悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】 65
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておいてくだ さい。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】63
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1523594822/ 心にあるのはいいわるいだけじゃないですね。
表現にとらわれてました。
失礼。 >>848
仏教書を読んだり公演会に行ったり。
坐禅会や摂心に参加したり、家で坐禅したり。
なにかをする時は集中してやり、バランスの良い食事で腹八分目、そんなもんです。 鬼和尚がいつも何も思わないのは
解決する能力がないから
自分の面倒を見るだけで精いっぱいだからですか?
それは悟りを得た人ではなくただの凡人じゃないんですか? >>809
他の一部から攻撃されたとき,なんらかの理由で攻撃したものを悪く思わないようにした結果,(他の全部の性質だからしようがない)と思い,納得したから.
過去に我慢できる,受け流せる量を超えた攻撃を受けた.その結果,自衛のため思考の通り道に「その性質について注意せねばならない」と決めた.
他の全部を見るとその性質を注意するので,一部の他でない他にその性質が原因の現象が見られると(コイツもか!)と思い,嫌な感情が発生する.
攻撃は過去のことで,たとえばこの 1 年間なかった.今もない.今後もないだろう...と思えるなら,思考の通り道に「その性質について注意せねばならない」
の看板を置いたときの記憶を理性的に思い出して,看板を取り除くことができるかもしれない.
すると,他を見たとき,他のその性質について照らし,反射を見て嫌な気分になったりならなかったりするオレやアタシが一時的に消えるだけでなく,
他のその性質を照らさなくなるので,反射がないので反射を見入るオレやアタシが再生しないので,嫌な感情はなくなる.
(イヤイヤ,まだわからない,今後もありうる.)と思ったり,怒りの感情,恐怖の感情,体の緊張,警戒状態など反応が見られるなら,
大丈夫と思えるまで,攻撃されないで時間が経つのを待つ.
攻撃した一部の他から離れ,同じ性質を持つ友人と仲良くなると,見たとき嫌な感情になる対象が,全部から一部へ絞られるので,嫌な感情を感じる機会が減る.
肉体へ及んだ攻撃は,強い感情を伴う記憶になるので,精神的苦痛のように早く看板を除くのは難しい.
思考を先へ進めることになるけど,危険察知能力,肉体の強化,攻防技術,逃げ足の速さなどを習得して,その状態と過去受けた攻撃を思い出して,
なんらかの手で対処できると判断できれば,その看板は倒れるので,結果的に早く嫌な感情を感じないですむようになる可能性がある
(その点は精神的な攻撃についても同じと思う). >>854
ありがとうございます。
確か仏教には空という境地がありますよね。
何か悩んでいて意識がそこからふとぬけでた空間にある感覚でしょうか。
看板を撤去することを意識しつつ、とらわれのない空と生きてみようと思います。 どういたしまして!
空については知らないです.
仏教については >>855 さんのほうが詳しいのでは?
よかったですね!^ ^ 自分を観察することの重要性はよく分かりました。
では他人を観察して勉強になったり得られるものは一切無いのでしょうか?
例えば電車に乗ったり普通に街を歩いてる時には人間ウォッチなどはせずに、
自分の挙動だけに意識を集中して歩くべきですか? >>855
看板の語は「○〇注意!」とか「○〇危険」,「守れ!」などいろいろで,なんて書いてあるか本人にしかわかりません.
状況を思い出して,探ってください.
正解の看板を取り除いたとき,そのことで思いつめていたら,緊張がゆるんだり,スカッとした気分になるなど,気分に変化が見られると思います.
看板を取り除いたあと,他のことを思い浮かべて,いつもわく嫌な感情がわかなかったら正解です.
看板をすぐ元にもどして他を思い浮かべて,淡い嫌な感情が見られることで正解を確認して,不要と判断するなら看板を取り除くといいと思います.
