父親の死がこんなにもつらいとは・・ Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
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お父さんが亡くなってしまった人達が語り合い、励まし合うスレです。
悲しみがいつまでも拭い切れないという人、ここで相談してみてください。
・sage進行でお願いします。(メール欄にsageと半角で入力)
・荒らしは徹底放置。
※前スレ
父親の死がこんなにもつらいとは・・
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1401248401/ ようやく父の日が終わった
でも毎年来るんだなキッツいなあ 「お父さんありがとう」の文字がほんと辛かった
お父さん今までありがとうって気持ちが沸くと同時に、どうして生きているうちに感謝の言葉とかもっと掛けてあげられなかったんだろうって後悔の気持ちがこみ上げる
きっとこのスレを見てる方も同じような心情の方いただろうと思います
皆さんお疲れ様でした 眠れないから体が動かん
と医者に言ったら安定剤が一段階上がってしまった
強烈に効いたけど耐性と依存性が怖いから昨日から飲んでない
本当に情けない子供でごめんね父ちゃん 亡くなってからずっとここ読んでるけどそれがダメなのかなぁ
消した方が悲しくなることが減ると思うけど消せないよなぁ 朝は遺影の前で新聞の読み聞かせから
人が見たら馬鹿なんじゃないかと思うだろうけど
社会記事からスポーツや生活面も一生懸命読む
教義としては遺影を飾ることも現世に引き留めるような行為も
新たな仏様の修行の邪魔になるらしいごめんね
夜にはその日にあった事を徒然に報告
生きてるうちには言えなかったこともいっぱい話す
私がこんなに父さんの事好きだったって知らなかったでしょ
素直に何でも話してたらこんなに後悔しなかったかな
でも顔を見たら言えないんだろうなあ 居なくなったのか信じられない
ゴロゴロして寝てたのに 家の廊下を歩いてたらフワリと父ちゃんの匂いがした
あんまり私が泣くから心配して来てくれた?
この世の何もいらないから
父ちゃんに会いたいよ 確かに信じられない、まだいるような感じでどこかに失踪してるような感覚 子供に戻って一目散にお父さんのところに駆けて行きたい お父さん もう居ないんだなぁ
どんなに会いたくても どんなに泣いても
もう戻ることはないんだなぁ。。。 麻央さんが最後のブログでオレンジジュース飲んでるの父にも亡くなる数日前にオレンジ絞ってあげて美味しそうに飲んでたから思い出してしまった 父ちゃんは食欲が無くなって入院した
その前は一日テレビの番をしてた
冬 風呂に入るどころか洗面所ですら寒いと行かなくなってた
病院なら全館暖房だから楽になるだろうと私は積極的に準備した
父ちゃんは重い方の荷物を持って振り向きもせず車に乗りこんだ
それが40年前に父ちゃんが自分が建てた家との別れだった
入院してからは毎日顔を見に行った
ある日父ちゃんは自分の食事を御飯の蓋に小さな牛丼の様に盛り付けて私に差し出した
ベットから動けない父ちゃんの私への最大のねぎらいだったと今なら思う
だけど私は病人食なのに肉が固いねなどと言って一口しか食べなかった
なんで全部食べなかったのだろう
馬鹿な私は父ちゃんが居なくなるなんて欠片も考えてなかった
母ちゃんが口から食べられなくなったとき点滴だけで一か月以上生きてまた元気になった時のように
父ちゃんも元気になるのだとしか思ってなかった
父ちゃんの優しさを思い出して昨日から涙が止まらない
己のバカさ加減が情けなくて生きてる価値を見いだせない
父ちゃんのところに行って土下座して謝りたい >>289
泣いてたら優しい父ちゃん心配するぜ
優しい父ちゃんだから、土下座なんかしてくれるなって言うに決まってるぜ >>289
父ちゃんは、毎日病院に来て貰って、嬉しかっただろうよ おとうさん、おとうさんが逝って1年半が経ったよ
介護看病の日々や見送ったときのことをiいつも思い出しているよ
もう涙はでなくなったけど、心の中では毎日泣いている
会いたいなぁ >>291 >>292 ありがとう
少しは私が存在した意味があったのかなあ
今日のように暑い日は「ここが一番涼しい」って
廊下の板張りに枕で昼寝していた父ちゃんを思い出す
同じように横になって父ちゃんが見たはずの角度で部屋を見てみた
風が通って気持ち良かったよ
扇風機の風もエアコンも嫌いな頑固親爺だった
熱帯夜にアイスノン持ってったら喜んでくれたっけ
突然姿が消えていてもたってもいられない衝動は減ったけど
こんな小さな事を思い出す度にまた泣きたくなるんだろうなあ チラ裏だけど、暑い季節になると2年前のことを思い出す。
父がお腹が痛いと言って病院に行くと末期がんだった。
その十日後には葬儀会場の下見に行く急展開だった。
この暑さや蝉の声で、当時の重苦しさが蘇ってくる。 きょうは頑張ったから夢に出てきてくれないかな
ちょっとだけ疲れたかな 3年前の今日は、東京に出てきてくれて二人で食事した
その頃から具合悪いの我慢してたんだねえ
3ヶ月後に倒れちゃったもんな
気づいてあげられなくて、可哀相なことしたよ
お父さんごめんな >>297
お父さんは自然体のあなたを見たかったのでは?
