悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】 65
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悟りを開いた人=ブッダのことで、仏教的人生相談になります。
仏教の議論は宗教板で。ここは、あくまでも人生相談スレです。
◆利用者のみなさんへ
・人生相談板では 相談すること、それに答えること このやりとりが大事です。
独り言や自説の主張・雑談・馴れ合いなどは禁止です。各々の専門板へ。
・何度も書き込む場合は最初に書き込んだ時のレス番号を名前欄に書いておいてくだ さい。
・相談はなるべく詳しく明確に書きましょう。(できれば年齢や性別も。)
では、どうぞ。
※前スレ
悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】63
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1523594822/ >>546
で、返答は?
525 名前:糞凡夫 [sage] :2018/05/27(日) 13:32:31.84 ID:kecNc/o/
>>523
逃げるなよ?
結局、根拠は言えないし、無住処涅槃も三証も慧可断臂も反証で出した話も皆スルー。
現実直視云々は賛同するけどね。
(4度目) 大乗仏教は現実を直視する教え、これで了解したって事で結論ね。 >>546
はいはい、そうした現実逃避の屁理屈はいいから。
返答しないは了解に同じ。
以上。 あらあら、お嬢様は、もう陥落ですか、ロザリーさんは上手な手つきでしたのに
(ペリーヌ・・)
ロザリーさん、お嬢様の猿ぐつわを外しておあげ
(はい、)
ロザリーは魔女の命令に従い、親友の猿ぐつわを外した。
はぁ、はぁ、 助けて・・
(ペリーヌ、大丈夫?)
ロザリーは、ぐったりとした親友の髪を撫でた、ペリーヌは心配して、気遣うロザリーの顔を見つめて、安心したのか、
そのまま寝入った
ロザリーは魔女のほうを見つめてた
大丈夫よロザリーさん、薬の効き目が良すぎて、眠っているだけ
さあ、貴女には、まだ、アナル攻めを受けて どうやら現代のわれわれは、自己愛をみたすことだけが、信じられる唯一の価値になってしまった世の中で暮らしているのではないでしょうか。
鏡に映った自己像が自分の気に入るかどうか。
できるだけ気にいるような鏡像をつくりあげ、その鏡像に恋をしている間は、誰でも人間はすごいエネルギーを発揮します。
しかし、その自分への陶酔がはかないイリュージョンにすぎないことがわかる瞬間、自己愛の満足からのエネルギーの供給は止まってしまう。 戦後の社会は、国家のためとか、理想のためとかいう装いを剥ぎ取り、彼らをパーソナルな裸の自己愛のためだけの存在に引き下げることにひたすら意を注いだようにみえます。
そして、いかなる英雄化も美化も許さない幻想から目ざめたシラケがひろがり、唯物的で自己完結的な自己愛至上時代が到来したのです。 健康な自己愛は、親から一方的に受身に愛される経験から生まれるものではなく、
むしろ自分が親に対して向ける愛情表現が相手を喜ばせ、
相手の心をみたすという能動的な働きかけが相手から受け入れられることの自信を意味している事実です。
やがて子どもは、その関係をモデルにした相互性を、兄弟姉妹、近隣、学校、職場……へと社会化していきます。
その生活圏(自我空間)はどんどん広がり、かかわり合う社会集団は広がっていきます。 鬼和尚。
不死の法があると知っている自分はすごいんだぞー!むははは!!」と大きな顔をして自信を持っていいですか?
法を自信の源泉として、えらい人になった気分でなんでもポジティブに取り組める「デキる人」になれるでしょうか?
