ハラブチェの悲劇、化学兵器使用の歴史 3月 15, 2016 04:30 Asia/Tokyo
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イラクの独裁者サッダームフセインは、1980年代のイラン・イラク戦争の中、イランの都市を
化学兵器で攻撃し、恐ろしい犯罪に手を染めました。この攻撃の中で、10万人以上が殉教
あるいは負傷しました。

国際社会の沈黙の中、サッダーム政権は、もうひとつの犯罪行為として、1988年3月16日、
イラク北部のクルド人居住地域、ハラブチェを化学兵器で攻撃しました。この攻撃により、
5000人以上が死亡しました。

当時のイラクの政権は、化学兵器による攻撃の中で、神経ガスなどの致死性のある有毒ガスを
使用しました。イランはハラブチェの事件が起こる前、国連事務総長宛に書簡を送り、サッダーム
フセイン政権が大々的に化学兵器を使用していたことに触れ、この攻撃の調査を目的とした
国連の専門家チームの派遣を要請していました。

サッダームフセインは、ハラブチェ攻撃の前の1987年6月、イラン西部のサルダシュトに対して
化学爆弾を投下しました。この空爆の中で、100人以上の民間人が死亡し、8000人以上が
有毒ガスの被害を受けました。これは都市部の民間人の居住地を化学爆弾で空爆した、
世界初の戦争犯罪でした。国際社会の沈黙、西側の国連安保理決議の採択却下により、
サッダームフセインは化学兵器による大量虐殺を継続したのです。

国連は1984年、半ば公式とされている報告の中で、イラクは有毒ガスをイラン軍兵士に使用
しているが、そのうちの30件は都市や村の非軍事的な場所に使用されたとしています。当時の
国連事務総長は、この報告の4年後、イラクがハラブチェに化学爆弾を投下した際、遅れた反応を
示し、地域に専門家を派遣しました。このグループは、イランとイラクで化学兵器が使われたとする
調査結果を、国連事務総長に提出しました。