離れていてもちゃんとご飯を食べてるって安心したと思う。
赤の他人が勝手なこと言ってごめんなさいね。
私も気づいてあげられなくて後悔している一人です。 1週間前、父が急逝
怒涛の勢いで葬儀を済ませ全て終わった今、言いようのない脱力感と焦燥感に襲われてて本当に辛い
火葬前まではあんなに泣いたのに、お骨になった父を見た途端に涙が出てこなくなった
前日の夜まで話してたじゃん、何で私が声掛ける1時間前に死んでるの
何で置いていくの…辛い 初盆近くなったけどまだ納骨できずにいる
その日の出来事を報告するのが習慣になった
お父さんもう少しだけ側にいて戯れ言聞いて 父の時間が止まった明け方に目が覚める
起きても意味ないのに 父と最後に会った日から9ヶ月か。
あの日は本当に普通で元気だったのにね。
次の予定をなによりも楽しみにしていたのにさ。
その日を迎える前に急逝してしまった。
せめて、その楽しみまでは命をもたせて欲しかった。
神様はなんて意地悪なんだろうか。。 気ばかり焦ってなにもできない
あげくに転んで後ろ半身打撲
初盆にはきちんとした家で父を迎えたいのだけど
悔しい 会いたい
話しをしたい
声を聞きたい
夢でいいから 去年の今日は、お父さんが歩けなくなった日…
抗がん剤の治療もずっと頑張ってたけどね お盆はお迎えする準備だから頑張らなきゃ
今日からいろいろするからね
ぴかぴかの新しい仏さまの父ちゃんがゆっくりできるように
片付け掃除おもてなし頑張るね 「死」は滅亡でもなく、永遠の別れでもありません
魂の鍛錬の場である地上生活を卒業し、本来の故里へ帰還
することであり、真の意味で生き始めることです
老いた病の肉体を脱ぎ捨て、地上的労苦からの解放です
肉体は物質で出来ているので永続性はありません
しかし魂・意識は生命の根源的素材であり、消滅はしません
いずれ我々もこの世を後にする時が来ます
その後むこうで若返った父に、必ず会うことができます
必ずまた会ってお話することができますので御心配なく
参考文献:シルバーバーチの霊訓 父親より長く生きた初めてのお盆が来るけどお墓の前で泣かないようにしたい 父を慕っていた 親離れする気がないままずっと同居していた 今も父の遺骨と同居している 2度目のお盆を迎えるというのに納骨する気もないまま 自分もお骨を手放したくなくて納骨渋ってたけど、母と兄弟に押されて納骨した
そしたらなんだかひとつ先に進めた気もした
人それぞれなんだろうけど 納骨は本当に人それぞれだね
面白い事に自分の宗派では、地元と本山に分骨するのは認められてるので
いつか納骨しま〜すということにして一部を手元供養してる
大好きな父と全部離れては生きて行けないから >>314
甲子園とリオのオリンピック見てたなー。
日本の代表が負けたら本気で悔しがってたっけ。
子供みたいにチャンネル変えたりして。
まさか東京を一緒に見られないなんて露ほども思ってなかったよ。 スレ無くなってしまったと勘違いしてたけど今日見つかって良かった… お盆終わっちゃった
忙しかったけど父ちゃんの為なら睡眠不足も楽しかったよ
一人じゃどうにもならない力仕事を「父ちゃん手伝って」と言ったら
するりと出来た あんがとね
多分これからもたくさん泣くけどいつまでも見守っていてね お父さんが庭に大きな穴を掘って、そこに杉の木を植える夢を見たよ。
杉の樹木言葉は「雄大」「君のために生きる」だって。
