年収400〜500万円の一人暮らし事情を語りましょう その8
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>>657
中古をリフォームしないと1LDKでそんな贅沢な間取りは無いのが難点だね
19畳分のスペースがあったら2LDKになる
55平米3LDKなんてのもある >>660
在宅サラリーマン生活を満喫してるよ
この板でも1、2を争うサボリーマンのはず 細かく部屋仕切っても一人暮らしだからな
やっぱり大部屋をパーティションで区切るのが一番経済的なのは同意 連投の奴は社畜ざまあ、という趣旨なんだろうが、空回りしてるわな。
書けば書くほど在宅者には憐れみを感じる。
情報や書き物は電送できるけれども、物体は電送できんから
リモートワークにならず職にアブれることもないという確信がある。 そもそもリモートでサボってるのが別に羨ましくもなんともないしね 「健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、『理想の自分』との比較から生まれるものです。」
ほかの人との比較ではなく、理想の自分と比較しましょう。
わたしたちは年齢や性別、経験、文化、考え方、外見など、みんなちがっています。
けれども、「『同じではないけれど対等』なのです。」
「いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるのです。」
いろいろと言い訳をしても現実は変わりません。
大切なのは、自分の不完全さを認める勇気を持ちながら、行動していくことなのです。 俺は年収400万だった2010年(35歳)の時に預金が600万しか貯まってないのに
無理して5年落ちのゼロクラウンを220万で買ったがために貯金が目減りし
46歳になった今も1950万しか貯まっておらず老後に不安を感じている
年収は450万しかありませんから支払額400万を超える新車には手が出せません
貯金も年齢の2乗万円に150万ほど届いてない状態ですからそこから取り崩して足すわけにもいきませんし
とてもじゃないけど買えませんね
ええ貧困層ですよ
あと5年はクラウンに乗り継いでいきますよ
メールで送られてきたPDFを印刷して判子押して、封筒に入れてポストに入れにいくか自宅集配を待つだけ
頭が悪いからこんな簡単な実働2時間もかからない仕事しかできなくて貧乏なんですwww
皆さんは毎朝パリッとしたスーツ着てヒトモノカネが集まる都会の満員電車に乗って高層オフィスビルに勤めて夜遅くまで頑張っていて素晴らしいですね お前ら悲しいなあ…
自分が圧倒的に無能だからって
サボリーマンが自己負担1.2万の2LDK(13畳6畳6畳)で暮らしてる俺のようなのがいるっていう現実を認められない典型的反応
自己防衛反応で嘘だ妄想だと強がる姿は惨めだよ、
実はうっすら気づいてるだろ?そういう本質に
認められないのは心が弱く自分に出来ると思えない無能だからってさ
俺が一番問題と思うのはお前らのその強がりね
羨ましい〜スゲ〜と素直に言えない極まった偏屈ぶり
卵が先か鶏が先か分からないが、そんなんだから人生を掴めず無能なままって事なわけ がっつりこの年収帯だが地方転勤、家賃補助、親からの車の譲渡等があるのでなんやかんや満足してる 本当の自由とは、他者から好かれてもいい、嫌われてもいい、
尊敬されてもいい、バカにされてもいい、
怒られてもいい、笑われてもいい、ホメられてもいい。
「他者にどう評価されようが私は一向に構わない」
この姿勢が人間関係の本当の自由です。 共感からは何も生まれない
最悪なのは、同じレベルの人同士で慰め合いになっているパターンである。
お互いのグチを聞いてもらうという行為には「自分達は頑張っているよね!」と共感し合いたいという心理が背景にある。
確かに「共感」は人間にとって心地いいものであり、ストレスの解消にはなるかもしれない。
だが「共感」から新しい考えが生まれてきたり、チャレンジ精神が湧き出てくるようなことはほとんどないのが現実なのだ。 憧れて上をみるのか妬んでで上を見てるのか?どっちにしても下がいるから成り立つことで、上から見たら・・・・同じように思われてるよ?まずは他人をしっかりと見てみたら? すでに多くの人が感じているように、5chでの短文のやり取りやSNSでの「いいね」ではインスタントな共感しか生まれません
共感はコンフォートゾーンであり、あまりストレスを感じないかも知れませんが
共感からは何も生まれないのです
自分よりもレベルが高い人、自分にはないものを持っている人を友達にするとなると、該当者はかなり少なくなるはずだ。
向上していく人間というのは、このような結果として、付き合う友達の数が減ってくることになる。
「ブレインストーミング」というのをやりますが、あれはただ素人が集まって言いたいことを言うだけの浮ついた話です。
ブレインストーミングというのは要するに「責任を持たない」ということであって、人間の生き方を問うわけではない。
それでは何も起こりません。形式化してしまうだけです。 この年収帯で地方ならむしろかなり良いね、車の譲渡とかも良いなぁ
うちの実家はきちんと乗り潰すまで乗るから貰えないw 奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。
どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。
そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。
そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。
過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。
彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、奴隷になっても決してその精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。
その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、あるいは反乱を起こして、
