2003年3月20日バグダッド空爆
2002年11月8日、国連安保理決議1441採択。 2003年2月24日、米英スペインが、武力行使容認のための決議案提出。 3月7日、米英スペインが、17日までに武装解除を求める修正決議案を提出。 3月17日、ブッシュ大統領、フセイン大統領に48時間以内の亡命を求める最後通告 3月20日、開戦。 イラク要人を標的としたバグダッド空爆(巡航ミサイル40発)。 3月21日、バグダッドその他を本格的空爆(巡航ミサイル320発)。 同日、金曜礼拝後、ヨルダン、エジプト、パレスチナ、イエメンで反戦デモ。 ヨルダンに少数の難民(非イラク人)が到着。 3月22日、バグダッド、南部戦線、ティクリート、ハラブジャ、タジその他を 空爆(「衝撃と恐怖」作戦。ミサイル、精密誘導爆弾を1500発以上使用) 同日、パレスチナ、ヨルダン、エジプト、レバノン、バハレーンなどで反戦デモ。 3月23日、米軍、空爆および地上軍の進撃続行、キルクーク近くの飛行場に、兵力増強。 3月24日、カイロでアラブ連盟外相会議、 米英軍の攻撃を侵略と非難し、両軍の即時無条件撤退と緊急安保理開催 を要求(クウェートは保留)。 イラク軍、クウェートにミサイル攻撃。 3月26日、米軍、バグダッドのTV局に、電磁波爆弾を使用。 2002年11月8日、国連安保理決議1441採択。 2003年2月24日、米英スペインが、武力行使容認のための決議案提出。 3月7日、米英スペインが、17日までに武装解除を求める修正決議案を提出。 3月17日、ブッシュ大統領、フセイン大統領に48時間以内の亡命を求める最後通告 3月20日、開戦。 イラク要人を標的としたバグダッド空爆(巡航ミサイル40発)。 3月23日,ナジャフ近郊で化学兵器工場を発見と報道(真偽は不明)。 3月28日,米、全土の35〜40%、バグダッドとティクリートを除く制空権の 95%を制圧、累計で巡航ミサイル650発、精密誘導爆弾5000発を 使用と発表。 同日、国連安保理は、石油食糧交換計画を45日間再開する決議1472を採択。 金曜礼拝の後、ヨルダン、パレスチナ、イラン、トルコ、バハレーンで反戦デモ。 4月1日、 仏外相、テレビ・インタビューで「仏は同盟国である米英の側に立っている。 戦後復興に国連が中心的役割を果たすことに、英仏は一致している。」と発言。 同日、米上下両院本会議は戦費に関わる補正予算を可決、 補正予算の支出内容に関する今後の審議のための下院修正案は、 仏独露シリアの企業を復興事業から締め出すと規定。 【アンマン2003年3月29日共同】 「ターブート(ひつぎ)が足りない、集めてくれ」―。 バグダッド市北西部・シューラ地区の市場で少なくとも五十八人の市民が爆死した。 4月9日、日本政府、1億ドルを上限とする人道支援策を発表。 WFPへの1150万ドル、ICRCとユニセフへの1300万ドルの拠出を決定し、 これまでの累計拠出額は約3000万ドル。 4月10日、イラン国境近くに数万人の国内避難民が集結、 イラン政府が援助物資を支給(報道)。 4月15日、米軍は、カルバラー近郊で地中に埋められていた生物化学兵器の移動式実験室11両 および大量の資料を発見。生物化学兵器はなし (その後、生物化学兵器とは無関係と報道)。 4月16日、ブッシュ大統領は、戦費に関わる補正予算案に署名 (外国企業は復興事業から排除)。 4月28日、バグダッド西方ファルージャで、米軍撤収を求めるデモに米軍が発砲、15人死亡(報道)。 約一年半後、 米軍、ファルージャで最も激しい空爆実施 イラク軍と合わせて計約1万人の部隊で中部ファルージャを 包囲している米軍は、6日深夜から7日にかけて同市への空爆を実施した。 AP通信は、米軍機が5個の500ポンド爆弾を投下しており、 最近6カ月間で最も激しい空爆だと伝えた。 ファルージャは、制圧作戦に向け、イラク暫定政府のアラウィ首相の 作戦開始命令を待つだけの状態となっている。 米当局は、同市に武装勢力約3000人がいると推計。 多くのテロや外国人拉致の首謀者とされるヨルダン人、 ザルカウィ容疑者も潜んでいるとみている。 暫定政府のダウード国務相(治安担当)は6日、中東の衛星テレビ、 アルアラビーヤに対し、同作戦で「イラクのテロが終わるとはいえない」 と述べる一方、ファルージャは「イラク各地のテロの中枢で、極めて 大きな拠点。これをわれわれは壊滅させる」と語り、制圧は不可欠との 認識を示した。 ファルージャでは、被害を恐れて市民の約9割が既に市外に退避。 市内で開いているのは、食料品店や電気会社だけで、家具などを山積み にしたトラックなどで市外に出る検問所が渋滞しているという。 (バグダッド共同) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041106-00000689-reu-int.view-000 2002年11月8日、国連安保理決議1441採択。 2003年2月24日、米英スペインが、武力行使容認のための決議案提出。 3月7日、米英スペインが、17日までに武装解除を求める修正決議案を提出。 