普通親死別で天涯孤独(兄弟無) 6
ID:DmNR7mT2
↑ちょっと何言ってるかわからないです。 少しぐらい「冒険」をしてみても良いのではないでしょうか?
「自由」も「冒険」も必ず「不安」を伴うものであり、決して気楽なものではありませんが、それでも、それまでに長い間感じてきたような「責任感の重圧」に比べれば、何ということはありません。
失敗しても失うものはそんなに大きくはありません。良くも悪くも、人生の最後が少しだけ波乱に満ちた(面白い)ものになるか、平凡で詰まらないままで終わってしまうかだけの違いです。
何が「冒険」なのか、何が「面白い」のかといえば、そこには「未知のものとの遭遇」があるからです。
これまでには言葉を交わすこともなかった人たちとの出会いもあるでしょうし、全く異なった「考え方」や「やり方」を知って、驚きながらも「なるほど」と納得することもあるでしょう。
こういう新しい体験の中で、これまでは気がつかなかった「自分」の別の側面に気がついたり、新しい「価値観」に目覚めたりすることもあるかもしれません。
人生の最後にこういうことがあるかもしれないと思えば、そのチャンスを見逃す手はないでしょう。 定年のおかげでこれまでの仕事に一区切りがついて、新しい仕事に挑戦することの利点は色々ありますが、まずは収入にあまりこだわらないで済むということでしょう。
それまでは、収入が減ると自分の何かが否定されたように感じて、がっかりしていたかもしれませんが、定年後は、ゼロだったかもしれない収入が多少はあるだけでも、少し嬉しく感じるでしょう。
その収入がかなりの額になれば、時折はこれまでは諦めていたような、ちょっとした贅沢を楽しむこともできるようになり、それが日本経済に大いに貢献することにもなります。
そして、もしかしたらそれ以上に大きい魅力は、「誰かと競い合わないでも良い」ことかもしれません。
会社勤めをしていると、同輩や後輩が受けている処遇と自分への処遇を比較して、何かと苛立つこともあるでしょうが、こういう感情と無縁になれることは、何とも素晴らしいことです。
大体において似たような境遇の人が周りに多かったサラリーマン時代とは異なり、全く違った仕事をしてみると、上も下も桁外れの人たちがうじゃうじゃいます。「え? 世の中の人ってこんなにバカばっかりなの?」と思うこともあるでしょうし、逆に、周りの人の幾人かの、あまりの能力の高さに舌を巻いて、恐れ入ることもあるかもしれません。 あまりに遠すぎる立地条件、あまりに古すぎる築年数でも
身寄りのない高齢者といった人はそれを甘受しなければならない住宅事情であることも事実です。
限界ニュータウンの立地の悪さを笑うことは簡単ですけど
そんな住宅難の社会的弱者として家を探して生きている人たちの選択や決断まで笑うことはできないなと個人的には思います。 なんのコピペか知らんが長文は読む気になれん
タイトルとリンクだけ貼ってくれ