仏陀が托鉢によって生活していたのは何故か。
与えられたものだけに満足し、奪わなかったのは何故か。
奪うどころか、富を生み出すことすらしなかったのは何故か。
その根本を私は知らない。

奪うことにより欲が生まれ、苦しみになるのか。
欲が生まれることで奪うという行為が生じるのか。
行為とは、色を感覚器で認識し、認識を思考により分別したうえで発生する。
その奪う行為が欲に依存しない、純粋な行為であれば、それは誤りではないという事なのでしょうか。