>>254 神もまた寿命が来れば死ぬものじゃ。
 悟りを得ればもはや永遠の安楽に入り、生まれかわらないのじゃ。
 悟りを得ることがそれであるといえるのじゃ。

>>255 興奮しないのじゃ。
 ためしにしりをみせてみるのじゃ。
 食べないのじゃ。
 たまごやきをたべたのじゃ。

>>256 自ら決めた役割や目的のために生きるのじゃ。
 人にはそれが許されているのじゃ。
 それが無ければ虚しいものじゃ。

>>257 おぬしがなればよいのじゃ。
 頼んだのじゃ。

>>259 そのような者こそ悟りを得るために修業するとよいのじゃ。
 有限の時間で無限の意識に至るのじゃ。
 
>>269 わしは何も思わないのじゃ。
 悟った者にとってはおぬしも障碍者であり、意思の疎通も取れない者といえるのじゃ。
 おぬしを育てるのはお金と時間を使うから安楽死させるべきじゃろうか?