そしたら「あの人、すごいわイケてる」と思われるような影響力を与えれる人物になれるでしょうか? モラトリアム人間とは
第一に、いかなる社会、組織にも強い帰属意識をもつことを回避し、また、これらの集団に対する忠誠を要求されることをきらう。
第二に、彼らはどんな組織、社会に対しても一時的なかかわりしか持たない。
第三に、これらの組織、集団よりも自己自身を優先させる。
第四に、彼らは常に自己自身は温存させ、特定の役割や組織、集団の責任のために自己をかけてしまうことをしないで、あくまでも自分そのものを生き延びさせようとする。
私のいうモラトリアム人間は、この意味での戦後の平和社会の時代精神の所産なのです。 自己愛パーソナリティとは
まず第一に、自分についての誇大感をもっています。
自分は特別だとか、自分の能力は人よりすぐれていると思っている。心の中に、人並はずれて素晴らしい理想的な自己像を抱いている。
第二に、こうした理想的な自己像をいつも現実化しようと努力している。
限りない成功、権力を獲得すること、才能を発揮すること、より美しくなることなどの理想の実現を休みなく追い求める。
第三に、絶えず周囲からの称賛や賛美、好意、親切、特別扱いを得ようとする。
第四に、このような理想的な自分をもち続けようという気持ちが強いので、周囲からの批判を受けたり、現実の自分がうまくいかない場合、そのことに無関心であったり、否認しようとする心理をあげることができます。
第五に、理想的な自分になるために、ほかのあらゆるすべてを犠牲にしてもかまわないという貪欲さがあることです。
犠牲にされる欲求や感情の中には、人と親密さを分け合うとか、誰かと愛し合うとか、日本流にいえば、義理人情の絆やつき合いを大切にすることも含めて考えて下さい。 >>558-560
小此木啓吾『自己愛人間』からのコピペかな?ちょっと違うようだが。
http://how-simple.jugem.jp/?eid=151
なんか昔この本読んだことあったようななかったような。思い出せない。
しかし懐かしいな小此木啓吾とは。 >>450
>>387 そのような心構えならば無理に自分を責めることは無いのじゃ。
自然な慈悲を持っていれば無慈悲な自分を嘆くことも無いのじゃ。
ありのままに愛するがよいのじゃ。
ご回答ありがとうございました 確かに自分を責めてばかりでした
慈悲無慈悲にもとらわれないようにと思います >>561
横だが、ポジティブな人(というか楽天的な人かな?)って、何かポジティブになれるようなネタがあるから
ポジティブになるんじゃなくて、何もなくてもポジティブなままなんだよ。例えば金があろうがなかろうが
貧乏で底辺でどん底で借金山盛りにあろうがなかろうがそんな事とは無関係に明るく前向きなまま
変わらない。躁状態のまま固定されたような人。周りで起きる事に振り回されて一喜一憂しているようでは
まだまだポジティブが足りない。それは普通の人だ。 生きていても大切な人達が先立って逝く。
こんな世界は本当に虚しいと思います。
しかもこんな虚しい世界で必死に労働しなければいけない。
私は救われないのでしょうか。虚しい どうしたら楽しい気持ちになれるでしょうか?
「楽しさ」というのは観念によって生じるものですか?
死んでしまえば全てお終いと思うと色々無意味に思えます。 気持ちや感情もただの脳内ホルモンの影響であり、性格などは体質によって決まるものでしかないでしょうか?
薬物などで強制的に楽しくなることが出来るというのは、楽しい気分すら無意味に思えますが、同じ無意味なら楽しい方がマシとも思えます。 >>568
例えば毎日の筋トレって辛い運動だけど成果が見えれば楽しさがある
社会の中で人と関わることには億劫さもあるけど充実感もある
楽しさって楽であることと同じではなくて、ちょっとしたストレスや困難と共にあるものではないか
もしあなたが死んでしまうことばかり考えているのならそれは悲しい事だね 世間一般の仏者たちの中で、ものに依らずに出てくるものはほとんどいない。
わしのところではそうした借り物は真っ向から奪い取る。
言句でくれば言句を奪い、原始仏教でくれば原始仏教を奪い、大乗でくれば大乗を奪い、
経典でくれば経典を奪い、世間でくれば世間を奪い、無我でくれば無我を奪う。
いまだに一人も本当に独りででてきた者はいない。
みな、古人の使い古した型を借用してくる。 >>570
最初は楽しいと思いますが、
例えばその筋トレを続けられるモチベーションは何ですか?