労働に鍛え抜かれた肉体によって、肥え太った主人を血祭りにあげた。
現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。
それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。 人々はその幸福、すなわち、人生の究極目標を快楽ではなく知的探求に求めるべく変わるべきだろう。
なぜなら、強い快楽を得るためには多くのお金が必要であるわけだが、
世界の真の為政者たちは低層階級の人々へ回るお金を出来るだけ少なくしようとしている。
それ故、低層階級の人々は低劣で質の低い快楽しか享受できず
(ビールではなく発泡酒だとか、レストランではなくファストフードだとか、恋人ではなくデリヘルだとか、車だとかパチンコだとか)
このような愚劣な快楽を追い求めるために身体を犠牲にしてまで必死に働くというのは馬鹿げているからである。
しかしながら、人生の究極目標を知的探求に求めるならば、それを行うのに大したお金もかからず、人々に真の美を得させてくれる
しかも人々を崇高かつ優れた人間にし、さらに理性も鍛え、くだらない嫉妬や妬みなどからも解放してくれる
とはいえ、このような逆境に屈することなく、真に自由主義、民主主義、自尊心の保持を希求しようとする者は、
持ち得る限りの知恵を用いて自給自足経済の確立を目指し(最新の技術を取り入れ、都市生活とそん色ない形での自給自足)、
かつ、周囲の人々を善導し、資本主義の利権による従属関係を断ち切らなければならない。 こういう所でダラダラ書くのは そのほうがいろんな事に思いが至るからだ
それだけ枝葉末節が伸びているわけで
根拠はとくにないが個人的には、そのほうがネタ帳が太りやすい
つまりアイデアが思いつきやすいと思っている
これをシェイプアップすることはできるよ
大体長文なんてはっきり言って誰のものでも
最後の行だけ残してあと全部切ればそれで話は十分通じる
だけどそれだと自分の思考が伸びないし
他人のレスも少なくなってしまって思索が広がらないんだよ
これってなんで他人はわからないのかな
まあ脳のつくりが違うんだろう
別にいいけどね 私は日本の都会の通勤時間帯の電車が嫌いである。ただし単純な混雑だけが理由ではない。
胃が悪いらしき病的な口臭やストレス臭を漂わせた人や、生気に欠けた暗い目をした人が極端に多く、
不吉かつ異様な雰囲気が充満しているからだ。
海外から帰国したり地方から上京した直後にこの手の電車に乗り、
「スーツを着たゾンビ」さながらの集団を目にすると、生命エネルギーをゴリゴリと削られるような錯覚すら覚える。
しかも、彼らがそんな姿になってまで通勤した先では、しばしば長時間労働やパワハラ、理不尽な顧客のクレームが待っている。
たとえ労働者が主観的には「がんばって」いても、日本人の労働生産性は先進7カ国のうちで最低だ。
多くの人は退屈で非効率的な行為を、「仕事」であると必死で思い込もうとしているにすぎない。
得られる年収は400〜500万円かそれ以下という人も少なくない。
労働市場の流動性は低く、健康を害するなどして一度ドロップアウトすると、以前と同様の水準の仕事に復帰することは難しい。
なので女性の結婚や出産も簡単ではない。
日本の保育環境のもとでは妻側が出産後に退職や非正規労働への転落を余儀なくされる場合も多く、生活は苦しくなる。
それでも社会の未来に期待を持てるならいいが、高齢化は加速度的に進んでおり、
現時点ですら現役世代約2人で65歳以上の老人1人を支える計算だ。
現役世代がストレスフルで非効率的な労働を通じて稼いだわずかなカネは、
未来の日本を素晴らしいものにするためではなく、老人を養うために注ぎ込まれていく。
これが、平成の失われた30年間に進行した悲しい現実である。
そんなことを考えていると、15年前に登場したある名言に圧倒的な説得力を感じてしまうのだ。
それはすなわち――。
「働いたら負けかなと思ってる」 ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
/": : : : : : : : \
/-─-,,,_: : : : : : : : :\
/ '''-,,,: : : : : : : :i
/、 /: : : : : : : : i ________
r-、 ,,,,,,,,,,、 /: : : : : : : : : :i /
L_, , 、 \: : : : : : : : :i / 働いたら
/●) (●> |: :__,=-、: / < 負けかなと思ってる
l イ '- |:/ tbノノ \
l ,`-=-'\ `l ι';/ \ ニート(24・男性)
ヽトェ-ェェ-:) -r'  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヾ=-' / /
____ヽ::::... / ::::|
/ ̄ ::::::::::::::l `──'''' :::| 毎日、誰が一番最初に退社するかの我慢比べ
それが出勤正社員の悲しい現実
もちろん最初に帰ったやつや土曜日に休んでいたやつの机の上には次の朝どっさり仕事が積まれている
積む側にまわるか積まれる側にまわるかのせめぎ合いwww 世の中、性格の悪い人間が言うことはだいたい真実なんだよ
世の中、頭の悪い人間が言うことはだいたいデタラメなんだよ ここ50年ほどの間、とりわけ1990年代から2010年代にかけて、主に米国や英国で支持されてきたのはミルトン・フリードマンによる新自由主義であり、
それが世界経済の主流パラダイムとなりました。
ひと言で言えば、収益の増加をもたらすことだけが企業の社会的責任であるといった考え方です。
私は一貫してこの考え方に反対してきました。
なぜなら、それ以外の多くの重要な課題が脇へ追いやられてしまうからです。 むしろこんな連投を毎日シコシコやってる人生とかあまりに悲惨すぎるわ アドラー心理学では、すべての悩みは人間関係の悩みであると考えています。
その悩みは、ほかの人が解決するハズの課題に自分が足を踏み入れること、
あるいは、自分が解決するハズの課題にほかの人が踏み込んでくること、によって引き起こされます。 アンチは歴史に学んだ
アンチが年収スレを支配して回ることに成功したのは、長文を重んじることを教訓とした集団であったからだ。