3月17日、ブッシュ大統領、フセイン大統領に48時間以内の亡命を求める最後通告 3月20日、開戦。 イラク要人を標的としたバグダッド空爆(巡航ミサイル40発)。 「衝撃と恐怖 (SHOCK AWE)」作戦を開始 バグダッドに大規模空爆 1 名前: 快速特派員φ ★ 投稿日: 03/03/22 03:25 ID:??? CNNテレビなどによると、米英軍は21日、イラクに 大規模な空爆を加える「衝撃と恐怖」作戦を開始した。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030322-00000751-jij-int 2 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 03/03/22 03:26 ID:WO37zPHk やりすぎ ファルージャ背景 ユーフラテス川を望む町、ファルージャ。 アンバル州にあるこの町は、首都バグダッドから西に約六〇キロ、 バグダッドとヨルダンを結ぶ要路に位置する。 この地には、遙か昔から、人々が暮らしていたという。 現在の人口は、約三〇万人。 潅漑設備を用いた農業が、産業の中心である。 イラク戦争以降の混乱 ファルージャは、イラク戦争によりアメリカ軍の占領を受け、 同盟軍による占領統治ではアメリカ海兵隊が治安維持を担当していた。 2004年3月31日、ファルージャでアメリカ軍の下請けを行う 民間警備会社の社員であるアメリカ市民の民間人4人が現地武装勢力に 殺害され、遺体が市民によって損傷される事件が起こると、 その残虐な映像が世界中に配信された。 4月、アメリカ軍はその報復としてファルージャの包囲掃討作戦を 実行し、武装勢力が潜んでいたとしてモスクを空爆するなどの大規模 な攻撃と、都市の封鎖により多くのファルージャ市民が巻き添えに なったとみられる。11日から13日まで続いた一時停戦までに 住民・武装勢力の死者は450人を超え、 アメリカ軍にも大きな被害が出た。 大きな風呂敷 新保守派が大きな大きな風呂敷を持ち出した。 だれもが、その風呂敷は今までの風呂敷と同じだと思っていた。 結び目を解いた大統領もその風呂敷の大きさまでは知らなかった。 解いたら最期、その風呂敷には思いもよらないものがいっぱい詰まっていた。 よくやったと言っていた連中も関係ないと言っていっていた輩も、 その足下には赤と白のストライプの布が、透明な蜃気楼から リアルな風呂敷に変わりはじめた。 それがやがて、現実のストライプのじゅうたんに変わるとき、 あなたの心臓が脈を打っている保証はない。 風呂敷はもともと五右衛門風呂に敷いてもちいる大きな布だった。 大泥棒の大風呂敷。金も命も全部持っていく。 ゆで蛙理論が生きる魔法の大風呂敷。 布の端っこには、大統領の名前が、『蛙の行列』という言葉とともに 死臭で施されている。 ゆで蛙理論 熱湯に放り込まれた蛙はびっくりして湯から飛び出すが、 徐々に温められると蛙は気が付かないうちにゆで上がってしまう。 今までこれでやってこれたのだから何とかなるという危機意識のなさが 命取りとなる例え話 ジョージ・ブッシュ George W Bush 共和党 第41代大統領(1989−1993) 1924年マサチューセッツ州に生まれる。 第二次世界大戦では海軍に志願、太平洋戦線で戦う。 ケリーは、コロラド州オローラのフィッツシモンズ陸軍病院で生まれた。 彼の父親リチャードは第二次大戦中陸軍航空隊のテストパイロットで、 結核の治療で同病院に入院した。 一家はケリーの誕生後マサチューセッツ州に転居した。 一家はローマカトリック教だった。 一家はたびたび転居したため、彼は複数の学校に通った。 11歳の時には一家はベルリンで暮らしたが、彼はスイスの寄宿学校に入学した。 1957年には父親がノルウェーのアメリカ大使館に勤務したが、 ケリーはマサチューセッツに戻り、マサチューセッツ州ニュートンの寄宿学校 フェセンデン・スクールに通った。 翌年ニューハンプシャー州コンコードのセント・ポール・スクールに入学し、 1962年に卒業した。彼は学生時代アイスホッケーやラクロスを行い、 またエレクトラズというバンドでベースを弾いた。 ミ ヽ( 'A`)ノ \ \ ○○ 毒人形さんがこのスレを飛び越えて行った ジョン・フォーブズ・ケリー(John Forbes Kerry, 1943年12月11日 - )は、 アメリカの政治家。マサチューセッツ州選出上院議員。 2004年アメリカ合衆国大統領選挙では、民主党の大統領候補に指名された。 ベトナム戦争に従軍し勲功を上げながらも、その理不尽さを糾弾して 反戦運動に身を投じるなどリベラルな姿勢で知られる。 しかし、もうじき2年になるね。 アメリカは大きな誤算をしたものだ。 フセイン大統領が言っていた通りになったのだが。 まあ、いちばんあの日に戻りたいのは、 ブッシュとチェイニー、ラムズフェルド、パウエルだったりする。 read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる