>>404の続き

国連安保理は1988年5月9日、化学兵器の使用を非難する決議を採択しましたが、イラクを
化学兵器使用国とすることはありませんでした。この決議は単に化学兵器の使用禁止を勧めるのに
とどまっており、一方では、ドイツやオランダ、フランスやベルギー、ロシア、アメリカの数十の企業は、
イラクに対する化学物質の移送と、その使用技術の移転に関与していました。実際、イラクに化学
兵器を輸出していた国々による犯罪を非難する中での、国際社会の沈黙と、国連安保理決議の
否決は、サッダームフセインが化学兵器による大量虐殺という犯罪を続ける要因となりました。

イラクの化学兵器による最初の攻撃は、1981年にさかのぼります。このときからイラン・イラク戦争
終結まで、イラク軍は3500回以上にわたって化学爆弾を投下し、戦場や両国の国境地帯の村や町で
10万人以上の人々を殉教あるいは負傷させてきたのです。サッダーム政権に対する支援により、
サッダームフセインはイランに対する戦争の中で、非人道的な犯罪を行い続けてきました。

サッダーム政権はアメリカのゴーサインで開戦したイラン・イラク戦争の中で、80年代の終わりごろから、
アメリカやフランスなどの数カ国の直接的な支援を受けて、化学兵器の製造原料を受け取りました。
証拠では、アメリカも、1977年から1983年まで、イラクの破壊的な化学兵器の軍備にはっきりとした
形で関与していたことが示されています。

また、これに関する文書では、トムソンCSF、アルカテルなど、フランスの兵器大手数社も、化学兵器の
原材料など、数十億ドルの軍事物資をイラクに提供していたことが示されています。イラクはこうした
可能性を利用し、化学物質を生産する工場を建設し、神経ガスなどの危険なガスを大量生産し、備蓄
していました。これらの兵器は、イラン・イラク戦争中、盛んに使用されました。

大量破壊兵器の生産は、独立した政府や反米政府に対し、アメリカによってかけられる疑惑の種となる
問題で、これによってアメリカはこれらの政府に国際的な政治圧力をかけています。一方、アメリカは
生物兵器や化学兵器の廃絶に関する条約に違反している最大の国であり、サッダーム政権の支援も、
化学兵器禁止条約への違反のひとつです。