最初はみるみる筋肉がついて面白いかもしれないですが、
継続して維持することは面白いですか?
成長を望むなら負荷を上げていかなければなりませんし。 わしのところには、人に与えるような法はなにもない。
ただ修行者の思い込みを直し、束縛を解いてやるだけだ。
さあ、諸方の仏者たちよ、試みに何物も借りないで出てこい。 自分の心を詳細に解明するといいのでしょうか
紙にずらーっと書いてそれを眺めてたりすると
そのこころの自分が過去のこころの自分になり
とらわれない自分になったり自浄作用になったり
平気な自分になったりするのでしょうか >>452 旅に出て一人になって見るとよいのじゃ。
自分のことが客観的に観られるようになるのじゃ。
周りに人が居ればそれにあわせて自分の本当に好きなことがわからなくなるのじゃ。
自分の本心を常に観るようにするのじゃ。
そして別にそのようなものは要らないとわかるならばそれでもよいのじゃ。
自分を知ればよく生きられるのじゃ。
>>453 考えてうまくいかなかったのならばいかんのじゃ。
やっていて楽しいことを感じるのじゃ。
経験に学ぶのじゃ。
>>454 それはおぬしの感想じゃな。
まずスレタイを読んで何を書くスレなのか知るとよいのじゃ。
字がわからなければ人に聞いて学ぶとよいのじゃ。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥というのじゃ。
>>561 おぬしがそうしたいならばしてよいのじゃ。
自由なのじゃ。
ならないのじゃ。
想われないのじゃ。
おぬしがそのような自己イメージをもてばそうなるのじゃ。
他人にそう想われていると思えばそうなるのじゃ。
>>565 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
またおいでなさい。
>>567 止観を実践すれば救われるのじゃ。
自分で自分を救うのじゃ。
わしのブログ等を参考にするのじゃ。
>>568 楽しいことをしたり考えたり想ったりすると楽しいのじゃ。
観念によっても起こるのじゃ。
死んで無意味なのも楽しいと思えば楽しいのじゃ。
ナンパをするとよいのじゃ。
>>569 おぬしがそう思えばそうなのじゃ。
ナンパをするとよいのじゃ。
>>574 するとよいのじゃ。
なるかもしれん。
ならないかもしれん。
実践して確めるのじゃ。 >>572
それをする事で人生がほんの少し良くなっていると感じるから楽しいのさ
あとやるべき事をやってるという充実感かな
今は体を維持するためにやってるけど目標を高くすると続かないかもね
ビルダーならどんどん負荷を上げていくんだろうけど
楽器の習得なんかもそうだけどちょっとずつ良くなったり上手くいかなかったりという過程が楽しいんじゃないかな?
結果なんてあまり気にするものではないと思う あと筋トレのモチベーションって事なら筋肉があるとモテるというのが大きい >>576
楽しい事を想ったりしたいのですが、何が楽しいのかが解らなくなっています。
異性について想像してみても興奮しなくなってきているので、ナンパに伴う様々なリスクリに負けます。
死んで無意味なのも楽しいというのは、悟りを得た人の境地なのでしょうか? ある修行者が、迷いだ悟りだという厄介な首かせを担いだり、鎖を引きずったりして
和尚の前にあらわれる。
眼のない和尚はこれに対して、さらにくどくどしい教理や、空や、無心だのと説いて聞かせ、
またその上にひと重ねの首かせや鎖を巻きつけてやる。
なにもわからない修行者は、またそれを和尚の親切だ、私も悟ったなどとありがたがる。
こういうのを、客が客をみるといい、師匠も弟子もともになってない例だ。 >>577
なるほど、ありがとうございます。
人生がほんの少し良くなっているかどうかは、どうしてわかるんですか?
