすればあなたの気が済むんですかねぇ? レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。