>>854 自分があるという認識なのじゃ。
 自分があるという認識から好みや執着が起こり、苦になるのじゃ。
 それを無明というのじゃ。
 自分があるという認識から離れれば苦はなくなるのじゃ。

>>855 肉体を観察するのじゃ。
 痛むところに意識を向ければ痛みがあり、別の所に意識をむければ痛みが遠ざかるのを感じるじゃろう。
 あるいは痛みがある時はあり、無いときは無いことを観察するのじゃ。
 そのようにいろいろに観察すると肉体も痛みも自分のものではないと気付き、痛みも苦ではなくなるのじゃ。
 
>>856 今の世で真摯に悟りを求めれば、相応しいところに生まれるじゃろう。
 この世では人の意志が一番強いものであるからのう。
 それによって自然も征服されてきたのじゃ。
 自らの意志を信じて今の世で修業に励んだらよいのじゃ。
 そのように想うのならば修業も進むじゃろう。
 悟りを得ずともサマーディにまで至れば全ては杞憂であったとわかるじゃろう。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

>>857 そのようなものは見ようとしなければ見えないのじゃ。
 蟻などがどこの地面にも居るが見ようとしなければ見えないようにのう。
 安心して修業に励むがよいのじゃ。

>>860 嫌ならばうまなくてもよいのじゃ。
 常にみんなと一緒でなければならないということはないのじゃ。
 自らの意志で道を選ぶのじゃ。
 それが自由なのじゃ。

>>865 それで20年も30年も一緒にいられるか考えてみるとよいのじゃ。
 自ら判断するのじゃ。