私は仕事をして金を稼いで家族を養えていると思うと、やるべき事をやっているとは思えます。 >>581
筋トレする事で少しだけ筋肉が付くとか
何か他の趣味で技術的に上達するとか
そういう困難を乗り越えていくとき、自分の人生がほんの少し良くなっていると感じられないだろうか
何かを成し遂げるためではなく、進歩する事自体に >>581
家族を養うだけの金を稼ぐ
大変な事だ
それだけで誇っていい事だよ 真正の眼のある修行者ならば、まず一喝をくだす気構えで、
あっちにくっつき、こっちにくっつき、手におえない言句を次から次へと突きつける。
和尚はこれを、和尚を試みる手段とも知らず、その言葉に取り付いて、
あれをこう言い返し、これをこう説明し、と応対に苦労する。
この悟ったと自称する和尚の無能さにあきれた修行者は、そこで一喝をして、
根こそぎその悟りとやらを奪おうとするが、和尚はなおさらそれにしがみついて放さない。
こんなのは不治の大病で、治しようがない。
こういうのを客が主を看るという。
弟子が、逆に指導者であるべき和尚をリードしている例である。 >>583
労いのお言葉までありがとうございます。
誇るというか、自分がいる立ち位置によって何が普通か決まってしまいますよね。
家庭を持っていれば家庭を持っている中での優劣を自然に身に付けてしまいます。
独身の頃には理解出来なかった感性です。 >>582
ありがとうございます。
少しわかります。
でも、人から評価されないと意気消沈してしまいます。 他者と自分のありのままを分別せずありのままとすることでありのままに悟れるのでしょうか 他者と自分を分別しない「自他一如」の思想は無理もあるでしょうか
他者でも自分でもそのありのままが観られたら人付き合いの苦しみはなくなるでしょうか すべての全てはありのままであると気付けたら、それで良いのでしょうか? 比丘たちよ 、(一切は)無常である 。
すべて無常なるものは苦である 。
すべて苦なるものは無我である 。
そして 、すべて無我なるものは 、
〈こはわが所有にあらず 、こは我にあらず 、こはわが本体にあらず 〉
と 、そのように 、正しき智慧をもって 、これをあるがままに見るべきである
(阿含経) (一切を)厭い離るれば 、貪りを離れる 。
貪りを離るれば 、解脱する 。
解脱すれば 、解脱したとの自覚を生じて 、
〈わが迷いの生はすでに尽きた 。清浄の行はすでに成った 。作すべきことはすでに弁じた 。このうえは 、もはや迷いの生を繰返すことはないであろう 〉
と知るのである
(阿含経) 一切とは?
(雑阿含経、生聞一切より)
世尊は 、つぎのように説いて仰せられた 。
「比丘たちよ 、なにをか一切となすのであろうか 。
それは 、眼と色 (物体)とである 。
耳と声とである 。
鼻と香とである 。
舌と味とである 。
身と触(感触 )とである 。
意と法(観念 )とである 。
比丘たちよ 、これらを名づけて一切というのである 。」 苦の種類とは?
(阿含経 相応部 苦より)
世尊は説いて仰せられた 。
「比丘たちよ 、三つの苦がある 。
その三つとは何であろうか 。
苦々 ・行苦 ・壊苦である 。
比丘たちよ 、これを三つの苦というのである 。」
(三苦〜肉体的苦痛による苦、(生老病死等)変化する事の苦、楽しみがなくなる事の苦) 鬼和尚のパソコンではふいんきは変換できますか?
自分パソコンではふいんきはなぜか変換できません 涅槃とは?
(阿含経 相応部 涅槃より)
「比丘たちよ 、では 、涅槃とは何であろうか 。
比丘たちよ 、貪欲の壊滅 、瞋恚の壊滅 、愚痴の壊滅 、これを称して涅槃というのである 。」 糞凡夫さん、連投は止めてください。
スレが荒れる原因になります。
それと、自分の考えをよくまとめてから書き込むようにしてください。 >>584
要するに他人の言うことなど無視して好き勝手やるのが悟りということでよろしいか >>597
他人の知識や体験に対する妬みや嫉み。
気付こうね。 >>556
屁理屈には回答の理屈はない
既に回答にならない理由は書いた
自分の言葉を持たず、単に引用してるだけで言いたい事がさっぱりわからん
あなたは、似非悟りを開いたのだけ分かっただけ
戒律さえ守れないのに何が居士だと?
どうせ戒名を買っただけなんだろ >>601
貴方はほんと何事も「ありき」でものを言うね?
私が開悟したなんていつ言いましたか?
戒律云々の何たるかを知ってるのですか?
私が話てるのが自分の言葉の全てですが?
で、三証や無住処涅槃の話(=大乗仏教の現実肯定)に対する反証は出来なかったのですから。
いい加減に現実を見なさい。 >>601
> 自分の言葉を持たず、単に引用してるだけで
> 言いたい事がさっぱりわからん
分からなければ聞けばいいじゃないですか?
先の阿含経の引用にコメントを入れなかったのは、入れる必要が無いほど分かりやすく道理にかなったものであるからです。
もちろん、分かりにくいと思われる箇所はカッコ書きで補足させて頂きましたが。 >>598
わしがこう言うと「ならば悟りも迷いもない。立ったり座ったりが仏法だ。好き勝手にやればよい」
と思うかもしれないが、それも違う。
お前たちが好き勝手に振舞っても、それは外鏡にひっぱられて心をあちこちに動かし、ひきずり回されているにすぎない。
お前たちが、悟りを得たと主張しても、悟りは悟りという名にすぎない。 >>604
とか言われても全然気にしないで頭に草履のっけて猫を斬り殺して坊主の家に火をつければ悟りですね >>604
一法を得た訳でも無いが、得てない訳でも無い。
洗車して汗が出で来たんだが? お前たちよ、我こそはという大丈夫の気概のある者は、たった今ここで、他に求めるべき何ものもないことを見て取れ。
残念ながらお前たちがそれを信じきれないために、外へ向かってせかせかと動き回り、
「無」があるのにさらに「無」を探す愚をやめない。
初期仏教の教を修した和尚などは、いろいろの修行法を人に示すことができても、
まだ無心にとらわれたり、凡夫を嫌い覚者を願っている。
これらの人々はまだ取捨愛憎の念があり、心だけが本来の仏教で神仏も輪廻も観念だの、大乗が世間で優れているだの、
瞑想で神秘を得た悟りがどうだのと、自宗と他宗の対立、世俗と仏の対立、悟りと迷いの対立がある。 わが見解はそうではない。現在がそっくりそのままだ。そこになんの悟るの悟らないの沙汰があろう。
わしの説くところは、みなその時どきの相手の病に応じて与える薬で、定まりきった法などはない。
お前たちよ、世間の和尚にいいかげんな悟りを許されて、私は仏教がわかり、極意を悟ったなどと言ってはならぬぞ。
その弁舌が滝のようにとうとうと素晴らしくても、それも地獄いきの業を作っているにすぎない。 まともなやり取りができそうにない人がまた一人。
なんというか、時々人生相談困難なスレになるな。
しばらく放っておくと戻るが。 >>612
そうか。じゃあ彼らの話をよく聞くとよい。彼らと出会えてよかったな。合掌。 今の人間は、まったく法をしらない。
まるで、羊が鼻先に触れるものをなんの見境もなく口に入れるのに似ている。
だから本物と偽物の区別もつかず、また出来ない人か出来た人かの見分けもつかない。
ちょっと詩的な表現や、優しい言葉で法を言えば、すぐに揚げ足を取って軽蔑心を起こし、
口舌の悪業を積み、ニタニタ笑うことしかできぬ救いようもない愚か者ばかりだ。
根っからの俗物である。
そのくせ、ちょっと厳かな物言いで難解な用語を思わせぶりに羅列してやれば、
「ああ、この方こそが悟った聖者だ」と子供のようにコロリとだまされる。
お前たちは、それと知らずに経典や言句につきまとって、あれこれと分別し、修因証果の階級的教義を超えることが出来ず、
いつまでも迷いの生活から出ることが出来ない。
こんな連中は、弥勒菩薩の出世に逢っても相手にされず、そろって地獄に送られるであろう。 >>570
そりゃ瞬間瞬間は楽しい時もありますよ。
それでもその時が終わると虚しい所に心が戻ってしまう。
だって病死から人は逃れられないじゃないですか。
別にそればかり考えているわけではないけど、それでも心の落ち着く場所は虚しい気持ちです。
この気持ちから目をそらすと余計に辛くなります 病院嫌いのおっさんです。大嫌いなので絶対に行きません。
悟った人に相談お願いします
最近、1週間くらい風呂に入るたびに鼻血、そして今朝は朝起きようとしたら立ちくらみとめまい、吐き気で動けなくなりました。
熱は無いので、とりあえず市販の頭痛薬を探して2時間くらい横になって何とか外出できましたが、今でもクビを少し動かすと眩暈です。
ネットで調べたんですが、西洋医学的な病名はメニエール病か良性発作性眩暈、だそうです。
しかし、これは己の心が作り出している、己の心の歪みが病気を産み出している、何かの警告と考えます。
具体的に悟った人から見て、どう思われますか? >>619
最後は倒れて病院まで運ばれるんだから自分から行っておきなよ
うちの母は発見が遅れたばかりに今では人工肛門のお世話になってる お前たちが、古人が手段として示された仮のものを実在するものと思いこみ、
無我、不生、無心などの世界にしがみついて妄想し、自ら卑屈になって言う、
「私は悩みの凡夫であり、あの和尚は悟っている」などと。
馬鹿者ども!
なにをうろたえて堂々たる獅子の姿をしていながら、いやしい狐の鳴き声など出すのか。
自己に備わっている高貴な無依の道人を信じきれず、ひたすら外に向かって求め回り、
古人の使い古した言葉や概念を追っかけ、和尚や昔の僧などに依存して、
境にあえば境に引かれ、言葉にあえば言葉にとらえられ、いたるところに迷いを起こして、さっぱり落ち着けない。
お前たちよ、そう聞いて、またわしの言うところにとらわれてもいけない。
なぜならば、わしの説くところにもよりどころはない。 お前たち、悟りを至上のものと考えてはいけない。
わしの見解から言えば、ちょうど悟りは汚れた便器のような不潔なものを担いでいるだけ、
阿羅漢や菩薩も手枷足枷のように人を束縛するものである。
お前たちよ、悟りは求めて得られるというものではない。
また止観の法や数息観、瞑想や法句経などにしても、みなその時代の人々の理解の能力に応じて
示されたもので、病気の性質によって与えた薬のようなものだ。
これでならぬという固定した法はない。
たとえあったとしても、薬の効能書や広告のようなもので、一応、そう説いたに過ぎない。 お前たちよ、世間の多くの仏教徒は、その効能書の研究に没頭して、そこに心の自由を求めようと
しているが、とんでもない間違いだ。
もし悟りを求めようとすれば、その人は悟りを失い、
もし仏道を求めようとすれば、その人は仏道を失い、
もし無我を求めようとすれば、その人は無我を失い、
もし依存できる師を求めようとすれば、その人は師を失うであろう。 >>579 疲れているようじゃ。
うつかもしれん。
温泉にでもいくとよいのじゃ。
子供でも無意味に楽しんでいるのじゃ。
楽しみとは本来意味の無いものじゃ。
砂をいじったり石を集めたりしても楽しいのじゃ。
一休みなのじゃ。
>>587>>588 それだけでは無理なのじゃ。
自分を観察するとよいのじゃ。
諦めなければ悟りも得られるのじゃ。
>>589 おぬしが信じるならば無理でもないのじゃ。
なくならないのじゃ。
原因から観察できればなくなるのじゃ。
>>590 よくないのじゃ。
自分を観察して見極めるのじゃ。
>>595 フインキーと変換できたのじゃ。
外国の人じゃな。 長嶋茂雄 名言編
なにか一つのことに
脇目も振らずに打ち込める時期を持てる人は
幸せかもしれない。
今の若い人達は
のめりこめるものを見失っている。
不幸な時代だとは思うけども、
時代のせいにするのはどうかな。
我が巨人軍は永久に不滅です。
小さなボールと一本のバットには運命と人生がつまっている。
若いプレイヤーが昔のように心から感動したり、感動しきれない。
それは、やはり時代でしょう。
だけど感動を知らない人生というのは、何か生きている味わいみたいなものがないわけです。
感動はスポーツばかりじゃありません。
あらゆるジャンルにある。
何かに感動しながら日々新たな気持ちで挑戦して行く。
これこそ生きる上での一番の王道と言えるのではないでしょうか。
打った時より三振した時に、いかに豪快にみせるか、相手に恐怖感を意識させるかを考えた。
スターはみんなの期待に応える存在。
スーパースターの条件は、その期待を超えること。 >>612 何も想わないのじゃ。
いらすとやじゃな。
>>619 首筋から肩の辺りがかなりこっているようじゃ。
やわらかくなるまでマッサージとかにいくとよいのじゃ。
気功法とかヨーガもやるとよいのじゃ。
>>619
簡単じゃな
原因は動脈硬化と脂質異常症(高脂血症)じゃろう
ほっておくと脳梗塞や心筋梗塞になる心配があるのじゃ
酒・タバコをやめ、肉食もやめ、野菜・魚・豆類・納豆・豆腐・玄米
を中心にした食事にすることじゃ
病院で血液検査を受けて、注意事項を聞いておくことも大切じゃな わしの見解では、すべてのものごとに、これは嫌いだというべきものは無い。
お前たちが、もし悟りを愛したとしても、悟りは悟りという名に過ぎない。
お前たちが、もし迷いを憎んだとしても、迷いは迷いという名に過ぎない。
お前たちが、もし無心を愛したとしても、無心は無心という名に過ぎない。
決して自己の外に求めるな。
そんなことをしても、いたずらに他人の型を学ぶだけで、正邪を見分ける力はつかない。 >>628
>自己の外に求めるな。
自己などおらんのに、自己の外に求めるなとは、これ如何に?
臨済の猿真似を言う暇があるのなら、坐禅に打ち込むことじゃ 鬼和尚は こんな自分に合う人はいないと半分あきらめたりしますか? 困難があり、頑張って色々な方法を試したのに結局安易な方法をしてしまったときの、
だったら最初からそれをすれば苦労しなかったという後悔は
どのように振り払ったらよいでしょうか。 鬼和尚
検査して何処も異常がないのに仕事が出来ないレベルの身体症状が長く続いています
不安ですし虚しくなります >>603
理屈が一貫性がないって事だ
矛盾だらけで話にならんって事 >>632
後悔しなくなるまで公開しなさい
>>633
言いたいことを口に出すのじゃ 叫ぶのじゃ 鬼和尚は血が先の90歳老人が信号無視して大量殺人した事件は
冥土の旅の一里塚だと思いますか >>629
あら探しをしたり、あげ足を取ったりしないこと。
あなたが、誰かの欠点を見つけた時は、他人もあなたの欠点を見つけているのだということを、
心にしっかり留めておきなさい。 鬼和尚は肉食を推奨されていませんが、肉食を推奨されてる栄養学の先生曰く
動物性食品にだけ含まれるビタミンB12が植物性食品では摂取できないから肉は食べた方がいいと仰ってます。
肉を食べない粗食だとB12が不足して悪影響が出て来るのではないですか? >>632
色々やったならその分だけ色々学べてるんだから損してないと思うぞ。
後悔する必要はないと思う。 鬼和尚さま、僕はオッサンですが酒が一切呑めません。
知人にこの事を話たら「男のクセに情けない奴」と言われてしまいました・・。お酒が飲めないゲコはそんなに恥ずかしい事なのでしょうか?
鬼和尚さまはどう思われますか? >>630>>631 .ルールは小難しいゲームじゃ。
>>632 その努力もいつか役に立つと思えばよいのじゃ。
間違えないで進歩していく者はいないのじゃ。
その間違いを役立てればよいのじゃ。
>>633 西式健康法とかヨーガとか気功法とかをやってみるのじゃ。
それによって悪いところもわかるかもしれんのじゃ。
本心をも観察するとよいのじゃ。 >>637 何想無
>>639 でないのじゃ。
本当ならば菜食の人は皆早死にしている筈なのじゃ。
肉食より健康で長生きなのじゃ。
>>641 恥ずかしくないのじゃ。
よいことなのじゃ。
その分、金をためて修業に励むとよいのじゃ。 7月から近所の工場で働くか神奈川でルームシェアして働くか死ぬほど迷ってる
31日までに派遣会社に言わなあかん 近所のほうが何かと楽やろ
他人と共同生活なんて相当大変やぞ
価値観違うモン同士やろ 叔父が定年退職後マンションの管理会社に
再就職してマンションの管理人やってたが、アホが多くて相当キツいらしいな。
メンタルやられて一年持たずに退職してたわ。
人が密集して住むと自然とアホの密度も高くなるんだろうな。
アホが起こす様々なトラブルに耐えきれずソッコー辞めたみたいだ。
アホは存在自体が罪だな。
鬼和尚もそう思いますか? 悟っていない人が満たされて生きることはできますか?
どんな人でも大なり小なり問題や苦を抱えていると思います。
もしくは一時的に幸運なだけかもしれません。
前向きに頑張る生き方は素敵ですが一喜一憂して揺らぎながら生きていくことは疲れます。
ポジティブに見える人でも苦を抱えていることがわかってきました。
揺るぎない心と絶対的な幸福の境地は悟りを得た人でないと得られないでしょうか? 生きていれば楽しい事、悲しい事色々あるだろう
でも明日の事なんか考えずに毎日酒飲んでパチンコ打って、それである日脳卒中かなんかでポックリいけば
それは幸せな人生だったんじゃないかね?
人間明日の事を考えちまうんだ
明日に備えて安心したような気分になりたがるんだが
それは心配のタネを作ってるだけなのさ 「とんでもねぇ、あたしゃ神様だよ」
志村けんの数ある名言の中の一つ。
神様に扮した志村けんが、何を聞かれても、「とんでもねぇあたしゃ神様だよ」と返す神様コントで使う名言。
加藤茶「あんた、神様かい?」
志村けん 「あんだって?」
加藤茶「あんた、神様でしょ ?」
志村けん「とんでもねえ、あたしゃ神様だよ!」 『許してやったらどうや?』
辻本茂雄さんが演じる"茂造じいさん”のギャグです。
「許してやったらどうや」 の発音が独特。最初と最後が低いです。
他のギャグでは「つまらないものにはメ〜ン!」も定番ですね。
「つまらないものですが」と差し出された贈り物に対して、「つまらないものにはメ〜ン!」といきなり杖ではたき落とします!
そのまま「ア〜ンド、タイガー・ウッズ!」といったプロゴルファーの名前を言いながらゴルフスイングで遠くへ飛ばすパターンも。
階段を杖で叩いて、段差が急に平べったくなってズルーってなるネタも、楽しいですね。
辻本さんのネタは茂造じいさん以外にも、ヤクザのローテーショントークも最高です。 >>644 近所のほうがよいのじゃ。
便利であるし金もたまるのじゃ。
どんどんためて資産をかうとよいのじゃ。
>>646 何想無
>>647 満たされたと想うことはできるじゃろう。
何があっても満たされたと思えばよいだけなのじゃ。
真に満たされるならば悟りを得るしかないのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。 >>651
昔からのギャグだし、辻本は品というか可愛げがない。
それに、脚本もできそこないばっかしだ。
10年ほど前から吉本は見ていない。
「なんでも鑑定団」の今田にしても石田にしても、司会が下手。
頭の悪さ、勘の悪さがよくわかる。
ただ、島田伸介は勘が良く、話題も多かったから面白かった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています