>>79
ちょっと亀レスだけど不謹慎すぎる。
まず遺産なんて普通の一般家庭なら問題にすらなら無い(ぐらい少ないかまったくない)のが普通。
そんなことより身内が死ぬっていう事実の方がよほど(比較対象にならぬほど)問題。

ここのスレ読んでいて、他人事とは思えず思わず書き込みしたくなった。
自分も丁度去年の今頃母親が入院して、3ヵ月後になくなったんだよネエ。

元々それより4年ぐらい前に脳出血になって左が聞かない生活が続いていたんだけど、
それでも最初は懸命のリハビリをやって(まだ発症年齢が比較的若かった(60歳のとき発症)
から身の周りのこととか最低限の家事ができるぐらいまでに回復して、退院してからの2年間は
普通に(といっても不自由は多いんだけどね)元気に生活できていた。

ところが2年後の夏前ぐらいから腰の尋常じゃない痛みを訴えだして、診断の結果「脊椎カリエス」と
判明し、遠い遠い結核治療専門の病棟に長期入院。確か8ヶ月か9ヶ月入院していた。
この時に1度実は生死の境をさまよった。食したものを全て嘔吐して血圧が急降下。
それで最初駆けつけた時はもしかすると最悪の場合が普通にありえるといったことを主治医に告げられ呆然。
でも、この時は何とか一命はとりとめ、その後は喪失してしまった体の機能を回復させるために再度近くのリハビリ病棟に入院。

そして、去年の夏場にようやく家に帰ってきてさあ、これから、というときに、食欲の減退が顕著になってきた。
時折物凄い勢いで吐く姿を見るようになっていて、食事をさせた後「今日は吐かないかなあ・・・」とちょっと不安があった。

それで、12月の定期の通院のときに、突然最初にかかった脳外科の主治医に目に血が通ってない、すぐに入院しろ、
といわれ、そのまま入院。

そして検査の結果、末期の癌と診断。仕事前とかに見舞いを毎日のペースで兄と交替で続けた。
会話してる分には普通だった(そのときは)けど、起き上がったときにお腹をみると、しわがものすごくあって(これは医者に聞くと腹水によるものであるそうだ)、
ショックを受けた。
うちの母親はとかくおしゃべりが好きな人間だった。入院後も(本人がそう振舞っていただけなのかもしれないけど)
その前と変わらない口ぶりで俺らとか他の入院患者の人とも会話をしていたり、励まそうとしてたりしてるのをみて、
凄くつらかった・・・・(あの時の様子を思い出すと未だに目が潤んできてしまう・・・)。
仕事に行った後もどれだけ泣きながら仕事を続けたか分からない。

3週間後、「一応の処置として」胃の全摘手術を受け、一応様態も安定し年内はまだ普通に話しもできた。

だが、年明けになってから、血小板の数値が下がりICUに入ることになり、その辺りから衰弱が顕著になる。
そして、2月の中頃に肺炎を発症し、そのまま意識不明に陥り亡くなってしまった。