彼らは、5ch蹂躙に乗り出すまでに、膨大な過去ログを記録、整理、改編し、長文コピペとしてまとめる作業を十年以上かけて行い、智慧をひたすら蓄え続けてきた。
彼らに侵略された賃貸板やリーマン板、転職板や一人暮らし板の土着の人々が、自分たちの狭い経験や浅い知識をもとにアンチに対抗したのに対して、
アンチは古代ギリシャの労働奴隷から現代の社畜までの歴史を学び、16世紀の宗教革命、18世紀のアメリカンドリーム、19世紀の産業革命など転換点となった労働環境の歴史や成り立ちに加え
各国の労働観の変遷をも学び、さらに、労働の分野だけでなく工学、教育学、哲学、論理学、文学、統計学、経済学までに知見を広げ
それをコピペ作成や改編の技術に当てはめ社会を類推し、各スレを効果的に分断統治し、板の半分を支配することに成功した。 >>688
俺が居座り始めて数か月までのスレではそういうの貼る奴がいつも現れれるんだよな
半年もすると誰も貼らなくなる
どこでもそう
お前もそうなる NGアピールするってまだまだケツが青い証拠
NGアピールって、要は耳塞ぎながら「あーもーなんも聞こえない」
とでかい声で言ってる小学生と同じやねん。
論破する力もなければ、黙って敗走するのも嫌やから、他人に助けてもらいたくて仕方ないねん。
母親に気づいて欲しいから、わざと気づいてもらうようにアピールする子供と一緒やねん。
どうしようもないで。 172 名前:774号室の住人さん[] 2021/09/12(日) 16:01:41.36 ID:y6y/L505
長文を読みたくないひとはこれで
NGEX
30文字以上あぼーん用正規表現
^.{0,30}$ =================================================
政治経済 [株式] インデックスファンド part496
=================================================
791 名前:山師さん (ワッチョイ 3710-AM82)[sage] 2021/12/31(金) 11:12:04.88 ID:mlYDMQqe0
>>163-164
NGEX
30文字以上あぼーん用正規表現
^.{0,30}$ (?s:^.{10})
これNGワード(正規表現)に入れたら10行以上の長文コピペ消える
NGIDとも連動しておけばいいだけ 事の始まりは
長文を毛嫌いして何度も文句を言ってるやつが原因だからな
長文派が短文やめろとは言っていない
長文派は短文やめろと「求めていない」のに
長文書くなと「求めている」のが短文派
ワザワザNGのやり方までレクチャーしてあげてるのに
どっちが自己中かわかるだろ 俺がほぼテレワークでさぼりながら450万もらえるのも
お前らが400万や500万の給料であくせく働いてくれてるからだよ
日本という国は、特権階級の人たちが、楽しく、幸せに暮らせるように、
あなたたち凡人が、安い給料で汗かいて働き、高い税金を払うことで、成り立っているんです。
そういう特権階級の俺たちが、あなたたちに何を望んでいるか知ってる?
今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。
世の中のしくみや、不公平なんかに気づかず、
テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら、上司の言うことを大人しく聞いて、
戦争が始まったら、真っ先に危険な所に行って戦ってくればいいの。 資本主義は騙すことで利益を最大化させる。
だからこの国は正しい生き方なんて誰も教えない。絶対に。
逆に間違った生き方を提示してくるだろう。
そして正しい生き方をしている者たちを笑い者にしようとするだろう 100 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で:2019/08/15(木) 12:30:20.82 ID:c/V9+0JA
無言でスルー ←普通
NG宣言してからスルー ←小者
NGしたことを何回もアピール ←顔真っ赤
NG宣言した後も絡み続ける ←病気 人間は古来、営々と労働してきました。「労働」というものをどうとらえるか。これは人により、国により、時代によりさまざまです。労働は当初、生命維持のためにやらねばならない苦役という否定的な見方が主流でした。時代が進むにつれ、骨折りとしての労働は次第に多様なとらえ方をされはじめます。
◆古代ギリシャ〜労働は奴隷が行う苦役
古代ギリシャのポリス(都市国家)では、食物を作る農耕作業はじめ労働は奴隷が行います。その労働は自然に支配され、身体を酷使し、人間の生理的な欲求を満たすだけの目的であることから軽蔑されました。
また、奴隷とともに、生活用具を作る職人やそれを売買する商人も否定的なまなざしで見られました。 古代・中世のキリスト教世界〜神は労働を罰として課した
キリスト教において労働はまず、聖書の一節「お前は顔に汗を流してパンを得る。土に帰るときまで」(「創世記」第3章)がベースにあります。神に背いて木の実を食べてしまったアダム。そのとき以来、人間には罰として労働が課せられたのでした。
しかし、罰という否定的な烙印を押された労働も、一方では人間の怠惰を防ぐ営みとして肯定的にとらえられる部分もありました。それは使徒パウロの新約聖書の言葉「働きたくない者は、食べてはならない」に表れています。
そしてアウグスティヌス(354-430年)やベネディクト(480-550年ころ)の時代になると、労働は修道制度の中に組み込まれていきます。そして中世の時代、労働は祈りや冥想とともに重要な行いのひとつになったのでした。 近世のキリスト教世界〜労働を通して神の偉大さを証明する
16世紀、ルターの宗教改革によって、教会や司祭は否定され、個々の信徒は神と直接向き合うようになりました。信徒たちは魂の救済の確証を仕事に求めます。
与えられた仕事にできるかぎり励むことを宗教的使命ととらえていく流れができてきます。これが「vocation」(召命:しょうめい)、「calling」(天職)という概念の起こりです。どちらも「(神の)呼ぶ声」という意味合いです。
さらには、禁欲と勤勉な労働によってもたらされる富の増大をも積極的に肯定する考え方がプロテスタント(特にカルヴァン派)の中から盛り上がりをみせます。ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーが、資本主義の精神の萌芽がこのあたりにあると考察したことは有名です。かつては祈りのもとに労働があったものが、その重心は次第に入れ替わり、「働け・成功せよ、かつ祈れ」となっていく時代です。 近代[1]〜職業倫理の世俗化が進む
フランス革命(1789年)をはじめとする市民革命により、人びとは政治的平等や経済的自由を手にします。そこでは職業倫理が宗教から切り離され、労働の意義づけが一気に世俗化していきます。
個々の人間にとって、もはや仕事・事業は成功者になるための手段としておおいに称揚されるものとなります。特に希望の新大陸アメリカでは、「アメリカン・ドリーム」という立身出世の概念が人びとを経済的成功へと駆り立てました。 近代[2]〜工場労働者の人間疎外問題
また、産業革命による大量生産技術と勃興する資本主義とが結びついて、一方に少数の資本家、他方に多数の賃金労働者が生まれたのも近代の特徴です。封建制度から解放された市民の多くは企業に雇われ、工場で働くことで生活を維持する存在になりました。
資本家から搾取され、機械のリズムに合わせて単調に反復する労働は、人間の疎外化をまねいているのではないか。労働に対する、新しい否定的な見方が社会全体に広がってくるのでした。
そんなころ、労働価値説を唱えたのがアダム・スミス(1723-1790年)です。スミスは国家の富の源泉は、貿易によって得た金銀などの財貨ではなく、国民の労働であると考えました。「労働を尺度にした価格こそが真の価格であり、通貨を尺度にした価格は名目上の価格にすぎない」(『国富論』)。
こうした労働価値説に大きく影響を受けたのが、カール・マルクス(1818-1883年)です。彼は、疎外化された労働や資本主義を超克した先に共産主義社会が現われるという一大理論を書き上げることになります。
またこの時代、手工業職人らの間では、ものづくりを一つの道として、製造物を作品として高めようとする精神が次第に醸成されていきます。
産業革命によって安価で粗悪な日用品が大量に製造される中、イギリスの工芸家ウィリアム・モリス(1834-1896年)は、芸術と工芸を融合させる「アーツ・アンド・クラフツ運動」を主導しました。
モリスは『ユートピアだより』の中で「仕事そのものの中に自覚された感覚的な喜びがあるからです。つまり、芸術家として仕事をしているのですね」と書いています。職人の仕事はもはや苦役的な〈labor:労働〉などではなく、自負を伴った〈work:作品づくり〉であることを主張しています。 現代〜多様化する個々の労働観
第二次世界大戦後の先進諸国において、労働者の多くは、企業や官庁など組織に雇われるサラリーパーソンになっていきます。
彼らの就労意識は、「悪くない給料とまずまずの年金、そして自分と限りなくよく似た人達の住む快適な地域社会に、そこそこの家を与えてくれる仕事に就こうとする」(ウィリアム・H. ホワイト『組織の中の人間−オーガニゼーション・マン』1956年)ものとなります。
「生業としてのサラリーパーソン」をまっとうするために必要なことは、組織から言い渡される大小の無理難題を忍耐強くこなし、担当業務に勤勉であること。戦後の日本もこの会社員の勤勉さによって支えられてきました。
ところが今日では、仕事が自己実現や社会貢献の機会であってほしいと願う人たちが増えています。それは忠誠心の向け先が組織から、仕事そのものへ変わってきたともいえます。こうした流れにあって組織は、従業員に対し、いかにやりがいのある仕事や有意義な仕事動機を与えられるかが重要な課題となってきています。
とはいえ、組織側が働き手を酷使する流れも依然としてあります。不当な低賃金、悪質な労働環境で従業員を働かせるいわゆる「ブラック企業」の存在は、いまも頻繁にメディアで報じられています。現代版『蟹工船』物語と言っていいかもしれません。また、企業に勤める従業員が、みずからを「社畜」と呼ぶこともあります。組織の都合のいいように飼い慣らされた自分を自嘲的に揶揄する言葉です。その意味では、古代から延々と続く苦役としての労働の姿がいまだそこにあります。 ポスト現代〜食うための労働から解放されても人は働くか?
これから先、人びとの労働観はどう変わっていくでしょうか。社会生活を支える3K(汚い・きつい・危険)的な労働が世の中からなくならないとすれば、低賃金で働かされる「苦役としての労働」もなくならないのでしょうか。
もし、ある国がベーシックインカム制度を導入して、全国民に最低限度の収入保障を与えるようにすれば、人びとはいわゆる「食うための仕事」から解放され、自己実現や社会貢献につながる仕事に勤しむようになるでしょうか。あるいは、いっそ働くこと自体をやめてしまうでしょうか。
ちなみにこの問いに対し、マルクスは共産主義による理想国家が実現した暁には、人びとはもはや一つの分業に縛られない状態を想像しました。つまり、朝には狩りをして、昼過ぎには魚を獲り、夕方には家畜を飼い、食後には批評をする生活の可能性です。「能力に応じて働き、必要に応じて取る」という社会がそこにはあります。
ところがイギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズは少し違った想像をしたようです。彼は1930年に書いた「孫の世代の経済的可能性」の中で、これから100年後には食うために働くという経済的な問題は解決され、人類は初めて、その自由になった状態をいかに使うかという問題に向き合うだろうと予測しています。 100年前のケインズの予言:働かないことに耐えられるのは少数
そしてこう書いています───「経済的な必要から自由になったとき、豊かさを楽しむことができるのは、生活を楽しむ術を維持し洗練させて、完璧に近づけていく人、そして、生活の手段にすぎないものに自分を売りわたさない人だろう」。
しかしこういった人は世の中にごくわずかであり、大多数は目的を喪失し、暇を持て余してノイローゼになってしまうと想像しています。
そのためケインズは、皆で仕事を分け合って、1日3時間、週15時間働くようにすれば、問題の解決をとりあえず先延ばしできるとも書いています。現在で言うワークシェアリングの発想です。 趣味やゲームで食っていくという労働観がごく普通になる?
さて今後、社会の高齢化が進み、リタイヤする人たちが増えていきます。年金で十分に生活ができる彼らの中でも、まだ働き続けたいと思う人が多く出てくるでしょう。それは誰しもなんらかの形で社会に帰属し、世の中と交流したいと欲するからです。ボランティア活動含め「社会参加としての仕事」は今後ますます広がってくると思われます。
また、「趣味としての仕事」「ゲームとしての仕事」がまったく普通の労働観になるかもしれません。
いまや動画サイトに趣味的な映像を制作公開して金を稼ぎ出す人、趣味的な物品を買い付けて通信販売する人、1日中パソコン画面上の取引数値を見つめ、ゲーム感覚で株や外貨をトレードする人……そんな活動で人生を送っている人たちが増えています。手軽で安価なテクノロジーが普及することにより、今後はだれもが遊びを職業化できるチャンスを持てるようになりました。会社員が副業/複業として、遊び感覚の仕事を持つケースも増えてくるでしょう。 50代もしくは40代後半ならもう正社員じゃなくてもいいやって思っている自分ですが
皆さんもそんな感じですか?
ジョブ型雇用の今の時代で正社員のメリットってあまりない気がします。
退職金なんて勤続10年でも100程度なのではないでしょうか?
だったら無理して正規社員狙わなくてもいいのかなって精神的にも楽になりました。
昔と違って正社員メリットがなくなってるからな
ベースアップ、年功序列、終身雇用、退職金、が有形無実化したのに
サービス残業や全国転勤はなくならない
しかも正社員の前に非正規が先に切られるってのがこれまで一般的だったのだが
ここにきて40代の正社員高給取りが真っ先にリストラされ
30-40代の契約、派遣を採用して穴埋めしてる会社が増えてきている
昨今の「人手不足」とか言ってるのはその穴埋め人材が集まりにくいことを指している >>俺が居座り始め
>>どこでも
スレ跨いでるってことか。つまりこの収入帯では無いとw 確かにうちも早期退職募って代わりに業務委託入ってきてる
当たり前だけど契約に書かれてる業務しかやらないから残された社員に全て皺寄せきてるから
正直派遣や業務委託のがいいなあと思ってみてる マイホームのローン(築浅中古がいい)を終えたら正社員の身分は用なしですよw カップラーメンやインスタントラーメンなんて1年以上食ってない 会社がブラックで、しかも債務超過になってる
転職したいけど、今はコロナの影響で厳しいよな
母親も病気抱えてるし、どうしようか悩む 転職大変だもんな。なかなかスキルが無いと採用されないし、年齢いってるなら尚更。 ストレス社会なのに病原菌落ち着くまで無職でいいだろ?蓄えないの?生き残った会社、立ち上がる会社にいけばいいんじゃないの? 給料以外にも投資などで稼いで2000万ほど貯めていれば
職場環境が悪くなったり理不尽な異動などで困ってもサクッと見切りをつけて
仕事を辞めたり選り好みしながら資格取ったり、グダグダ数年遊んで食っていけるんだよ
そうじゃない奴らが食うに困って不景気で買い手市場なのにブラック企業に面接に逝って
足下見られて買い叩かれて奴隷労働に追いやられるんだよ
お前らのことだよ 俺の場合、年金貰うまでのどこかで10年ほど無職しても逃げ切れる計算だからな 20年間一人暮らし&車維持&5年無職
これでも2000万貯まったからな ID:6RW6Jnbq
細切れに連投する意図を教えて 資本主義社会では広告まみれの世界。誘惑に負けるな。
余分な消費を抑え、モノは長く大事に使う。
借金はしない。
不動産屋、大家、建設業界、銀行、家電業界等に余分な金を落とさない。
人間を奴隷かモノの如く扱う、偽装工作をするなど、
モラルが著しく欠落している企業、団体等には金を落とさない。
酒、タバコ、ギャンブルはやらない。
金のかかる娯楽、趣味は持たない。
勝ち組、異性に金を落とさない。
結婚はしない。結婚しても子供は作らない。
子供一人を大学に出すまで約四千万円の出費。
友人は極力持たない。無駄な飲み会やコンパの誘いは浪費の元。
冠婚葬祭に金をかけない。腐敗した宗教観に搾取されないように。
宗教は個人的な範疇ならば信仰して良いが、宗教団体には一切金を落とさない。
テレビや大衆雑誌は見ない。新聞や本は立ち読みか図書館で済ます。
常識や流行など、常にあらゆるものを疑う視点を持つ。
社会の仕組みを勉強し、支配者層の思惑に乗らない。
あらゆる出来事に対して無関心、傍観者的立場を貫け。
受け取る報酬以上の仕事はしない。
度を超えた真面目、努力、忍耐、従属、お人良しは美徳ではない。
組織や個人に忠誠を誓わない。
生活と人生を混同しない。
人に期待しない。世間に求めない。夢は見ない。希望は持たない。
非金銭的、非物質的な幸福観を追求しましょう。 人より少し早くこれに気づき、頑張り方を変えただけです。
これを学校や社会では教えてくれません。
もしかしたら先生すら知らないから盲目的に時給労働を選択してしまうんですよね。
なぜ教えないかというと、国が社畜を欲しがっているからでしょう。
しっかり努力をしてラクに稼げる方法はあります。
頑張った先にラクになるかどうかが選択の問題です。
コツコツ努力をして労働を卒業し、やりたいことだけをやる人生を獲得しましょう。
とりあえず、楽観主義は辞めましょう。
楽観的に考えて行動していると、何かあったときに怖いんですよ。
なので、「最初からコロナ危機は3-5年続くんだ」と考えて、行動した方が健康的です。
悲観論を語ると、すぐ煽るなって言われるんですが……、人類が生き残るためには常に最悪を想定するのは大事だと思っています。
悲観的な考えを持ちながら、希望を持つこともできるわけです。これがストックデールの逆説ですね。
別に拷問されているわけではないので、のんびり楽しくコツコツ淡々と頑張るのみ。
日本人の2人に1人はただ働くだけで、スキルアップも勉強もしていません。
職場と家の往復をし、土日はレジャーか休養。
これらは調査で判明しています。
他国では大人が学ぶのは当たり前で、大人になったら勉強をしないというのは日本人の特徴です。
恐ろしいことですがイージーゲームだと思っています。勉強をやめないだけで偏差値50以上ですから。
新しい知識を入れ、語学を学んだりするだけで周りよりもレベルが高いんです。
世の中にはたくさん学ぶべきことがありますし、新しいことを学ばないとスキルアップしません。
学卒時の知識のまま老いぼれていくのです。 短期で乗り換えて買い続けているだけで何故か上級者気取りで、
他人よりも多くの金を使っただけでマウント取れる底の浅い趣味がクルマ
90台すらも出せないのにやたらクソ高いプロ仕様のアイアンセット持ってる奴
3回行っても1尾程度しか釣れもしないのに最高級の竿やリール持ってる奴
絵心もないのに画廊で数十万する油絵セットを買いあさって満足してる奴
スマホで撮るのと代り映えしないのにプロ用の重いカメラを抱えて撮ってる奴
どれもハタから見れば滑稽極まりないが
車の場合はゴルフや釣りや写真のように練習や経験を積み重ねる必要は無く
プロ仕様の高級クラブセットや釣竿やデカいカメラを買い続けているだけで何故か上級者気取りで腕前を自慢しているのと同じ
笑いもので、底の浅い世界
だからも車の歴史もロクに語れないし、運転技術もない奴らが集まって
ただただ金持ち自慢になる低俗の極みとなるのも当然 新車であろうが中古であろうがプロのバイヤーによって決まる市場価格で売買され
自動車選びやその支払い方法に誰が見ても買いの一手の掘り出し物なんかないよ
価格には理由がある
そして短期買い替え、中古車に対して新車、国産車に対して輸入車はどんな条件でも金銭的には損
そうでなきゃ誰も内外装が傷んでデザインも流行から外れ、機関も消耗し、ハンドルに手垢がついて、シートに屁や体臭、汗の匂いが浸み込んだお下がりなど買わないから
地球上にあるもののなかでお金が一番正直
他人にマウントするようなカーライフを送りたいなら他人よりも多くの金を払わないとだめだということ
そして、そんなことのために分不相応に無理して高い車を買えば老後に苦労するということ サーキットに持ち込んでタイム競争するとかでもない限り
クルマ趣味()は払った金の多寡でマウント強度が上下するだけの底の浅い世界 モノよりコト
日本人が物欲の時代を卒業したんだよ
新車でコトを味わうなら1週間持てば十分
モノは10年落ち中古で十分
高価な車や新しい車が欲しくなれば試しに1週間ほどレンタカーで借りてみればいい
自分の身の回りにしばらく置いてみれば、あこがれの車、欲しかった車も冷静に客観的に見ることができて物欲もフェードアウトし
無駄な買い替えをしなくてもよくなるのです
1週間たってもまだ買いたいと思えるくらい欲しいものなら買えばいい
そんなのはクルマ以外でもめったにないから
金はバカでも稼げるが、無駄無く使うのは賢くないと出来ないとさ 1個前のクラウン乗ってるけど
距離走ると身体の疲れ方が全く違うよ
上の車とは ある自動車ジャーナリスト曰く、車は人間の能力増幅装置なんだそうだ。
チビでも大きな車に乗れば自分も大きくなったと錯覚できるし、
運動音痴のデブでも速い車に乗れば誰よりも速く走れるし、
カッコイイ車に乗れば自分もイケメンになった気になれるし
中卒の土方でも高級車に乗れば自分が偉くなったと勘違いできる。
そういう人間の劣等感に訴えるのが自動車というプロダクツの一つの側面でもあることは否定できない。
外車を選ぶ人間というのは基本的に外人に対する劣等感が強い奴が多いんだろうな。 独身なら買えるとか
実家住みなら大丈夫とか
アホみたいなこと言ってるから戒めてるんだよ
ぼっちは老後に頼れるのが金だけだから十分な蓄えが必要
妻子持ちよりも金蓄えてないと詰む
子供部屋で家賃がかからないからと言っても
実家住まいはリフォームの資金を貯めておかないと老後に建て直しもできなくてあばら家に住むことになる >>223
クラウンは中古で買えばいいんだよ
俺も5年落ちで買ったゼロクラウン乗り こういう所でダラダラ書くのは そのほうがいろんな事に思いが至るからだ
それだけ枝葉末節が伸びているわけで
根拠はとくにないが個人的には、そのほうがネタ帳が太りやすい
つまりアイデアが思いつきやすいと思っている
これをシェイプアップすることはできるよ
大体長文なんてはっきり言って誰のものでも
最後の行だけ残してあと全部切ればそれで話は十分通じる
だけどそれだと自分の思考が伸びないし
他人のレスも少なくなってしまって思索が広がらないんだよ
これってなんで他人はわからないのかな
まあ脳のつくりが違うんだろう
別にいいけどね 最近の若い人は長文読めないらしいよ
行間も読めないから映画とかも早送りで見るとか
指摘するとわかりやすくしろってキレる
学力やいろんな力が落ちてるんだなあ 基本的に誰が読んでも分かるように
物事をちゃんと説明しようとするなら長文が必要になる
文章は短文だと誤解を招く可能性がある
馬鹿用のお手軽説明なら短文でも良いけどね
一言の中に内容量が多く、凝縮したキレキレの短い文章は
相手が自分と同じ専門知識を持っている事を前提に成り立つ
短歌や俳句の世界もその例
相手と自分のバックグラウンドが違う場合は
小学生相手に説明するように1からすべて言わないと話しは通じない
つまりお前ら相手には長文にならざるをえない 上でも書いたが、頭の悪い奴は長文になると理解出来なくなる
しかしながら理解出来ない事は認めたく無いのでそれを誤魔化す為に
長文=馬鹿として自分達を正当化する様になるわけ
低知能者達の苦肉の策なわけ
頭わるいやつは短期記憶がしょぼいから長い文章を記憶維持できない
が、頭良いやつにはこれが当てはまらない
バカが自分に出来ないことを出来るやつに嫉妬してるだけ 内言と外言
他人とトークする目的の発言は外言といい
自分自身の思考を整理する目的の発言は内言という
かの有名な「チラシの裏に書いてろ」は内言なんだよ
内言は他人には価値がないとは言わないが
他人に向けて書かれていないから外言に比べると受け取り手に咀嚼の能力が必要となってくる
さりとて、ではノートに書いてろよと言われるとそれは違う
俺個人はネタ帳にアイデアはどんどん書いて言っているが
5chのようなレスがあるかどうかわからないような場所は多くの人間が内言のようなていでレスをしている
それは実は短い行数のレスほど内言的だ
長文は理屈を細大もらさず包括してレスしようとした結果なのだから
むしろ内言の外言化の表れだといえるのではないだろうか
だから短いレスの奴が長文の奴にチラシの裏でやれみたいなことをいうのは間違いで
むしろそれは逆だろと俺は言いたいね 飛躍するがつきつめると
5chは内言の言い合いで
つまりひきこもりが壁に向かって独り言をいっていることのやり合い
それが短文ほどいいとされているのは、要するに脳が衰えているからだ
長文は他人が読んでも理屈がわかるようにしてあげているから長くなっているのであって
短文は自分にしかわからないようにしか書いてない
だのに短文のほうが長文に対して偉そうに勝っているかのような態度すらとっているが
しかし考えてみたまえ、長文レスするほうが能力も高ければ脳も衰えていないだろう
多分は脳の衰えなんだよ
そして脳が衰えている奴は怒りっぽく攻撃的になるのだ 頭が悪いやつは長文が読めない
↓
つまり理解できない
↓
理解できないことを書くのは馬鹿だと感じる
↓
実際は読めないやつが馬鹿 賢い人は、目耳から入って頭の中で消化されてから口に出るが
愚か者は、目耳から入ってすぐに口から出る。
脊髄反射でそのまま口から出るのは、恥ずかしいことだと思わねばならない。 >>163-164
NGEX
30文字以上あぼーん用正規表現
^.{0,30}$ 事の始まりは
長文を毛嫌いして何度も文句を言ってるやつが原因だからな
長文派が短文やめろとは言っていない
長文派は短文やめろと「求めていない」のに
長文書くなと「求めている」のが短文派
ワザワザNGのやり方までレクチャーしてあげてるのに
どっちが自己中かわかるだろ 「頭から書き始めて、そのまま書き終えたものが、人様に読んでもらえるような文章になっているなんてことは、期待してはいけません」
と書かれているように、文章のプロは、文章を推敲することの重要性を強調しているのです。
◆推敲の4つの目的
● 誤字(変換ミス)・脱字(書き落とした文字)をなくす。
● 文字(文)を付け加えたり、削ったりして読みやすくする。
● 情報に間違いがないかを確認する。
● よりわかりやすい表現に差し替える。 ■文章のプロがとくに注意している5つの項目
メールなどの文章は、書いたものをそのまま送るのをやめて、一度目を通すだけで、ぐんとわかりやすく、信頼の得られる仕上がりになります。最初の一歩としてはそれで充分です。
その上で、「プロが重視している読み直す際のチェックポイント」の中から、とくにメールなどでは気を付けたい5つに絞って紹介していきます。
◆推敲の5つのチェック項目
@書かれている内容に間違いがないか、論理が破綻していないか点検する
A文字を削って、1文を短くする
B改行や空白行で余白をつくる
C誤字・脱字をなくす(とくに固有名詞には注意)
D句読点を適切に打つ
ビジネスにおけるやり取りでは、「わかりやすく」「正確に」伝えることが第一です。 賢い奴はローカルルールも守れないスレ容量圧迫するバカに構うのがアホらしいと気付くから相手にしない 勉強というのは脳の性能を上げる行為ではない。
頭の良い他人が考えた知識を脳に入れる作業だ。
俺はそれを否定してはいないし、むしろ必要と考えてる。
問題はその際に本当に頭の良い人間が弾かれて
社会が必要とする人々が社会の重要ポジションについてくれず、
自分の趣味の領域で自分の為だけに能力を使ってしまってることだろう。
これは知能テストの結果がエリートの養成には使えない今の教育制度に問題がある。
知能の高い子供は特定の学校に集めるとか飛級させるなどしていかないと
知能が高い人間ほど学校の勉強をつまらないと感じるので社会損失が起きてしまってる。
学校の勉強がつまらないのは当たり前で
馬鹿が頭が良くなったかのように錯覚させる為の知識を詰め込んでるわけだから
頭の良い人間よりも馬鹿が楽しく結果を出せるようにできている。
頭が良い人間は人が作った価値観ではなく自分の価値観で判断してしまう。
だから自分の興味があることに没頭し意外と学校の勉強をしない。
だから子供の頃に凄く頭が良くて成績良くても学校の勉強をしなくなる。
地頭の良さがハッキリわかるのは実は知識をあまり持たない小学生時代。
だから、某企業は昔、採用の際出身大学がどこであるかは問わないが、小学生時代の成績表を入試で提出させてた。
そして世界的大企業になったが、さすがに差別的なので止めその後ダメになった。
本当の頭の良さを見るなら教育の結果の大学の成績ではなく
小学生の成績や行動を見るのが一番わかるのだが実際それをやると問題にされるんだよね。 一般的に「優秀」が意味するところは理解が早い、アウトプットが的確、先が読めるといった
高い知能や知識を有する人材を想起させるが日本企業においては少々意味が異なる。
思考停止して上司の無茶な指示でも黙って従う事、会社のためには家庭を犠牲にして長時間労働に励む事
会社の不正を見つけても口外しない事、いざとなったら会社のためには死さえ受け入れる覚悟ができてる事
このような心構えが学卒時に出来ている人間が日本企業における「優秀」なのである
一部の専門職を除いては能力や学歴は関係ないとまで言わんが、無いよりマシという程度
だから、地頭の悪いやつをFラン大学に行かせたり、語学やIT教育を受けさせれば就業の機会が増えるという発想がそもそも間違ってるんだな
むしろ、スキルアップすればするほど「頭デッカチ」「理屈っぽい奴」という評価になり就職が難しくなるのが現実だ
日本の場合は就職じゃなくて就社だから
雇用形態がどうあれ、ほとんどの会社の採用基準は「アゴで使えるか、どうか」に尽きる。
日本企業が採用にあたって重視するのは、無能でもいいから、無茶な指示や無理難題を押し付けられても黙って従ってくれそうな人かどうか。
「無能&従順」と「有能&野心的」の2人が応募者がいたら、ほとんどの会社は前者を選ぶ
「有能&従順」」のパターンがベストだが、そのような応募者はほぼいないからね
だから有能で高学歴だったり、難関資格を持ってたり、ITスキルがあっても
会社に滅私奉公してくれる可能性が無さそうだ、逆に頻繁に意見具申してきて煩い人だと思われたら
不採用あるいは低い処遇しか用意するつもりないんだから、家で寝てた方がマシという結論になる。
その結果、有能な人ほど非正規労働者となり無能な正社員の下で働くという倒錯した状況が発生する
20年間、ゼロ成長で終わった現実がそれを雄弁に物語っている 「日本株式会社」は「ジョブ型雇用ではなく、メンバーシップ型雇用だ」とよく言われるようになった。
メンバーシップの大本の組織の維持が最大の目的であるから
スキルに対して報酬を支払うという発想はなく、組織に対するロイヤルティに対して報酬を支払う。
面接試験では、組織に対するロイヤルティと協調性が判断される。
「同僚とうまくやっていける性格の人間であるか」「組織に対してロイヤルティを持つタイプなのか」を判断する。
野球部やラグビー部出身者の評価が高いのは、経歴から“組織人間”であることが実証されているからである。
これを通った人は、部長クラスの管理職面接にたどり着く。
ここでは、「上司とのコミュニケーションがうまくできそうか」「人間関係をうまく築けるか」が評価される。
つまり、メンバーシップ型の就職面接で評価されているのは「組織に対する協調性・ロイヤルティの高さ」なのだ。
その結果、でき上がるのが、これといったスキルがない、自分の働いている会社の人脈で生きる“会社人間”である。
会社内の人間関係と社内政治に詳しく、上司の考えていることを忖度し
上司の意向に沿うように仕事を進めることは得意だが、社外で売ることができるスキルは何も持っていない人々である。
その中で昇進していくのは、ロイヤルティが最も高そうな人。
その高さがどのように評価されるかといえば、上司の言うことを聞くかどうか、つまり「従順な人間であるか」である。
こうして昇進競争は“イエスマン競争”となる。
そのうち、いつもイエスと言うことが嫌になった人、自分の意見を持ち、どうしてもそのとおりにやってみたい人は、不満を感じ転職を考えるようになる。
しかし、こうした人も必ずしも恵まれない。
なぜなら、会社の意向に沿うような仕事ばかりさせられてきたため、社外で売れるスキルがないから、転職先が見つからない。
これがメンバーシップ型雇用の実態である。
つまり、就職時点からロイヤルティ重視の採用が行われ、
入社してからもロイヤルティの高さを判断するためにやっているかのような転勤・異動が行われる。
上層部にいる役員も、このシステムの中を巧みな遊泳術で泳ぎ切り、向こう岸にたどり着いた人たちだ。
彼らの心には、部下をロイヤルティの高さで判断する習慣が染みついており、
特定分野で高いスキルを持った人間を評価しようという気持ちはない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています