>>452の続き

 実際にイラク戦争後のイラクで取材をした経験から考えると、スンニ派とシーア派では、部族と宗教者の力関係が
異なっていた。スンニ派地域では部族の結束や部族長の権威が強く、ウラマーと呼ばれる宗教者は部族長を
補助する形だった。一方、シーア派の宗教者は「大アヤトラ」を頂点とするピラミッド的なヒエラルキーを持ち、
イラク中部のナジャフというシーア派の聖地に宗教権威がある。こちらは、部族が宗教者体制を支えているような
構図だった。

 サドル・シティはイラク戦争前まで「サダム・シティ」と呼ばれていた。300万人以上の人口を抱える貧しい
シーア派地区だが、まさにシーア・パワーを象徴する場所である。「サドル」は、フセイン体制下で暗殺された
聖地ナジャフの大アヤトラ、サーディク・サドルに由来する。単に名前が変わっただけではない。殉教者
サーディクの息子としてイラク戦争後に風雲児のように現れた若い宗教者ムクタダ・サドルが率いる民兵組織
「マフディ軍」の最大の拠点ともなった。

 ムクタダ・サドルは米軍占領に対抗して反米デモを率いた。マフディ軍はバグダッド陥落から約1年後の2004年
4月、サドル・シティでパトロール中の米軍を襲撃し、8人の米兵を殺害、50人以上の負傷者を出すなど、米軍への
対抗姿勢を強めた。当時40歳だったムクタダ・サドルが率いる政治勢力は「サドル派」と呼ばれ、フセイン時代から
反体制活動をしてきたダワ党やイスラム最高評議会と共に、政治勢力としての「シーア派パワー」を形成した。

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