>>924 おぬしがそれで修業するならばどうていなのじゃ。
 修行しないならばひどうていなのじゃ。
 
>>925 その原因を追求し、原因から快楽を必要とすると気付けば必要はなくなるじゃろう。
 快楽への執着があれば苦があり、幸福とは感じないじゃろう。
 本当は幸福は感じていないのじゃ。
 恐れや不安などの原因から逃避しているだけであるからのう。
 執着のある者は必要が満たされている最中でさえ苦しいものじゃ。

>>926 わしは激走中なのじゃ。

>>929 心に不安や恐れがあるからなのじゃ。
 退屈であるとそれらが現れて苦に感じるのじゃ。
 そしてさまざまな逃避を行うのじゃ。
 それがなければ退屈さえも安楽なのじゃ。

>>932 悟っていないのじゃ。
 サマーディには達していたようじゃ。