精神科病棟について語ろう 4病棟
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
薬配られる時に名前確認しない看護師がいて困る。
夜勤に多い。 鳥取県米子市にひどい精神病院があると聞くけど
わかりますか? 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災
https://goo.gl/mMEeDi NPO法人STA
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詳しくはHPをご覧下さい。 もう戻って来るなよ!って祝福?されつつ退院してった人いたけど
僅か1週間で戻って来た..彼に何があったんだ お薬嫌がってるお婆さんがいるけど、看護師さんどうするんだろ? 延長コードで未遂やらかしたアホのせいで先月から部屋での充電禁止、詰所預かりになった
電化製品一つにつき充電代500円取られる
なのに充電忘れられることが時々ある
解放病棟なのに閉鎖に戻った気分… 問題行動起こす人は拘束されると大抵大人しくなりますね。2週間くらい拘束されて別人になってしまった人がいました。 閉鎖病棟で過ごしてるけど、暇すぎて死にそう。
作業療法とかの時間と、メシ風呂寝るの時間以外は
うとうとするか、スマホいじってるけど、こんなんでいいのか?
回りの人とコミュニケーションとかするの面倒だし。 隔離と閉鎖、開放経験したけど、隔離は本当に何もすることなかった(´・ω・`)
扉の窓から見える時計で時間を見て、壁の落書きを見る以外楽しみすらなかった。 あさかホスピタルのプレッソ病棟のc-4って今あいてますか 数日前に退院したが、退院先の実家の同居人共がブラック&キチ過ぎて連休明けにでも既に入院したい気分になってる。
それかキチ共がいい加減入院しねえかな。
実家のEE、恐らくだが高過ぎてキチ共か自分かどっちか死なないかなと思ってる。
病院も実家もどっちでも飯が不味いのは変わらん。 週明けから入院するんですが携帯電話は持ち込み禁止と明記されてるのでほぼ諦めてますが、喫煙可なのにライター持ち込み禁止なのでどうやって火を点けるのか気になってます
喫煙所にライターが備え付けられてるとか、預かられるとかって事でしょうか 自分とこは喫煙室付近にライター鍵付きで備えられてたけど
鍵外して盗んだ奴居て毎日ライター出て来るまで全員私物点検されてた 自閉症 うつ病
<〒990-0721> 山形県西村山郡西川町大字大井沢1517
大原
0237-76-2147
41歳処女
https://twitter.com/sakura3mp_yahoo
障害年金不正受給 毎月かなりの収入があります
http://ochisatsu.com/search/?code=%B4%C1%BB%FA%C8%BD%CA%CC%CD%D1&tl=&id=&u0=sakura3mp&s=-pr&u1=&d1=&d2=&u2=&p1=&p2=&c=&img=1&201608=8%B7%EE
身長150com 体重100kg 最近イボ痔の手術したので81kgに激やせしたと自慢していますw
http://iup.2ch-library.com/i/i1723162-1476046518.jpg >>847
ありがとう
多分うちのとこも同じようなシステムだと思う >>847
そういうのっていやだよなぁ
電気式のライター使うとかしたらいいのにね 入院したら薬が処方されている患者は無理矢理服薬させられるの?飲んだフリしてトイレで吐き捨てるとかは無理? 自炊業者だった友人のサイト。
今日著作権違反で警察署に連行されてた。。。
http://lightube365.com/archives/831
pdfいまのうち
スレちでスマソ 閉鎖に二度入ったけど暇じゃあなかったな、なんというか自分で役割演じると楽 https://goo.gl/ZRULYX
これ本当なの??
普通にショックだよね。。 私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。
私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。
よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。
暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。
私は金の工面に二、三日を費やした。
ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。
電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。
友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結婚を強いられていた。
彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。
それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。
彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。
けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。
それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
学校の授業が始まるにはまだ大分日数があるので
鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。
友達は中国のある資産家の息子で金に不自由のない男であったけれども、
学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。
したがって一人ぼっちになった私は別に恰好な宿を探す面倒ももたなかったのである。
宿は鎌倉でも辺鄙な方角にあった。玉突きだのアイスクリームだのというハイカラなものには
長い畷を一つ越さなければ手が届かなかった。
車で行っても二十銭は取られた。
けれども個人の別荘はそこ、ここにいくつでも建てられていた。
それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。 私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。
私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。
よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。
暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。
私は金の工面に二、三日を費やした。
ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。
電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。
友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結婚を強いられていた。
彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。
それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。
彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。
けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。
それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
学校の授業が始まるにはまだ大分日数があるので
鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。
友達は中国のある資産家の息子で金に不自由のない男であったけれども、
学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。
したがって一人ぼっちになった私は別に恰好な宿を探す面倒ももたなかったのである。
宿は鎌倉でも辺鄙な方角にあった。玉突きだのアイスクリームだのというハイカラなものには
長い畷を一つ越さなければ手が届かなかった。
車で行っても二十銭は取られた。
けれども個人の別荘はそこ、ここにいくつでも建てられていた。
それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。 私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。
私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。
よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。
暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。
私は金の工面に二、三日を費やした。
ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。
電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。
友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結婚を強いられていた。
彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。
それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。
彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。
けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。
それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
学校の授業が始まるにはまだ大分日数があるので
鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。
友達は中国のある資産家の息子で金に不自由のない男であったけれども、
学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。
したがって一人ぼっちになった私は別に恰好な宿を探す面倒ももたなかったのである。
宿は鎌倉でも辺鄙な方角にあった。玉突きだのアイスクリームだのというハイカラなものには
長い畷を一つ越さなければ手が届かなかった。
車で行っても二十銭は取られた。
けれども個人の別荘はそこ、ここにいくつでも建てられていた。
それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。 >大阪府三島郡島本町のイジメはいじめられた本人が悪い
↑
いじめの加害者を擁護し被害者を非難するスレを公然と立てる
島本町という町は日本最低の町だな 私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。
私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。
よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。
暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。
私は金の工面に二、三日を費やした。
ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。
電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。
友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結婚を強いられていた。
彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。
それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。
彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。
けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。
それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
学校の授業が始まるにはまだ大分日数があるので
鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。
友達は中国のある資産家の息子で金に不自由のない男であったけれども、
学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。
したがって一人ぼっちになった私は別に恰好な宿を探す面倒ももたなかったのである。
宿は鎌倉でも辺鄙な方角にあった。玉突きだのアイスクリームだのというハイカラなものには
長い畷を一つ越さなければ手が届かなかった。
車で行っても二十銭は取られた。うわ〜暇だー!
けれども個人の別荘はそこ、ここにいくつでも建てられていた。
それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。 私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。
私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。
よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。
暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。
私は金の工面に二、三日を費やした。
ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。
電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。
友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結婚を強いられていた。
彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。
それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。
彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。
けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。
それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
学校の授業が始まるにはまだ大分日数があるので
鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。
友達は中国のある資産家の息子で金に不自由のない男であったけれども、
学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。
したがって一人ぼっちになった私は別に恰好な宿を探す面倒ももたなかったのである。
宿は鎌倉でも辺鄙な方角にあった。玉突きだのアイスクリームだのというハイカラなものには
長い畷を一つ越さなければ手が届かなかった。
車で行っても二十銭は取られた。うわ〜暇だー!
けれども個人の別荘はそこ、ここにいくつでも建てられていた。
それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。 >>830
もう年も年だったら、きっとそのうちと思ってるのでは? 無意味に寄ってくるおっさんがいる
外出ノートを書いていると、寄ってきて自分も書く。3回目。
体温をはかって報告してる途中に割り込み、俺は36度です、俺は36度ですとかいう。
朝から院長を用もなく追いかける。不安なんです、不安なんです!とかいいながら。
地味にウザイ。 >>853
看護師の目の前で飲んだの確認されるよ。 自分の所は薬を口に含んだ時点でいなくなるから
その後飲み込まずに捨てる事も簡単に出来たな
厳しい所だと口の中まで調べられるとか 病名は知らんが、つきまといジジイ失せろ。アスペやろか?パーソナルスペースおかしい
真後ろでフーフー言うな、チカンかお前は。じーっとじーっとずーっと見てくる
、瞬きもせずキモイ 今日これから精神科病院に入院します。
初めての精神科入院なので不安です。
携帯もちこみNGですし、どんな方がいるのかわからない等等。
心配しすぎなのでしょうか。 病院によって差はあると思うけど、自分とこは急性期より
慢性期病棟の方がやばいの多かったな
病院=住所になってると言うか、一生ここで過ごすんだろうな..的な
症状の人が慢性期に多かった supersonicテロの加害者!!
あなた、人間か?
どこまで卑劣な
山口市内がsupersonicで
超音波テロの加害者も山口市内!?
>>876
ありがとうございます。
入院しました。
いろいろな心配がありましたが、
それ以上に暇なのが一番の悩みになりましたw >>878
自分も入院した時暇過ぎて1日が凄い長く感じたな
許可おりてるなら携帯型ゲーム(3DSとか)したり
漫画読んで暇潰すとか
大部屋だと盗難に注意な、自分ゲーム機悪戯で隠された >>879
ゲーム機等の電子機器類、一切持ち込みできない病院なのです。
今まで気になることがあるとすべてネットに頼っていたので、不便で仕方ないです。
本も制限があるときいていたので数冊しか持ってきておらず、暇で暇で。 俺は閉鎖、開放といたけど
閉鎖は狂ってるけど若い人多め
開放は狂ってるけどジジババたっぷりって感じだった
ちなみに鬱で入りました もう少しで退院になりました
精神病院もなれてきますね 17で保護入院したけど拒薬したら注射うたれて息ができなくなった。誰も助けてくれなかった。
隣の部屋の子は死んで警察がきていろいろ聞かれた。自分は結果として生きているけど死んでいてもおかしくなかった。
人間扱いされない気持ちが少しだけわかった気がする。 薬は錠剤なら飲んだフリして捨てればおk
粉や液体タイプ、口の中まで確認する病院だと無理だけど 閉鎖病棟から自宅退院してきました。
今度は、自宅での生活になれるのが大変。
そわそわして悲しくもないのに涙が出たりします。
みなさん、そんなかんじなのでしょうか? 俺も統失で四回入院して今は病識できて陰性症状も良くなってきてるけど毎晩泣いてるよそんなもんだよ
酒飲むと悲しくなくなるからたまに酒飲んでるよ >>886
そうなんですね。
ありがとうございます。
日にちが経ち、おちついてきました。 退院後、働かれている方にお聞きしたいです。
どれくらいの時間をおいてから復帰しましたか?
復帰してからの勤務体系はフルタイム?バート?頻度は?
私は退院して10日でパート勤務開始、月末からフルタイムに戻る予定ですが
一日勤務するだけで精神的な疲労が強いです。
意味もなくイライラしてしまったり、落ち込んだり。
復職のタイミングを間違えたのでしょうか。
他の方がどうされてるのかお聞きしたいです。 https://www.tsukubahigashi-hp.com
筑波東病院=土浦厚生病院=初石病院=大量に患者を殺すな横山院長氏ね細谷誠癌急逝天罰ダァ〜 数日前に疲労で開放に入院したけど、私の部屋の前に面会とかで会話しやすいベンチがあるから会話筒抜けだしうるさい
部屋のドア閉めたいけど… >>1
【緊急】
すき家の定食に衝撃異物!
危険な管理体制が明らかになった・・
指摘したその時!わざとらしく店員が声をあげごまかす!!
229 名前:やめられない名無しさん [sage] :2017/09/02(土) 07:31:54.64 ID:EfhOnUp0
俺の朝はいつもすき家
楽しみにしてたのに・・今日に限って朝定食にしたんだ
見てくれ、これが証拠
店員さんも驚いて声をあげてるけど、なんかわかってたっぽい・・
https://www.youtube.com/watch?v=wjD4hUeU-CA
ちなみに半分食べた
お客様センターが通じない・・病院行く・・
(´・ω・`)すき家が大好きだったのに・・ もともとうつ持ちで、夫婦仲がこじれて悪化して昨日入院
思ってた以上に疲れてたらしく昨夜からご飯の時以外爆睡
綺麗な開放で、入院も4回目、居心地いい(のは本当はダメだけど)
結婚から2年で入院3回目なんだよね
別れた方がいいのかね 入院病棟が6階から12階まであるので運動がてら
各階の病棟を散歩してたけど精神科病棟だけは
「患者以外立ち入り禁止になってますのでご遠慮ください」と
看護師から言われた
ディールームは禁止になってなかったけど・・・ 開放病院で善良な医師が居る良い病院はどこですか?東京神奈川でお願いします
どこ見れば良いのか情報が無く困っています
ヒントだけでもお願いします 友達から教えてもらった副業情報ドットコム
念のためにのせておきます
ネットで検索するといいかも『蒲原のロロムムセ』
DIFPR 私はその人を常に先生と呼んでいた。
だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。
私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。
よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。
暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。
私は金の工面に二、三日を費やした。
ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。
電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。
友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結婚を強いられていた。
彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。
それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。
彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。
けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。
それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
学校の授業が始まるにはまだ大分日数があるので
鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。
友達は中国のある資産家の息子で金に不自由のない男であったけれども、
学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。
したがって一人ぼっちになった私は別に恰好な宿を探す面倒ももたなかったのである。
宿は鎌倉でも辺鄙な方角にあった。玉突きだのアイスクリームだのというハイカラなものには
長い畷を一つ越さなければ手が届かなかった。
車で行っても二十銭は取られた。うわ〜暇だー!
けれども個人の別荘はそこ、ここにいくつでも建てられていた。
それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。 私はその人を常に先生と呼んでいた。
だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。
私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。
よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。
暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。
私は金の工面に二、三日を費やした。
ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。
電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。
友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結婚を強いられていた。
彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。
それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。
彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。
けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。
それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
学校の授業が始まるにはまだ大分日数があるので
鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。
友達は中国のある資産家の息子で金に不自由のない男であったけれども、
学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。
したがって一人ぼっちになった私は別に恰好な宿を探す面倒ももたなかったのである。
宿は鎌倉でも辺鄙な方角にあった。玉突きだのアイスクリームだのというハイカラなものには
長い畷を一つ越さなければ手が届かなかった。
車で行っても二十銭は取られた。
けれども個人の別荘はそこ、ここにいくつでも建てられていた。
それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。 私はその人を常に先生と呼んでいた。
だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。
私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。
よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。
暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。
私は金の工面に二、三日を費やした。
ところが私が鎌倉に着いて三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。
電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。
友達はかねてから国元にいる親たちに勧まない結婚を強いられていた。
彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。
それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。
彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。
けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。
それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
学校の授業が始まるにはまだ大分日数があるので
鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。
友達は中国のある資産家の息子で金に不自由のない男であったけれども、
学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。
したがって一人ぼっちになった私は別に恰好な宿を探す面倒ももたなかったのである。
宿は鎌倉でも辺鄙な方角にあった。玉突きだのアイスクリームだのという
ハイカラなものには長い畷を一つ越さなければ手が届かなかった。
車で行っても二十銭は取られた。うわ〜暇だー!
けれども個人の別荘はそこ、ここにいくつでも建てられていた。
それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。 犯罪犯した人とその被害者が生活してる恐ろしい。実験モルモットみたい。 母が更年期こじらせてうつ病で入院した
ある日午前9時ころ病院から電話で、すぐ来てくれとのことだった
病院につくと病室に案内されず相談室に呼ばれなんだか急に体調に異変が起きて
いろいろ救命処置を施したが死亡したとのことだった
母は家族に承諾もなしに鍵付きの部屋で入れられ施錠されていた
おそらく見回ってみたら死んでたってことだろ
救命処置をしたなんて嘘に決まってると直感したよ
精神科病棟は他の病棟みたいに定期的に見回ってない
ほったらかしだからな 入院したい。このままだと自殺してしまう。なのに、医者に言っても来月また来てくださいねで終わり。
今の通院先大きい五階入院施設あるのに、昔入院したときと変わって、認知症患者と糖質しかいない。
入院してもケアはないし診察が二回あるだけ。
完全閉鎖だし、スマホケータイすらダメ。田舎の病院なんてダメだね。 >>906
夜間なら定期的に見回りあるけど、日中はほったらかしだね。1日会話もないよ。 オレは女医だったんだけど薬だけでいいと言ったら
あなたはちょっと危険な状態なので2週間ごとに受診しろと言われたわ >>909
羨ましいな、そういう危険度って医者にはわかるんだなー。
じゃあ自分は自殺したいと言っても危険度はないのか(笑) 精神科救命病棟ってあるじゃない?
3ヶ月しかいさせてくれないとこ。なんか認定受けるのに医者とか看護師の数とか、色々審査あるらしいけど
あれって結局、金のためだよな。三ヶ月過ぎたら、点数が下がるから体調が悪かろうが三ヶ月で追い出す。 3ヶ月所かベッドの空き具合とかの都合で2週間程度で
追い出される事もあるし >>911
精神科に限らず国策だから仕方がない病院を恨むのは見当違い >>913
そうなんやね
テレビで40年入院させられてた男性がでてたから、3ヶ月でなんにも変化なくても追い出される自分とそういう人の差が酷すぎないかと(入院もさせてはもらえないけど)
担当医も医者は薬出すしかできないって言ってたし薬も治る訳じゃないっていってるから、あっても意味ないものなんかもな。 最近の患者は統合は軽症化が進んでるみたいだし、
デイケアとか作業所に放り込んでおけばにっちゅうは面倒見てもらえるし、
住居はグループホームもあるし。
そこまで入院の必要性がないのかもね。
数十年とかの長期入院の人は社会性が低下しすぎて院外では暮らせないんじゃないかな。
親はいないか高齢、兄弟は引き取りたがらない、グルホは自律性低くて無理、とか。 一時帰宅中だけどむかいの奴の制汗剤の匂いがキツすぎて臭い ストレスケア病棟に高齢者ってあまりいないんですか? >>914
国の対策が変わったんだよ。
地元も総合病院立て替えたとき、精神科は別棟なんだけど(中で繋がってはいる)ベット数が以前(10年以内)より100近く減らされた。
それだけ入院待ちが多いんじゃないかな。 うちの病院は需要が多いはずなのに、精神科病棟閉鎖してしまった
病院経営を考えれば存続させて、患者集めた方が良いと思うのだが・・・ 精神科といえば、食事が少なくて安いものばかり出てくる。酷い病院では、刑務所の食事と変わらない。食事も治療の一環だとして1食につき640円を国に請求出来るから、普通の病院のようにもっと良い食事を提供しないといけない。
今年から一般人の入院食事代は、1食460円も払う事になってるのに、どう見積もっても1食100円〜150円までに抑えて利益出し過ぎだと思う。 >>920
一食でそんなにするのか。近所の病院はホームページには270円って書いてあったけど、病院によって違うんやね。
まあ、刑務所と変わらないのは事実として レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。