なんかおかしな方向に行くんだよなぁw

現象として起きている”それ”を苦と(言語)認識しているって事なんだけど。

苦という不変の本質があるのではなくて、様々なものが因縁仮和合して”苦”と呼ばれる
現象(縁起)が生滅しているって事なんだけど。

”苦”という認識自体、自分の認識が「見るもの(苦の認識)」と「見られるもの(認識される苦)」に
分析されてるって事なんだけど。