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普通親死別で天涯孤独(兄弟無) 6

0001774号室の住人さん
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2024/02/13(火) 11:07:42.73ID:jaXV5JXU
普通の親元で育ち、親が亡くなり兄弟などの身寄りもない一人暮らしの方が対象です。
親・兄弟・子供以外の親戚(おじ/おば、いとこ等)はいても構いません。

家族はいるけど友達や恋人がなく孤独…という人は「天涯孤独」に該当しません。
ご注意ください。

また、毒親の元で育ち親と縁を切ったという人や、施設で育ち親兄弟の生死を知らない様な方は下記のスレへどうぞ

【親無】天涯孤独で実家がない人Part22【兄弟無】
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/homealone/1647419771/

また、次のようなスレもあります。

天涯孤独で友人皆無の人が人生を模索するスレ Part.2
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/homealone/1543933765/

特に、話題の制限はありませんが、sage進行でお願いします。
また、荒らしや煽りレスはスルーしてください。

次スレは>>970が宣言してから立てて下さい

前スレ
普通親死別で天涯孤独(兄弟無) 5
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/homealone/1567600312/
0002774号室の住人さん
垢版 |
2024/02/13(火) 11:08:24.69ID:jaXV5JXU
立てました
0003774号室の住人さん
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2024/02/13(火) 14:24:19.89ID:TAVyLi4P
>>1
新スレ乙です
前スレ最後はメンヘラでマジうざかった。天孤スレだからある程度は仕方ないとはいえ短期間で何回も似たようなこと書かれたら見ている方も参る。自分の個人SNSでやってくれ
0004774号室の住人さん
垢版 |
2024/02/13(火) 17:34:22.03ID:1ugev5YA
【永久保存版】55歳までにマジで知っておきたい10選!!!『50代でしなければならない55のこと』究極のまとめ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=gEA5tN04rl4
0005774号室の住人さん
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2024/02/13(火) 17:49:26.73ID:1ugev5YA
父の臨終に立ち会った際、周囲の大人たちに促されながら「さよなら」の一言を言えなかった経験が、中学生・高校生時代「人と挨拶するのが苦手」な性格に影響したと自己分析している。
父という大切な存在にもできなかった挨拶を他人にするわけにはいかないと思っていたのだ。
その因果関係に気づいたのは40歳を過ぎてからの通勤途中の地下鉄のホーム上であり、その後、地下鉄の中で涙しながら「そのとき初めて自分の中で父が死んだ」と自著で告白している
0007774号室の住人さん
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2024/02/13(火) 18:03:33.07ID:1ugev5YA
あなたがもし死んだとします。
死んでしまった後の世界はどうなるのか?
と考えてみるとわかりやすいかもしれません。

世界が自分の表象であるとするならば、自分が死んでしまった後は、表象である世界はなくなることになります。

普通に考えると違和感がありますよね。

しかし、こう考えてみてはどうでしょう。
私たちは自分を取り巻く【モノ自体】を直観して対象を生成している。
そして、その生成している根拠は自分自身の認識方法にある。
であれば、自分が認識している世界と、他者が認識している世界が同じであるかどうか?については判断することができません。

これは、クオリアの問題と近いですね。
極端に言えば、『私』が認識している世界は、私の認識においては他の誰でもない私だけの世界だと言えるのです。

ですから、仮にその根拠である私が死んでしまったら、当然それまで続いてきた認識はなくなり、
それと同時に『私が認識していた世界』は消えてなくなりますよね。

これを私の表象が消えた。といっても大きな違和感はないと思います。

このようにして、ショーペンハウアーはこの世界の【一方の側面】は表象であると考えたのです。
ここまではドイツ観念論と近い考え方です。
ちなみに彼は博士論文で『根拠の原理の4つの根について』という人間固有の認識方法についての研究を発表をしています。
このとき、若干25歳です。ガチの天才です。

そして、彼はここからさらに一歩踏み込んだ考え方をします。
私が死んでしまったとして、私が表象していた世界が消えてなくなる。のは分かったと。

では、本当に自分が死ぬと世界そのものが無になってしまうのか?
ここまでの話でもこれは考えられないわけですね。

そもそも表象を生み出していた大元のものがあったはずです。
そうです。いわゆるモノ自体です。

私たちはモノ自体を直感することで認識によって対象(表象)を生み出していたはずです。

であるならば、認識の後にある表象が消えたところで、その手前にあったモノ自体は消えないと考えるのが普通です。

カントはモノ自体を理解することはできないといいましたが、ショーペンハウアーはこれをなんとか理解しようとしました。

でも、モノ自体を認識することはできないのは間違いないので直接観測して何かを判断することはできません。

そこで彼は、表象の方に着目しました。
モノ自体が認識できないとしても、その現れである表象を観察しまくれば何かの共通点などが見つかるのではないか?
そこから逆算してモノ自体の本質に近づくことができるのではないか?
そのように考えたんですね。

そして、モノ自体は『意志』である。という結論にたどり着きます。
0008774号室の住人さん
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2024/02/13(火) 18:04:33.50ID:1ugev5YA
臨死体験をした人々

その結果、私は「寿命が来れば肉体は朽ち果てるが、霊魂は生き続ける。その意味で、人は死なない」という考えに至りました。
つまり、人間というのは肉体とエネルギー体、いわゆる「霊魂」に分かれているとしか思えなくなったのです。

このことをふまえて考えれば、不可思議な遺体も理解ができます。
本来ならとうに亡くなっていてもおかしくないような遺体と対面した時、私は「もうこの人は、肉体の中にいなかったのだ」と、理屈抜きに直感で感じることがありました。

それはつまり、死を目前にして霊魂が肉体から離れつつあったということではないでしょうか。

人が住まなくなった家はすぐに傷むと言います。
それと同様に、人の肉体は魂を宿すための「器」であり「入れ物」だから、魂が抜けかけた体はどんどんボロボロになってしまうのだと理解したのです。
0009774号室の住人さん
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2024/02/13(火) 18:04:40.51ID:1ugev5YA
一体、人の生死とは何なのでしょうか。

私はこれまで入院中の患者から臨死体験(本人は臨死体験と認識していない場合もある)を告白されたことが何度かあります。
また、臨死体験をした人の話を詳しく聞いたこともあります。
それを聞いた時、まさに人には霊魂が存在するという私の考えの裏付けになるものだと確信しました。

50代男性のAさんは、今から28年前、妹を乗せた車で事故を起こし、その直後に臨死体験をしました。
ふと気がつくとAさんは妹と2人、大破した自分の車を空中から見下ろしていたといいます。

すると隣にいた妹が突然、「お兄ちゃんは戻りなよ」と言い、その言葉を聞いた瞬間、Aさんは車の運転席に横たわったままの状態で目が覚めたそうです。
「戻りなよ」と言った妹は即死状態でした。

現場検証した警察官からAさんが聞いた現場状況は、臨死体験中に見た光景そのままだったそうです。
0010774号室の住人さん
垢版 |
2024/02/13(火) 18:04:56.66ID:1ugev5YA
また、私は知人の医師から興味深い話を聞いたことがあります。

彼は担当する患者から夢で別れを告げられることがあるというのです。それも、一度や二度ではなく、数年の間に何度もそうした夢を見たという。

こうした夢は正夢だったということが多く、その場合、患者が彼に別れを告げた時間と、病院で息を引き取った時間がほぼ一致していたそうです。
別に彼に限ったことではなく、担当していた患者が夢枕に立ってお別れを言われたという経験をした医療関係者は、他にも何人もいます。

これは一般的に「予知夢」と呼ばれるものですが、私はこうした現象は、霊魂が生きている人の意識と繋がることができる、という事実を示していると思います。

つまり、人は亡くなると肉体という枷が外れ、霊魂は自由になり、他者の意識にも共鳴できるようになるのではないでしょうか。
0011774号室の住人さん
垢版 |
2024/02/13(火) 18:05:14.15ID:1ugev5YA
死の間際、人は何を見るのか

このような臨死体験については、
「単なる脳内現象に過ぎない」と否定する向きもあるようですが、実は臨死体験の中には「臨死共有体験」というものが幾つも報告されています。

ある方が亡くなりかけていて、ご家族が臨終を看取ろうと周りに集まっている。その時、患者が見ている「あの世からのお迎えの光景」を家族の人たちも同時に見てしまうというものです。
これは、西洋では既に認知されている現象です。
科学的検証こそできていませんが、患者本人ではない第三者までもが同じ体験をするのですから、「脳内現象」というよりは、意識(霊魂)の同調を起こしていると考えるのが自然です。

人間には霊魂がある、と言うと理解できない人がいることは百も承知です。
しかし、これは過去に多くの患者を看取ってきた私の偽らざる実感なのです。

また、霊感が強い人は、死ぬ直前の人間の体から何かが抜け出していく、言い換えれば「見えない体」が肉体から出ていくのが分かるといいます。
患者の臨終に何度も立ち会った私も、それは分かるような気がします。

言葉ではなかなか説明しにくいのですが、いわば肉体から何かが「外れかけている」感覚があるのです。
早い方だと、亡くなる3日ぐらい前から少しずつ外れていき、遅い患者さんでも臨終の直前に外れるそうです。私はそれを、いわゆるあの世からの「お迎え」が来たのだと捉えています。
0012774号室の住人さん
垢版 |
2024/02/13(火) 18:05:28.10ID:1ugev5YA
また、こうした「お迎え現象」の一つに、患者の顔の変化があります。
死の数日前になると多くの末期患者の顔が、なぜかほころぶことがあります。
2~3日前から亡くなる直前の間、患者は周囲のことにすっかり無関心になり、いよいよ最期の時を迎える瞬間、まるで別の世界にいるような感じで、顔がほころぶのです。

よく観察すると、その表情は「えっ」と何かに軽く驚いているようにも見受けられます。
残念ながら患者の全員が亡くなってしまうので、彼らがなぜ顔をほころばせ、何に対して驚いたのかは確認できません。
でも、私にはあの世から来た「お迎え」に患者たちが反応しているように思えてならないのです。

私の考えをバカバカしいと全否定する人もいるでしょう。しかし、現在、我々人間が解明できている「世界」はごく一部でしかありません。

この世界には我々の理解を超えた現象はいくらでもある。
言ってみれば、人間は巨大なゾウの体の上を這い回っているアリに過ぎません。
アリがいくらゾウの体を探検したり、研究をしたところで、結局、それはミクロな発見でしかありません。マクロなゾウの全体像は、アリの能力では決してつかみきれない。それと同じことなんです。

では、「死」によって肉体から解き放たれた霊魂はどこへ行くのでしょうか。
私は、霊魂が向かう先は我々とは別の次元の意識世界、いわゆる「あの世」であると考えています。
0013774号室の住人さん
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2024/02/13(火) 18:05:42.90ID:1ugev5YA
死後の世界として、古来から天国や地獄などの概念がありますが、
私が考えるところ、「あの世」は決して悪いところではなさそうです。

なぜなら、臨死体験をして死後の世界を垣間見てきた人は、その後死を恐れなくなるようなのです。
臨死状態に陥った人は、その間、安らぎや解放感を覚えたり、強烈な光を感じたりするようですが、いずれも不快な現象ではありません。
そのため、「死は、ただただ恐ろしいものではないのかも」という安心感が芽生えるのです。

しかも、「あの世」に行った霊魂は「現世」と完全に断絶してしまうわけでもありません。

これは私事になりますが、私はかつて亡くなった母の霊と会話する貴重な体験をしています。
私の母は'07年、独居先のアパートで亡くなったのですが、その2年後、強い霊能力を持つ知人女性のBさんから「お母様があなたと話したがっている」という連絡をもらい、迷った末にBさんを霊媒として、母と交信を試みたのです。

結果からいうと、母との交信は圧倒的な体験でした。
様々な会話を交わしながら、私は確かに目の前に母がいるのだと感じざるを得ませんでした。
以来、私はあの世は決して遠い場所ではないのだと感じるようになりました。
0014774号室の住人さん
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2024/02/13(火) 18:05:59.83ID:1ugev5YA
魂は永遠に生き続ける

では「現世」と「死後の世界」はどのような関係にあるのでしょうか。

私なりの考えでいうと、我々の生きている世界はいわば競技場のようなものです。
私たちはこの競技場の中で、人生という苦しい競技に参加し、お互い競い合っているわけです。

その中で、「あの世」はいわば競技場の観客席です。
観客席と競技場の間にはマジックミラーがあって、こちらから向こうは見えないが、向こうから私たちの様子を見ることはできる。
やがて競技が終わると、つまり肉体的に死ぬと、私たちは霊魂となって観客席へと移るのです。
そして、もう少し競技をしたいと思う人は、競技場の中に戻るように、再びこの世に生まれ変わることができるのだと考えています。

そこで、「人には霊魂がある」という考え方を受け入れたらどうでしょう。
「人は必ず死ぬのは確かだけれど、人間にとって死は終わりではなく、魂は永遠に生き続ける」……。

この考え方は、現代人にとって大きな救いとなるのではないでしょうか。

また、「魂は死なない」というイメージがインプットされれば、この世では自分は理不尽な人生を送っていたけれど、悠久の生の中でみれば、そうした理不尽さという意識を解消することもできるだろう、という視点に立つことができます。
そうすれば、死を無意味に恐れることもなくなることでしょう。

繰り返しますが、私は長いこと救急医療の現場にいて、様々な死を目の当たりにし、嘆き悲しむご遺族の姿を見てきました。

しかし、死後も霊魂は消滅しないという考え方に立てば、亡くなった人はなんらかの自分の役割を終え、あの世で幸せに暮らしており、中には次の転生に備えている人もいることになる。
この考え方に立ったほうが、遺族を含め、多くの人がより幸せになるのではないでしょうか。

日本人は古来より、霊的感覚に鋭敏な民族と言われてきました。
このような時代だからこそ、私たちは魂の大切さについて理解を深めるべきだと思います。
そうなってこそ、我々は本当の意味で、心の豊かさを掴むことができるのではないでしょうか。
0016774号室の住人さん
垢版 |
2024/02/13(火) 18:06:55.04ID:1ugev5YA
ショーペンハウアーは著書『意志と表象としての世界』にて
世界は人間の意志と表象であると言いました

ちなみに本著が出版されたのは彼が25歳のときです。
ガチの天才です。


表象である。の方に関しては前回の動画で解説させていただきました。
彼は世界の表象を徹底的に観察することによって、
その裏で蠢く【モノ自体】の本質を探ろうとしました。

そして、世界のあらゆる表象は絶え間ない努力を続けていることに気づきます。
しかも、その努力の目的は【生きること】に終始していると。

このことから、ショーペンハウアーは
『モノ自体とは【生への盲目的な意志】ではないか』
と考えるのです。
0017774号室の住人さん
垢版 |
2024/02/13(火) 18:07:19.98ID:1ugev5YA
この意志があらゆる生命現象と物理現象の背後で働いて
物質においてはそれが客体化されていると言ったのです。


例えば、性器はそのまま生を繋ぐための意志の客体化ですし、心臓は生きるために血液を循環させるという意志の客体化であると考えられます。


つまり、カントがいう【モノ自体】とは【意志】のことであり、その意志が表象として現れたものを我々は世界として認識している。
そのように主張したわけです。


さらに、その意志が表象として私たちの前に姿を表す際には段階がある。とも言いました。

ショーペンハウアーはこの段階を【イデア】として表現しましたが、これはプラトンの主張するイデアとは少し違った意味なので
混同しないようにしましょう。
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