いろいろ解釈はあるだろうけど、私への励ましと思うことにした。
仏さまになって私たちのことなんて忘れた?とか嘆いてたもんね。
ありがとう。 父親が死んだら父が思い出になるとともに
すでに思い出の中の人物であった祖父祖母がそもそも存在しなかったんじゃないか的な錯覚をおぼえるようになった
父親もいつかそうなってしまうのだろうか 父が死んだ実感がない。色々謝りたいけど仏壇の前にたつと何も考えられなくなって泣いてしまう
父の残したものを見る度に涙がでてくる。悲しむ家族をみるのもつらい もうすぐ父ちゃんの誕生日。
ちらし寿司とお吸い物を作るよ。
病気のせいで食欲落ちても、ちらし寿司だけは食べてくれたから。
ケーキは好きだったモンブラン一択。
父ちゃんの好物は忘れないよ。
心をこめて作るから、一日だけ帰ってきてね。 喪失感が突然、間欠泉のように吹き上がる
夕方や夜中は特につらい
駄目だなあ 今日の夢のチラ裏
末期がんの父はやせ細ってベッドに寝ていた 大腸がん手術の後の人工肛門を弄って手や体を便だらけにしていた
私はそんな父の手を取って最後のお別れをした 父は幸せそうな笑みを浮かべて私の名を呼んでくれた
私は遺体の便の汚れをどうきれいにするか考えていた・・・そこで眼が覚めた
父はこん睡状態の中でなくなり最後のお別れが出来なかったのが心残りだったし
何年間も毎日在宅看病していた私を自分の子供とは認識できなかったし
いつも寂しい思いをしていた私には 思い出に残るような夢だった >>325
うちの父も直腸ガンで人工肛門だったから…
あなたの書き込み見て、いろいろ思い出す
毎日毎日、あの頃、たくさん洗濯してた
父さん死んで一人になったら、洗濯物の量が少なくて、洗濯するたび「ああ、死んじゃったんだなぁ」と淋しくなった もうすぐ2年、毎日思い出す
いつか思い出さなくなる日が来るのかな 元気で働き盛りの頃の父の姿を思い出す
朝は7時45分に、何故かしゃがんで、ご飯食べて仕事に行く
子供3人腕にぶら下げて遊んでくれた父
子供相手に将棋は絶対に負けなかった父
最期の頃の姿は、なるべく忘れるようにしているんだ 自分も父が亡くなってもうすぐ2年。亡くなって間もない頃のつらさは癒えたけど、生活の基調に父の死があって、慢性的な悲しさ、寂しさ、生活のつまらなさ、、、
時々、と言うか、しょっちゅう、体温や息づかいを伴って父を思い出すことがあり、たまらなく会いたくなる。 テレビでさ、ガン患者の見取りのドキュメントがあった
チャンネル回したら最後の最後辺りだったけど
医師でもある奥さんが言うの
他の人には検査受けなさいと言ってきたのに
どうして足元のこの人には言わなかったのかって
私も同じ後悔してる
どこか別の病院に連れて行ってたらとか
自腹ででも詳しい検査受けさせてたらとか
あの時だったら間に合ったんじゃ・・・とか
考えても仕方のないことを考える >>329
自分ももうすぐ二年、わかるよ
今朝は一年以上ぶりに父が夢に出てきたのに、悲しい夢で泣きたくなった
死にたいとかは思わないんだけど、いつ死んでもいいかなという感じ
好きだった旅行も行く気しないし、買い物も楽しくない
以前なら嬉々として出かけたイベント事も気が乗らない
惰性で生きてる感がすごい 父の死後、去年の今頃は、こうだったああだったと、去年のカレンダーをなぞるように過ごしてきた
