>>392
お釈迦様は心の構造を説いてない
考え方を説いてる
心と考えは別

心は揺れ動き定まらない
心が揺れ動いてると考え、心は感じるもの
不安な時は心は興奮状態
その時に考えるべき事は、興奮状態をいかにおさめるか?だけ

水の如くありたいと考え、現実から気付きを得て行動を戒したりする

現実により心は揺れ動く
現実は環境、行動、結果
目の前で起きてる事実
人に聞いて気付きを得たりする事も必要
現実とは自分も他人も同じ内容でないと共有出来ない
違う内容に見えるなら、それは現実が一致しないのではなく価値観が一致しないだけ

価値観は、積年の各環境下における行動、結果により形成される性格により生ずる
性格は自分なりに学んで納得した事により作られる
なかなか変えがたいが、気付きと学びにより変わる事も出来る

現実の中で、現実に向き合い解決を望むなら宗教にすがるな

宗教は、現実への解決手段を持たない
菩提悟りは現実逃避
心と身体を無にするのを目指す

全て消えて無くなれ!を目指す人に現実の相談をする理屈がない

菩提の悟りには戒律がある
生き難い、生まれ難い人として生まれるには、戒律を破ってはいけないと決めてる

殺生はダメだから肉を食ってはいけない
蚊が血を吸っても殺してはいけない
欲、執着を捨てるには働いてはいけない
お布施で生活をしないといけない

托鉢する坊主は殆ど見かけなくなった
都合よく解釈を現実に合わせてるんだろうと
生活保護受けてるのか?と

ぶっちゃけ、生活保護受けてる人に人生相談するようなもの
働いたら負けとか言われたりするんだろ

現実の世界は現実に向き合った人が作りあげたり、影響力を持つ
現実の中で幸せを求めるなら、現実に向き合い取り組むべき事
宗教は現実逃避を生む
わかりにくい人になり、孤立しやすくなる
人は役に立たないと自ら命を絶つ生き物
心を見つめ自暴自棄になれば自殺に走ったり、他人を巻き込む
心を見つめるのは危険な考え方だ