お役にたててよかったです!^ ^ 悟る人は、枯葉が一枚落ちるのを見ただけでも悟るって言うよね >>840
> >>839
> 聞思修と戒定慧の実践、知足と中道の生活です。 』
何もしてません、の自白調書を作成しました。 >>857
人は他人を観察しても,
(オレがかつてこうだった.だからあの人の挙動の原因もそうだろう.)
くらいに自が経験した過去からしか他人の挙動の原因を類推できないです.
他人は過去,肉体,精神,価値観,目的,状況などいろいろ,
たとえ一緒に住んでて四六時中顔をつきあわしててよほど詳しい人でも,挙動のパターンがある程度わかっても,挙動の原因はわからないです.
電車に乗ったり普通に街を歩いてる時に会う人のならさらに難しいし,たとえ当たったとしても,たしかめようがないです.
自を知るという意味では他人の挙動を見て
(なんであの人の姿 or 挙動がオレは気になるんだろう?)
と考えるきっかけにはなるとは思います.
>自分の挙動だけに意識を集中して歩くべきですか?
ご自由に! >>857
>自分の挙動だけに意識を集中して歩くべきですか?
ちなみにオレはいつもそこまでこだわってまじめにやってないよ!^ ^ >>833 語られていることがわかるならば近いじゃろう。
学ぶことが出来たことになるからのう。
実践によって更に近くなるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>841 焼肉はしばらくたべていないのじゃ。
おぬしが布施をしたら食べるのじゃ。
>>842>>846 無何思。
>>853 試しにおぬしの人生を激変させる方法を聞くとよいのじゃ。
>>857 あることはあるじゃろう。
しかしその効果は自分を観察して得られる善い効果の万分の一位なものじゃ。
自分を観察して自分に気づくことで進歩していくのじゃ。
それが真の奇跡なのじゃ。 鬼和尚は>>844のような大切なことにも何も思わないのですか? 臨床心理学者の松田真理子博士は、2004年に学会賞を受賞した「統合失調症
者のヌミノース体験」題する論文で、多数の統合失調症患者の広汎な臨床検査に
基づき、「統合失調症の症状と宗教の症状とは、全く同じ」という結論に達している。
患者には、クリスチャンが圧倒的に多い。松田博士は、旧約の預言者は、すべて
統合失調症患者としている。
「精神病は感染する」(感応精神病)というのが、現代の精神医学の定説。
宗教が統合失調症と全く同じである以上、狂人の言葉をいくら学んでも無意味
である。その「治療法」こそ、真剣に議論すべきこと。
宗教板は、統合失調症患者である宗教信者たちの、得難い臨床観察の場
なのだから。
松田博士の論文は、既に学会の定説であった精神医学者宮本忠雄氏等の
「統合失調症と宗教との相似性」の臨床検査による追認であり、松田氏の
論文にも引用されているその相似性のまとめは、下記の通り。
真正の宗教体験と統合失調症体験との相似:
(1)見えないものの現存感と実体的意識性
(2)神の声と幻聴
(3)見神と幻視
(4)啓示と思考注入・妄想着想
(5)超越者からの支配感(召命感)と被影響体験・させられ体験
(以上、前にあるのが宗教体験で、後にあるのが統合失調症の体験) >>857
どうとでもx2
つか
観察は重要でない 鬼和尚も忘れかけてきたころに
2010上海万博PRソングとか聴きたくなったりしますか? 鬼和尚もそろそろ中国に占領される日本の将来を見据えて
アーリンイーリンダンニーライとか中国語くらい習得しとくべきだと思いますか・ 悟りを開いた人間なら>>844について立派な一言があるだろう 苦を無くすには自分を観察し、固定観念や先入観念、記憶からの苦であると気付けばいいのですか? 固定観念や先入観念、記憶からの苦であると気付く、あるいは、そう理解したり、納得することにあるのでしょうか。 >>864>>870 わしは何も想わないのじゃ。
おぬしがわしはこのような立派なことを思っていると思えばよいのじゃ。
おぬしがそう思えばわしが思っていることになるのじゃ。
>>868 ルールが難しいゲームとかの歌が聞こえてくる気がするのう。
>>869 ピンフでよいのじゃ。
>>871>>872 ただ観察すればよいのじゃ。
気づこうとすることはできないのじゃ。
ただひたすらに観察するだけでよいのじゃ。
気づくことは自然にやってくるのじゃ。
それによって苦をもたらす縁起との自己同一化がなくなるから苦が無くなるのじゃ。
>>873 今来たのじゃ。
>>875
たいへんな道のりだとは思いますが、とことん自分を観察し尽くすんでしたよね。
どこまでも自分を観ていこうと思います。ゴールにある安らぎを信じて。
ありがとうございます。 鬼和尚は虐殺とかに何も思わないのにその口で
慈悲がどうのこうのとか口走ることがあるのはなぜですか? .
|Å`)<笑う門には福きたる。。暇な人、小説でも読んで笑って。
|)彡サッ
電脳世界の妄想譚
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885383001 嫁に「稼ぎが少ない」と言われてショックです。
金に執着がないので、これ以上身を削ってまで働くのは苦痛です。
自己イメージが傷つけられて立ち直れないでいます。
嫁の顔を見るだけで言われた事を思い出して腹が立ちます。
自尊心が傷ついているのに、相手はそれをさっぱり理解していません。
それを伝えても自己正当化の言葉ばかり返ってきます。
応援して欲しいのに、嫁はメンタルが弱くて自分の事しか考えられないようです。
そして私もメンタルが弱く、立ち直るのに何週間もかかります。
毎日、家庭が暗いです。
なにか良い方法を教えてもらえませんか? >>879
こんばんは!まず「本当にもっとお金が必要なのか?」チェックするといいと思います.たとえば数年分の家計簿を調べるなどです.
そう思うなら現実的に対応するといいと思います.
そうでないと思えば,嫁さんの発言に客観的な理由が見当たらないことになるので,
嫁さんはなにかわからないけど主観的な理由で結果的にもっとお金が欲しいと言ったことになります.
原因は嫁さんはリアルタイムに,次元を落としてたとえれば,
嫁さんのお金で買えるなにかが欲しい欲の水路を進む思考の速さ対して,
金が欲しい欲を流れる水路の水の現実の速さが遅く,両者の速さの違いで思考と現実が触れる接点から感情の水しぶきが上がり,
その感情を捉えてふと口にした,あるいは水しぶきが雲になって空を覆って陰鬱な気分になってその感情を漏らした,
さらに雲になった感情で空が覆われ,太陽が見えなくなり,陽光が雲の隙間から「金」という一条の光になって
>>879 さんの一部へ「金」という一条の光を当てて,反射を見て「少ない」と思った.
そのため>>879 さんへ「稼ぎが少ない」という意見を言ったかもしれません.
妄想なので嫁さん本人しかわかりません.
>>879 さんは嫁さんに「応援して欲しい」と思っているので,
嫁さんの一部へ「応援」という一条の光を当てて
「稼ぎが少ない」という反射を見て,欲しい反応と違ったので,嫌と思ったかもしれません. >>879 つづき
嫌な感情の解消方法については,一旦一時的に止めた思考が気を抜くとまた先へ走りだして止められないほど怒っていたら,
怒りがおさまって,快感を感じていい気分になるまで体を動かしてエネルギーを消費するといいと思います.
嫁さんへ対する言葉がいっぱいで,嫌な気持ちでムカムカして心の空が曇ってるとかなら,趣味,仕事,運動などなんでもいいので,
好みの速さでイメージ通り体を動かして,曇りが晴れるまで思考を進めるといいと思います.
そういった状態でなくなったら,集中して思考を戻し,嫌な感情を体の違和感などを手がかりに観察するといいと思います. >>879 つづき
オレはこの種の相互の観察をやったことがないのでわからないけど,観察結果はたとえば想像で書くと,
「金」についてなら,水の際にしゃがんで水面の一部に「金」という光を当てて,反射を見入ってる嫁さんを見つけたとします.
目を合わせます.「稼ぎが少ない」などとつぶやくかもしれません.すると嫌な感情は消えると思います.
また嫌な感情が再生したら,その反射を見入ってる嫁さんが再生してると思うので,
もう一度見に行って,その嫁さんの生成要因はなにか?と考え,
〜(「稼ぎがすくない」と言った嫁さん側の原因,これまで嫁さんが>>879 さんへ語った言葉などから推定できるかもしれない)
とわかると,嫁さんは解体され,なくなるので,嫌な感情は再発しなくなると思います.
「応援して欲しい」については同様に観察して,たとえば「嫁から応援されるのがオレである」と思っていたなら,
観察して,水面を「嫁から応援される」光で照らして反射を見入ってる>>879 さんを自身を見つけます.
目を合わせると,見入ってたことにハッ!と気づくので,照らされた一点を見なくなるので,
応援されてない反射を受けないので嫌な感情が消えます.
嫌な感情が再生したら,なぜ応援して欲しいと思ってるか調べ,そう思ったときの記憶を思い出し,
欲の思考の道筋に「嫁さんの応援」のような看板を置いたことを思い出し,集中して感情的にならないで理性的に看板を取り除きます.
嫌な感情は再発しなくなると思います.
上記は適当なので >>879 さんの観察がすべてです.
現実で >>879 さんが抗議したあとも嫁さん側から再度「稼ぎが少ない」と繰り返し言ってくるようなら,
別途現実の嫁さんへの対処をしたほうがいいと思います. 鬼和尚、夫とどう接していけばうまくいくでしょうか? >>876 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>877 虐殺はおぬしの頭の中にあるのじゃ。
それについてわしがどのようにすることもできないのじゃ。
慈悲があれば今ここでおぬしに説くこともできるのじゃ。
>>879 別れたら良いのじゃ。
嫁にもっと稼ぎのよいものと結婚したらよいというのじゃ。
その決意を持って話し合うのじゃ。
金に執着が無いものとあるものとてば価値観が違うから更に不幸にならないうちにわかれるのもよいのじゃ。
おぬし次第なのじゃ。
鬼和尚が新幹線に乗っていて通り魔がやってきても恐怖しませんか?
黙って刺されますか? 山岡鉄舟は毎年、宴会を開くのを常としていた。
ある年、一人の門人が吐瀉してしまった。
鉄舟は、何を思ったか、門人が戻した汚物を片っ端から食べて、跡形もなくした。
これは、鉄舟の考える「浄穢不二」、つまり清いものと汚いものの区別を超越するための修行だった。
弟子が「それにしても、体に毒でございましょう」と鉄舟の身を気遣うと、「畳の上の水連では役に立たない」と笑ったと言う。 「身体のことなんか考えていては、ろくなことはできん。いまどきの修行者をごらん。剣道でも禅でも、みんな畳の上の水練だから役に立たんじゃないか」こういったという。 剣法を学ぶ所以は、
ひとえに心胆練磨。
もって、天地と同根一体の理を果たして、
釈然たる境に、
到達せんとするにあるのみ。
山岡鉄舟 無刀とは、心の外に、
刀が無いこと。
敵と相対するとき、
刀に拠ることなく、
心を以って心を打つ、
これを無刀という。
山岡鉄舟 「修身二十則」
(鉄舟が満13歳の時に自身に課した人生訓)
一
嘘を言うべからず
二
君の御恩は忘るべからず
三
父母の御恩は忘るべからず
四
師の御恩は忘るべからず
五
人の御恩は忘るべからず
六
神仏ならびに長者を粗末にすべからず
七
幼者をあなどるべからず
八
己れに心よからざることは、他人に求むべからず
九
腹を立つるは、道にあらず
十
何事も人の不幸を喜ぶべからず
十一
力の及ぶ限りは、善き方につくすべし 十二
他をかえりみずして、自分のよきことばかりすべからず
十三
食するたびに、農業の艱難を思うべし、
すべて草木土石にても、粗末にすべからず
十四
ことさらに着物を飾り、あるいはうわべをつくろう者は、
心に濁りあるものと心得べく候
十五
礼儀を乱るべからず
十六
いつ何人に接するも、客人に接するように心得うべく候
十七
己の知らざることは、何人にても習うべく候
十八
名利のために、学問技芸すべからず
十九
人にはすべて能不能あり、
いちがいに人をすて、あるいは笑うべからず
二十
己れの善行を誇り顔に人に知らしむべからず
すべて我が心に恥ざるに務むべく候 山岡鉄舟・・・彼こそ、徳川家を救い、江戸城を無血開城に導いた真のヒーローだと思います。
「どうやって敵陣を潜り抜け面会を果たすつもりか」と勝海舟から尋ねられ、
「それは我が胸中にあります」と答えました。
前もってこうしよう、ああしようと決めてかかれば心が自由を失い、不測の事態に即応できなくなることを言っているのだと思います。
鉄舟は反幕府軍が駐留している静岡に向かいます。殺気立った先発隊の反幕府軍が警備するなかを、
「朝敵、徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかりとおる!!」
と大声で堂々と通り抜けたと言われてます。これは鉄舟の腹がどれだけ据わっていたか、物語るエピソードだと思います。
死の危険の伴うぎりぎりの状況下で心の自由を保ち、目的を遂げることは至難の業です。
山岡鉄舟に惹かれる人が多いのは、そうした常人にはとてもできないような難事を見事にやってのける人間力、
あのように生きてみたいと思わせるような痛快な生きざまに魅了されるからでしょう。 >>885 よいところを見つけてほめてやるとよいのじゃ。
箸の持ち方よいとかいくらでもほめられるのじゃ。
ときどき独りになるとよいのじゃ。
>>886 おぬしがよいことと思えばよいのじゃ。
よいことと想わなければよいことではないのじゃ。
おぬし次第なのじゃ。
>>888 恐れは無いのじゃ。
悟りの力で説得するのじゃ。
簡単なことじゃ。 >>897
簡単なことではないでしょう
聞く耳持たずナタを振りかざすと思いますよ 円覚経には、「作・止・任・滅の四病をよく除きうる者を師とせよ」とある。
「作・止・任・滅の四病」とは、完全な悟りを求める修行者が患う四種の病であるという。
作とは、行者が様々な修行によって悟りを得ようとすること。
止は、知覚や認識、記憶の意識活動を止めて悟りを得ようとすること。
任とは、自身の主体的行為を止め、モノの自然に任せきることによって悟りを得ようとすること。
滅は、すべての煩悩を滅することによって悟りを得ようとすること。
いずれの場合も、悟りはそのような行為によって「得られるもの」では無いことから、病であるとされている。 鬼和尚は今年の暫定流行語大賞は
やらなきゃ意味ないよ
だと思いますか? >>900
よくそういわれるが釈迦はそういうこと全部やってから悟りを得てるんだよね
準備というか前段階で十分な清浄すませないことには
悟りに至りようがないのではないかね 鬼和尚は若山し参加殺人事件はどう推測しますか?
悲しみに襲われた爺さんの突発的な自殺ですか?
嫁とか政府による毒殺ですか?
それともそれ以外の何かですか? 鬼和尚はさっちゃんはさちこというんだけど小っちゃいからそう呼ぶんだとか思いますか? >>901
わしも、それが良いと思うのじゃ。
今の日本を象徴していて、いい戒めになるのじゃ。
「やらなきゃ意味ないよ 」 娯楽やスポーツ感覚の性行為を繰り返していると、いつかしっぺ返しがやってくるでしょうか?
よく言われてる感染症以外に、例えば悪い人間と繋がりができたり借金や誰かを傷つけたり。
もっと清らかで崇高な行いだと認識しなければならないでしょうか? >>899 簡単なことじゃ。
わしは筋肉もりもりであるからのう。
みんな筋肉もりもりになるとよいのじゃ。
>>901>>904>>906 何無思
>>903 おぬしが推理した通りじゃろう。
さすがじゃな。
>>909 おぬしがそう思うならばやってくるじゃろう。
思わなければやってこないのじゃ。
何も認識しなくてよいのじゃ。
自由なのじゃ。 黄金の炎を見たとかそうした幻聴は何かの病気ですか? 鬼和尚は悟りを開いた後、人の死について何か思うことはありますか?
何も感じなくなりましたか? 鬼和尚の神通力は和歌山資産家事件すらわからんのですか >>900
悟りは訪れるもの、気づいたら得られているもの、ということでしょうか。 わからなくなってきました。
苦をなくそうと観察することは作為的であり、このこと自体まずいことでしょうか。
しかし苦をなくす目的がなければ、観察も意味をなさないと思ってしまいます。
苦をなくそうとあくせくすることは放棄し、観察もやめるべきでしょうか。
苦をなくそうとすること自体が、誤りなのでしょうか。 因果。
すべての物事には原因と結果が存在します。
苦が何も無い所から生まれる訳ではなく、何か因果関係によって生まれます。
苦をなくそうなくそうと強く願う気持ちが新たな苦になることもあります。
観察によって苦の発生源を観ることが出来れば、
自ずと発生源を取り除く手段を見出だせるでしょう。 苦も観察も誤り、とすると、良い境地に立てる気もしますが、こんな感じでも宜しいでしょうか? >>917
あ、そうなんですね。
苦の発生源を観てみます。
ありがとうございます。 悟った方へ:
よくある話ですが、日常相談、宜しくお願いします。
マンションの隣室に新しく越してきた若い女が昼夜逆転の生活。
毎晩夜中1-3に起こされて困っています。
部屋に防音をしても、耳栓して寝ても起こされています。
不動産会社へ苦情通報しても、警察へ通報しても(警官立ち会い検証)、日常生活音だから、と
全く改善されず、この1カ月間寝不足で困っています。
@相談1:何か良い防音策、安眠方法は無いものか
一応、引っ越しを検討し、何カ所か物件の下見を依頼したのですが、問い合わせにガン無視する不動産屋、
宣伝広告に出ているのに「物件は先約が入った」と変な物件を薦めてくる不動産屋、
約束を平気でやぶる、担当がコロコロ変わる不動産屋などで苦労しています。
A相談2:これも神からの警告:引っ越しは辞めた方が良いのか >>915
そういうことじゃ。そのためには一心に修行しなければならんのじゃ。
わしの場合は、高齢の母親が日に日に衰えていくのを見て、辛くて悲しくて
毎日そのことばかり考えていたのじゃ。
ある日、突然、サティが起こり、サマーディ状態になったのじゃ。
サティの内容は前に書いたから省くのじゃ。
追い詰められれば、悟りは向こうからやって来ると思うのじゃ。 >>920
ひょっとして上の階の音がうるさくて寝れないのではなくて
そういう神経過敏になってるから寝不足なのでは?
となると、睡眠外来とか精神科で相談して
眠剤を貰うっていうのもひとつの方法としてはあるけど。 >>922
ありがとうございます。
実は市販の強めの睡眠剤+耳栓+耳あてしても、横の居室からの
単発的な「どんどん」という音が入って叩き起こされています。
心療内科へも行きましたが、「病気ではない」という話でした。
引っ越しを考えて色々調べていますが、なかなか決まらず
こういう事を含めて
すべて神仏からの警告と考えています。
これはどういう主旨の警告でしょうか・・・。 >>923
それ行動した順番あってます?
心療内科に行って異常はなかったから市販の薬品を買ってないですか?
そしてそれを使っても眠れない状況だったのではないでしょうか。
市販薬よりは医薬の方が一般的に効率が高いと言われています。
ですんで一般の市販薬を使っても効果が薄いんでしたら
再度お医者さんに行った方がいいかもしれませんよ?
それと精神科と心療内科は少し違うのでお気をつけあそばせ。
身体異常がないのでしたら精神科案件だと思いますよ。 >>916
自縄自縛だ
ま
いちいち観察せんでいいよ
>>918
お前良ければ全て良し
が
それらは同じだ
>>920
他スレが答えに富む
ま
残りの対象群にも相談しよう >>912
あほぽったんは脳みそがガンに侵されたのじゃろう >>915
>>921
それは任です。それではどうにもなりません。
任とは、自身の主体的行為を止め、モノの自然に任せきることによって悟りを得ようとすること。
「経文を悪く解釈して、まだ本心を悟らない人が、身・心がすべて滅びつくして、
すべてみな空であり、無我なる境地を、真実の仏法だと思っている者がある。
これを滅尽定、または非想定といい、ひとつの方便でしかなく、
これを悟りと思って人に説くのはあやまった解釈である」
夢窓疎石 左脚の股関節や筋?が痛くなりました。
病院へ行っても原因がわからないと言われました。
去年は同じ感じに右脚が痛くなりました(こちらも原因不明)。
これは何が原因なのでしょうか?
また、早く治すにはどうしたらよいでしょうか? 追記
右脚の方ですが、MRI撮ってもらったら
大腿骨が萎縮していると言われました。
何故そうなったのかは不明だそうです。 本心とは、本当の心、心の本当のところ、という意味合いでしょうか?
本心を観察することで、本心は悟れますか?
本心が悟れたら、常に本心とともにあれたら、それでOKでしょうか? 自分の心のうわべだけを観察しても、自分の心の核心を観察しないことには、人生は始まらないでしょうか。 自分の本心を観察しようとしたら、本心がないことがわかりました。
自分の心の中心には、なにもないという感覚です。
心の中心から外側へ向かえば向かうほど、煩悩に支配されてしまう感じです。
自分の心の中心に意識を置いた方がいいのでしょうか。
それとも、ただとらわれのないこころであれたらいいのでしょうか。 「現境」というのですが、いろいろな心境が現れてくる。
例えば、夢窓疎石が囲炉裏の前で坐禅をしていたら、囲炉裏の炎がボーッと空中に飛び上がった。
それがサーッと光った途端にすべてが分かったような感じがしたというのです。
或いは、竹藪に陽があたって風がそよいだ。その瞬間に自分の心の動きが分かったような気がした。
これを現境といって、私なんかも実際それを経験しています。
坐禅をしていると、地獄のどん底をダーッと落ちていくような錯覚が起こったり、人によっては仏さまが背高ぞろいで、目の前にズラーッと現われたりします。
すべてこれは現境です。魔境であると、禅では言います。
自分のことを言って恐縮ですが、愛宕山の近くに月輪寺という寺があり、私もそこで一週間断食して坐禅をしたら、体が全部透き通った。
これは悟りだと思って寺へ帰って牧翁老師に言うと、問題にされなかったということがあります。そういうのを現境という。 夢窓国師
「華厳経にある「十地」とは、修行の段階を10段階にわけて具体的に示すものなのじゃが、
そこには、「それまでに獲得した知識や境地に間違いがあることに気がついたとき、ひとつ上の段階へ登ったといえる」と書かれておる。
つまり、それまでに獲得した知識や境地を否定することを通じてこそ、ひとつ上の段階へ登れるのだということじゃ。
「あっ、何やってんだオレ!? 今まであんなしょーもないものを最高だと思って信じていたなんて・・・ バカ! 今までのオレのバカ!!」 という気持ちになったとしたら、それは境涯がひとつアップしたということなのじゃ。
次々に直前の知識や境地を否定してゆき、遂には仏とほぼイコールとなる「等覚」の境地に到って智慧は完成の領域に達するが、
まだ「無明」の域を脱しておらず、最後にそれまでに得た「智慧」を「無明」と同時に振り捨てることで最終境地である「妙覚」の境地に到ることができる。 これを妙覚智断と呼ぶのじゃが、それが本当にできた時には、それまでの修行過程のことはもちろん、最後に妙覚智断を実施したことすらも忘れてしまう。
そして、そうなった時はじめて、直接見ることのできない奥深いところに元から持っていた本物の智慧とひとつになることができるのじゃ」 >>916
これが「作・止・任・滅の四病をよく除きうる者を師とせよ」の意味じゃ。
妙覚智断に至れば
「作とは、行者が様々な修行によって悟りを得ようとすること」もよけいなものじゃからな。
悟っていない凡人夫はもちろん修行をしたほうがよいことはいうまでもない。 >>912 病ではないのじゃ。
囚われなければよいのじゃ。
>>913 もはや何も思わないのじゃ。
それも観念でしかないと気づいたからのう。
おぬしも早く来るとよいのじゃ。
>>914 おぬしの思う通りなのじゃ。
すべておぬし次第なのじゃ。
>>916 そのようなことに囚われなくてよいのじゃ。
苦をなくすために観察するとよいのじゃ。
経は囚われるならばないほうがよいのじゃ。
自ら実践して確めたことを真実として認識して進むのじゃ。
>>918 よくないのじゃ。
実践が全てなのじゃ。
>>920 おぬしの本心を観るのじゃ。
実は隣の若い女子に興味津々なのかもしれん。
そうであるから無意識に聞き耳をたててしまうのかもしれん。
或いは何かの恐れや不安からおぬしは音を過剰に聞こうとしているのかもしれん。
音も聞くという意志がない限り聞こえることも無いのじゃ。
本心を見極めて気づくことができれば変えられるのじゃ。
本心がわからなければどこに引っ越しても同じ問題が起こるのじゃ。
本心を観るのじゃ。 >>928>>929 難しいゲームじゃ。
>>931>>932 それは座り過ぎかもしれん。
あるいは姿勢が悪くて足の血行がわるからかもしれん。
姿勢を良くして座り過ぎないようにするのじゃ。
足をマッサージして足湯とか温冷浴とかをするのじゃ。
ヨーガとか気功法とかも実践するとよいのじゃ。
>>934 そのような意味なのじゃ。
本心が悟るということはないのじゃ。
ただありのままにあるだけなのじゃ。
観察するのじゃ。
>>935 本心を観察するとよいのじゃ。
人生というものは誰にも無いのじゃ。
記憶による観念のみなのじゃ。 >>936 それが嘘ではないならば本心がないとか思っているのが本心なのじゃ。
何もないという感覚と思っているのが本心なのじゃ。
煩悩に支配されてしまうという感じと思っているのが本心なのじゃ。
どこにも意識は置かないでよいのじゃ。
囚われのない心であることも出来ないのじゃ。
ただひたすらに本心を観察すればよいのじゃ。 >>920
夜寝てるところをたたき起こされるくらいの大きい音なら
引っ越して次入る人もいられないと思う
賃借人が安定しないと家賃収入が減る大家さんが困ると思う
生活音が聞こえ過ぎるのはマンションの構造上の欠陥なので
録音して,大家さんへ本格的な防音工事を頼んでみたら? >>941
鬼和尚レスありがとうございます
>>913ですが、実は私もそうなってしまったので、みんなそうなるのか気になって質問させて貰いました
ありがとうございました >>942
下心も本心も仏心も、ひとひとりの人間の心にある、ありのままの心の形態でしょうか。
自分の心を、ありのままに解き明かせばいいのでしょうか。 ありがとうございます。
鬼和尚さんご自身の本心を、お聞かせ願えませんか。 素人相手に鬼和尚とか偉ぶっているけど、専門家がゴロゴロいる宗教板では、この人はただの統失扱いですからw 人を許せないのは相手のせいではなく自分の観念だけのせいですか? レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。