ずっと命日を意識してきて、今月に入ってからは、あと何日あと何日と数えるようにしてきて、今日、一周忌の命日を迎えたわけだけど、別に父が戻って来るわけでなし、何かが起きるわけでもない
ただの平凡な1日を迎えただけ
父の姿形は、もう自分の頭の中だけにしか残ってないんだなと実感すると、無性にに寂しくなった 来年とうとう6年目になるけれど正直気持ちは全然変わってない
普通に日常生活してるフリが上手くなっただけだったな
元気なフリしないと亡くなったお父さんが悲しむとかいつまでも悲しんでると云々って
テンプレ説教が来て余計当時のキツさがぶり返したり悲しくなったり泣いて
ばかりだったから完全に元気なフリするしかない
周囲もそういう事しか言えない仕方なさみたいなのは頭ではわかってはいるんだけど ≫336
自分が書いたかと思った
奴ら曰く激励という名の情け容赦の無い説教を黙らせるため、
立ち直ったフリして3年経つが壊れたままの自覚あり
遺骨は全てまだ持ってる
季節毎の父の服をハンガー掛けて飾って触ってる
納骨してないってのは相当キショイんだろうけど手放したくない
成仏できないなんて何で分かるんだよオマエ霊能者かよ
って荒れ狂う心
苦痛が無いなら1時間後にシんだって構やしねー 昨晩は外に出て一人で十五夜の月を見ていた
お父さんに会いたいなぁ 今頃どうしてんだろう
亡くなった人に 元気にしてますかなどと呼びかけてしまう >>339
わかる
「お父さんどうしてるんやろ、どこにおるんやろ、元気かなあ」って呟いて、
「まぁ死んでんねんけどな」って一人で突っ込んでる 父は余命宣告されてから随分長生きでした
何だかんだでまだ大丈夫だろうって思ってた
早くいなくなればいいのにって思うぐらい大嫌いだった父親 それが理由で離れて暮らしてたのに
自宅療養で亡くなっている父の第一発見者は自分だった
最後に交わした言葉は父の「また来てね」
それに返した言葉は「あなたのために来てるんじゃないよ」
父さんごめんね あんなに嫌いだったのにやっぱりいないと寂しいです ふつうの人は別に 自分が死ななければ悲しくないだろ 吐き出し失礼します。
家族仲めちゃくちゃ良かった。父親の年齢は多分働き盛りっていうのか、死ぬには若すぎ。
列車(旅向けの高級なやつ)の広告見て「お金貯まったらこれ乗せたげよう」って嫌になってたバイト、もっと頑張ろう、って決意したのに、その数日後死んだ。
他にも、自分が大人になったら一緒にやりたいこといっぱいあったし約束してたのに。
人に話聞いてほしいけど、反応に困るだろうと思って誰にも何も言えてない。 父は60過ぎで亡くなった。親孝行もできなかったな・・とか思いながら
スーパーとかに飯買いに行って
フガフガの老人が寿司とか物色してるのみるとやるせなくなる
父にフガフガになるまで生きてほしかったっていう気持ちかもしれないし、
こんな誰かも知らない奴はこんなに長生きしてるのに俺の父はさっさと死んでしまったという気持ちかもしれない。
おまえが新鮮なもの食ってもしょうがねえだろっていう気持ちかもしれない。 >>347
おまえ、嫌な奴だな…
おまえの父親も嫌な奴だったんだろうな… 私も父が亡くなってしばらくはみんな死んでしまえ!何でこのオヤジが長生きしてうちの父が死んだんだよ!ばかり思ってたけど何故か今はそういう気持ちもなくなって年寄りを見るといたわってあげたいと思えるようになった 「うちの父親が早く死んだのに余所の年寄り生きてるのは許せない!」とか考える未熟者は大抵男だろ?
看病からも介護からも逃げ回ってたくせに、いざ親を亡くすと「親孝行出来なかった」とかほざくんだよな みんながみんな死ねばいいとは思わないけど、すごい嫌な奴がのうのうと生きてて…何で優しい俺の親父がとは思った >>350
女だけど父親があまりに早く死んだからか、同年代の子が父親の話してるの聞いたり父親と出かけたりしてるのみて、「なんであの子のお父さんは生きてるのにうちは死んだんだろう、羨ましいなぁ。」って思うよ。死んでしまえ、なんてことは思わないけど。 遺影に向かって話しかけるのはやめられない
あの世にいる父と返事のないテレビ電話をしてる感覚
我ながら馬鹿だなあ 通勤前に駅前のパチ屋に並ぶしょーもない年配のジジイが目に入ると、なんでこんなジジイがのうのうと生きてて俺の親父が死ななきゃならんのだと思ってしまう。
じゃあそのジジイが今すぐ目の前で心臓発作でも起こして死ねば俺は満足なのかって言われれば、それも違う。
そのジジイどもには全く罪はない。
相当捻くれてるわ俺 そんなもんだよ
年寄りも人による。鬱陶しい根性悪そうなジジババは憎たらしいしさっさと死ねと思うし良い人には長生きしてほしいと思うよw 生きてる時はなんとも思ってなかったのに
死んだら熱々の小籠包をかじったように子供の頃の思い出があふれでてくる >>359
なんとなく言いたいことは理解出来るけどもうちょい上手い例えなかったかw >>357
人それぞれ、この世の中で修行しなきゃならないことがある
君のお父さんは、そんなに長生きして修行しなくても、素晴らしい高い魂の持ち主だったんでしょうよ 父親が跳ねられて先週死んだほぼ即死
どこに気持ちを持ってけばいいんだろう
いきなり亡くなるの無理しんどいつらい
遠方だったから病院到着に3時間かかって
ついたときには…
最期の時間だけ作ってくれた感じで
もうねしんどい
母親が喪主なんだけど精神的にやられちゃって
全部自分にかかってる
通夜告別式関連とか警察対応とか
母親もほぼずっと泣き叫んでいて実家で自分が見てる
父親の最期くらいしっかり送りたかったのに
全くできなかった
本当にしんどい
ふとした瞬間に目の前にいろんな事が浮かんで涙がとまらない
母親の前では泣けない(母親が悪化する)から
頑張ってるけどもうしどい
食欲もない >>364
ちゃんと食事とって、とにかく身体壊さないでください
葬儀終えたらしばらく休んだ方が良いかもしれない
お母様の辛さも分かるけれど、そういう時に取り乱されると子どもとしては余計辛いよなぁ
けど、お母様の状態は長引くようなら少し距離を置くのはありだよ
お母様は伴侶を喪って辛いけど、あなたはお父様を喪って辛いんだ
必要以上にお母様を支えようと頑張ると共倒れになる 辛いことはここにぶちまけたらいいよ
みんな同じだから >>364
病気で多少の覚悟が出来るならまだしも事故で突然の別れは本当辛いと思うわ
辛いな。。 >>364
うちも一年前に事故死。
警察から電話がきて、父に会った時にはもう冷たくなってた。
母も同じような感じで、身内への連絡、葬儀の手配、その後の相続手続。
相続は父が一生懸命、真面目に生きてきたからこんなに大変なんだ、誇らしいことなんだ!って謎のテンションでやり遂げたんだけど、終わったら肺炎で寝込んでしまった。
愛された分だけ、大切な父さんだっただけに悲しいんだなあ。
言える場所でぶちまけちゃいな。 一周忌を終えて、白木の位牌がなくなった。
祭壇もすこーし縮小して。その度に寂しくなる。
亡くなった事実は受け入れたけど、仏壇のご先祖一同にお父さんが入るなんて考えられないんだよ。
遺骨はまだあるけど、納骨をしたら仏壇に入ってしまうのかな。 >>368
相続きついよね
あと、準確定申告とかも
特に、医療費の集計してる時、何度も何度も涙あふれてきて手が止まった
タクシーの領収書なんか、何時何分まで記載されてるから、この日は病院で待たされて遅くなったから帰り途中でお蕎麦一緒に食べたな、とか思い出して わぁ…泣けてくるわ…
このスレ見なかったら記憶も薄れてあまり思い出すこともないけどやっぱりたまに思い出して思いきり泣きたくなる
うちも親父とお蕎麦食べたな… これから先の人生には一瞬たりともお父さんはいないんだな
お父さんに早く会いたい 魂みたいなもんがあって今の俺を見てるならクヨクヨしてても心配かけるだけで絶対喜ばないし
人間しんだらそこで消滅なら悲しんでも虚しいだけだと思っていつも通りを心がけてる
死んでしばらくたってふと思い出すとただただ虚しくなる
昔はスピリチュアルがどうとか聞くとキメェとか思ってたけど
魂みたいなもんがあってほしいとか思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています